月刊アッセンブリーNEWS連動 -引退に寄せて-
木下 重夫先生
八王子シャロン教会
2021年3月31日に引退された先生方による手記です。
この記事は「月刊アッセンブリーNEWS 2021年7月号・引退レポート」に連動しています。ぜひそちらもご覧ください。
私の信仰の軌跡
- 救いと教会生活
- 私は信仰を持つ前は、ほとんどの日曜日は都内に出て行って野球をしていました。しかし、野球仲間と別れて一人、中央線で八王子に帰る時など人生の空しさを感じていました。そんなある日、電車の中で同学年の人と出会い誘われ、初めて教会に出席しました。それからは、日曜日には礼拝に出席し、キリストを受け入れ洗礼を受けました。その後、牧師に躓いて幾人かの青年達が教会を去りました。私もその一人でした。教会を去った後も、副牧師が手紙を何時も下さいました。その間色々の事がありましたが、副牧師からの手紙が支えになり、イエス様に悔改めて教会に戻りましたが、戻ったのは私だけでした。その時には既に、副牧師は教会を去っていました。
- 献身と激しい聖霊傾注の体験
- ある日、韓国から崔子実先生が来られ、韓国の教会の証しを聞き、私達数人の者達は感動を覚え、夜の更けるのも忘れて聞き入りました。後日、一人の人が、毎日5時半から早天祈祷、夕方6時から路傍伝道を1年間しようとの提案があり、皆賛成をし、実行しました。初めは数人で始めましたが、救われる者も与えられ、振返って見ると牧師、牧師夫人になった人は十数名でした。それらの人達の最後に、私は、妻と二人の園児を置いて神学校に入り牧師になったのです。当時の神学校は、全員全寮制でした。神学生時代にも神の様々な奇跡的な御業を見る事が出来ましたが、一つの証しをします。朝の学生担当の礼拝後の祈りに激しい聖霊の傾注があり、学生同志の悔い改めと異言の祈りが終わらず、後の授業が出来ない事が2回ほどありました。
- いざ開拓伝道へ!
- 神学校を卒業して母教会に帰り、6年ほど牧会し、その後、開拓伝道のスタートを切りました9年後、楢原町に2階建の会堂を建設し、その3年後、宗教法人として認証されました。その時にも神の不思議な御業を見ました。9年後、都道の拡幅工事の為、教会を取壊しになりましたが、不思議と千人町に2階建の民家が与えられ、教会らしく改造して伝道牧会の拠点としました。(写真:旧会堂)
- 後継者に道を!
- 地震情報で、今後30年以内にM7クラスの首都直下地震が起こる可能性が70%という高い確率が言われておりました。そこで、既存の教会堂を取壊し、耐震設備のある2階建の教会堂を後継者の為に建築しました。2020年3月1日、コロナ禍の中でしたが、先生方も大勢出席して下さり献堂式を行いました
これまでに、地上の生涯を全うして、天に住まいを変えた人は20人近くおりましたが、天国から喜びを持って新会堂を眺めておられる事でしょう。(写真:新会堂)
- 主にある、さまざまな歩みの軌跡
- 教団関係の役職は、関東南西教区長、財務部長(財務関係は27年の長きでした)、青年部員等いくつかの委員を歴任しました。
教団外の働きは、八王子市を中心とした諸教派の教会合同の集会「イースターのつどい」を40年間行い、委員長としては9回でした。
学校関係では、中学校のPTA会長や短大の父母会長などを歴任しました。
地元関係では、小さな裏山を、ある業者が購入し温泉のある娯楽施設を建設する計画を立てました。私達は、美観を損ねるのと、風紀が乱れる等の理由で反対運動を起しました。どういうわけか私が会長に選ばれました。業者が、市との折衝も終わり、私達に対する何回かの説明会も終わり、いよいよ工事に入ろうとした矢先に、その業者の銀行が閉鎖され、この計画は中止となり、市でそこを購入し、管理することになりました。主が働いて下さったと思います。
- 感謝! そしてこれからも主に喜ばれる者として!
- これ迄の人生を振り返ってみると、欠けの多い私を、神の恵みと先生方や信徒の方々の祈りと愛に支えられて来られたことが、ただただ感謝です。
83才で引退をして、立場は変わりましたが、主に喜ばれる生き方をし続けたいものです。
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