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「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ③

名もなき少女

ラウジー満世

中央聖書神学校教師

サクラ・キリスト伝道所牧師

 これまで二人のイスラエルの女性たちの信仰と生き様を見てきました。当時の社会は男性中心で、男性によって物事が進められていました。そんな中でもエステルやサラのように堅い信仰によって神の働きを担った女性がいたことに励まされます。でもこのシリーズを読んでくださっている女性たちの中には、「私にはエステルやサラのような立派な信仰も立場もないから、神にも人々にも気付いてもらえないだろう」と、感じる方もおられるかもしれません。聖書の女性たちは生まれつき神に特別に選ばれ、信仰と能力を与えられた非凡な人々だったのでしょうか?本当に名もなき凡人はエステルやサラのような信仰を持つ人にはなれないのでしょうか?

 イスラエルに王がいた時代に隣国、アラムの軍人であったナアマンが重い皮膚病を癒された出来事がありましたが、皆さんは彼の癒しについてどんなことを思い出すでしょうか。ナアマンはイスラエル人ではありませんでしたから、天地を造られた真の神を信じていませんでした。ましてやナアマンは部隊を率いてイスラエルと戦い、勝利をおさめた人でした。神はこの異邦人をも癒して下さったのです。

 ナアマンが神の癒しを経験するためには多くの人々の助けがありました。まず、彼の妻がイスラエルの預言者なら癒すことが出来るだろうという貴重な情報を提供しました。それを受けてアラムの王がわざわざイスラエルの王に手紙を書いてくれました。預言者エリシャも癒しのためにすべきことの指示を与えましたが、ナアマンは預言者エリシャから失礼な扱いを受けたと感じました。直接顔を合わせることもなく、ヨルダン川に7度身を洗えと言われたことに怒って立ち去ろうとしました。その時ナアマンをなだめて預言者の言葉に聞き従うように説得したのは彼の家来たちでした。このように、戦いで多くの功績を挙げたプライドの高いナアマンが癒されるためには、ナアマンを愛する多くの人々の支えがあったのです。

 しかし、ナアマンの癒しが語られる時、ほとんどの場合全く忘れ去られているある一人の人物が存在するのです。この人が居なければナアマンはイスラエルの預言者を通して神に癒しを願うことすらできなかったでしょう。アラムの王でもイスラエルの王でもなく、預言者エリシャでもなく、ナアマンに仕える軍人でもなく、妻でもない、この人は誰なのでしょう?他国の高い位の立派な家柄の男性でしょうか?最高の教育を受けた学者や祭司なのでしょうか?

 意外にもそれは名前すら記されていない一人の少女だというのです。聖書が伝えるところによると、この少女はかつてナアマンの国アラムがイスラエルに攻め入った時にナアマンが捕虜として連れてきた一人の少女だというのです。この少女の他に、旧約聖書には現代に信仰を持って生きる女性の励みになるような、お手本となる素晴らしい信仰を持った女性たちがたくさん登場します。そしてこの女性たちの名は記され、記念され、尊敬されているのです。でもこの捕虜の少女は全く違っています。この少女には名前もないのです。故郷を失い、家族からも引き離され、望みもしないのに敵の将軍の妻の召し使いとされて働いていた少女でした。もちろん人々の目にも留まりませんし、記憶にも残りません。全く目立ちません。

 でも、この少女はナアマンの癒しのきっかけとなりました。彼女が「ご主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」(新共同訳聖書 列王記下5章3節)と言った、その一言がきっかけでナアマンは病の癒しを与えられました。少女には身分も、権力もなく、名前すらも書き記されていないのです。しかし苦しい経験の中でも揺らぐことのない信仰がありました。預言者のもとに行けば癒される、あの預言者の神は主人の恐ろしい病すらも必ず癒すことが出来るという確信がありました。

 名もない小さな存在であっても、その少女が持つ信仰がきっかけになってナアマンが癒されたのです。ナアマンの変化は病の癒しに留まらず、信仰にも及びました。異邦人ナアマンは「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。」(5:15)、「僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。…」(5:17)と告白する程の強い信仰を持つ者へと変えられたのです。

 弱く目立たない少女の信仰を、神は用いて下さいました。もし皆さんが「私は立派なエステルやサラにはなれないから、自分には何もできない」と感じておられるならば、この少女を思い出しましょう。神は人に忘れられる存在の小さな人に目を留めておられるのです。弱い私たちでも、神を愛する心、神を信じる信仰を持っているならば、神は私たちを用いて下さるのです。希望を持って、今日、神を愛して神のために生きましょう。

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