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「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ②
これまで二人のイスラエルの女性たちの信仰と生き様を見てきました。当時の社会は男性中心で、男性によって物事が進められていました。そんな中でもエステルやサラのように堅い信仰によって神の働きを担った女性がいたことに励まされます。でもこのシリーズを読んでくださっている女性たちの中には、「私にはエステルやサラのような立派な信仰も立場もないから、神にも人々にも気付いてもらえないだろう」と、感じる方もおられるかもしれません。聖書の女性たちは生まれつき神に特別に選ばれ、信仰と能力を与えられた非凡な人々だったのでしょうか?本当に名もなき凡人はエステルやサラのような信仰を持つ人にはなれないのでしょうか? -
聖霊の炎を掲げて ㉑
日本のペンテコステ運動は陸の孤島ではありませんでした。宣教地に赴く際や帰国の際に日本に立ち寄るペンテコステ派の宣教師や巡回視察に訪れるペンテコステ派のリーダーたちがいました。私たちは彼らの日本訪問記によって当時の日本のペンコステ運動の状況を垣間見ることができます。 -
「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ②
サラ(当時はサライ)は創世記12章で突然神から呼ばれて生まれ故郷を離れたアブラハム(当時はアブラム)と共に旅立ち、夫の信仰の試練を自分自身の試練として生きた女性です。サラの経験は夫の歩みに寄り添う女性の経験として書かれています。そんな彼女の信仰に目を向けていきましょう。 -
聖霊の炎を掲げて ⑳
日本アッセンブリー教団の源流の一つである滝野川聖霊教会(現 神召キリスト教会)は戦前仙台で活発な宣教活動を行なっていました。その先鞭となったのは滝野川聖霊神学院卒業生の大巻三郎・辰枝夫妻でした。 -
「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ①
第一回目はその名が書のタイトルにもなっている「エステル」です。エステルの名を聞くと、何が思い浮かびますか?幼い頃から聖書に親しんでいた私は彼女にあこがれ、その美しさを想像して幸せな気分に浸っていました。 -
聖霊の炎を掲げて ⑲
胎動期の日本のペンテコステ運動は幾つもの試練を乗り越えなくてはいけませんでした。それらは1916年ごろから数年間続いたニュー・イシュー論争、1923年9月1日の関東大震災、そして1941年から1945年までの太平洋戦争でした。
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