ナオミ―神への信頼を貫いた人
(ルツ記)
ラウジー満世
中央聖書神学校教師
サクラ・キリスト伝道所牧師
ナオミは波乱万丈の生涯を、神を信頼して生き抜いた女性です。旧約聖書の女性たちの多くは○○さんの妻、○○さんの母として覚えられることが多いですが、ナオミもまたルツの姑として記憶されているかもしれません。もちろんナオミは「ルツ記」の登場人物ですから、自然にルツに注目が集まります。そんな中、今日は「ルツの姑のナオミ」ではなく、「神に信頼し通した一人の信仰者、ナオミ」の姿を見てみましょう。
ルツ記冒頭でのナオミの状況は悲惨なものでした。イスラエルを襲った飢饉を逃れて一家でモアブに移り住みました。死海の南東に位置する隣国ですが、神が厳しく禁じられた偶像のバアルを崇拝する国であるモアブに移住するほど困窮していたのでしょう。さらにここで夫が亡くなり、二人の息子に嫁をめとったかと思えば、子が生まれないうちに息子たちが亡くなります。ナオミには頼れる親戚もなく、二人のモアブ人の嫁の面倒を見なければならないのに、その術もない。ただただ途方に暮れたでしょう。社会福祉も整っていない時代にどうしたら二人の嫁と自分を守れるでしょうか。
ついにナオミは飢饉が終わった故国へ帰る決心をします。しかし当時の制度に従って二人の嫁に自分の子を夫として与えられないナオミは、嫁たちにとっては異国であるイスラエルに二人を連れ帰ることはできません。そこで、二人には里に帰り、新たな夫を得るように伝えます。家族の愛情では深くつながっていても、異教の地出身の嫁たちを未亡人としてベツレヘムに連れ帰ることは二人の幸せにならないと考えた姑の愛でした。
しかしルツだけは最後まで首を縦に振りません。姑と一緒にベツレヘムへ行っても希望はない状況を理解しながら、ルツは一緒に帰ると言い張ります。すると、ナオミはルツが単に情に流されて自分と一緒に行こうとすると思ったのでしょうか、なおもルツを里に返そうと説得します。しかしルツの一言でついにナオミはルツがベツレヘムに家族として帰ることを受け入れます。ルツが語った「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神」(ルツ記1:10、新共同訳)は、揺るがないイスラエルの神への信仰告白でした。ルツの故郷で崇拝されるバアルではなく、ナオミが信じる神を信じるという告白は、他の信仰を捨て、ただ主だけを信じるという決意でした。さらにルツはナオミの故郷で死ぬとまで語り、生涯この信仰を貫くと宣言したのです。ナオミはルツの情に流されたからではなく、ルツの信仰を見、生涯をかけて神に仕えようとするルツを受け入れたのです。ナオミは孤独から逃れるために、あるいは年老いる自分の老後の世話人としてルツの愛情を利用したのではありませんでした。命がけで神を信じるルツを見たのです。
ナオミはまた、どんな苦境に立たされた時も神の慈しみが人々の上に注がれるように祈る人でした。二人の嫁を里に返そうとした時にも二人のために神の慈しみが与えられることを願いました(ルツ記1:8)。ナオミにとっては、神は自分をひどい目に遭わせ、悩ませ、不幸に陥れる全能者ですが、この神を罵らず、なおも神の慈しみを信じて二人の嫁のために神の慈しみを祈ったのです。帰国後もナオミはボアズの親切を聞いた時に、慈しみ深い主の祝福がボアズの上にあるように祈りました (ルツ記2:20) 。その後、ルツとボアズの結婚のためにも大胆な助言をしますが、これも大富豪を捕まえたいという欲から出たものでは決してありませんでした。ボアズがナオミの家に責任を持つべき正当な立場の人なので、神の御心に適うことだと確信したがゆえの行動でした。ナオミは神を信頼し、神の言葉に立ち、絶望の中でも神を責めず、神につぶやかず、静かに力強く信仰を貫いていたのです。
モアブで絶望的な状況に置かれていたナオミはルツ記の最後の部分ではどう変化しているでしょうか。ボアズがルツを娶ることが町の門で正式に決定した時、全ての民と長老たちがこれを喜び、主がモアブ人のルツも迎え入れて下さることを確信して祝い、さらなる祝福を祈りました。故郷の人々が異教出身の嫁ルツを受け入れ、さらに心から祝福を祈るだけでも素晴らしいことでしたが、さらに神はナオミの家を顧みてルツを通して男の子をも与えられました。ナオミの夫エリメレクの家は途絶えませんでした。神のナオミとルツに対する慈しみと真実は、町中の人々に認められ、喜ばれました。ナオミの一貫した信仰のゆえに最後に神はナオミに喜びと希望を満たしてくださいました。さらにナオミの家からダビデが生まれ、主イエスの誕生までつながっていったのです。
ただただ神の大きな憐れみに感動します。人生のどん底でも神を責めず、罵らなかったナオミでした。苦しみの最中で神の厳しさを一身に受けながらもルツともう一人の嫁であるオルパのためには神の慈しみをとりなし続けた信仰者でした。その信仰によって神の恵みを自分自身が受け取り、魂に喜びを得、町の人々も皆ナオミの生涯を導き、祝福された神を賛美したのです。
社会的弱者であっても、苦しみ続ける生涯であっても、神を信じる信仰は持ち続けることが出来るのです。そして神を愛し通してみ言葉に立つことを貫くときに、神の恵みは注がれるのです。改めて神の変わることのない真実と慈しみを体現し、私たちに見せてくれるナオミの姿に感動します。私たちも同じ主を見上げて、今を生きる神を信じる女性として、私たち自身の信仰を貫くことが出来ますように。それによって人々が神を賛美することが出来ますように。
※引用した聖書:『新共同訳聖書』共同訳聖書実行委員会、1987、日本聖書協会発行
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