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宣教|AG giftの証②akira

誰にでも届く賛美

福岡キリスト教会 教会員
シンガーソングライター

akira

皆様、はじめまして。

福岡市を拠点に活動しています。
シンガーソングライターのakiraと申します。

こうして証を執筆させて頂き、皆様と分かち合う事ができる機会を与えられたことに感謝致します。

今日に至るまで数えきれない程の恵みと導きがありましたが、今回はその中でも私が音楽活動を始めることになった経緯に焦点を当てて証をさせて頂きたいと思います。

2000年8月9日に4人兄妹の次男として産まれた私は2歳の時、教会の運営する保育園に入園しました。

両親共に当時はクリスチャンではありませんでしたが、保育園で覚えたことを自慢したい・褒めて欲しいと家庭内でも兄弟で争うように御言葉を暗唱し、食事前にお祈りをし、賛美歌を歌っていましたので、クリスチャンホームでこそなかったものの家にはいつも御言葉が飾られ、流行歌の様に賛美が歌われていました。

今にして思えば、このことが私の人生の中でも1番に大きな神様の導きでした。
クリスチャン2世のように育ちながら、神様との出会いは誰かから押し付けられたものではなく自分自身が選んだ、神様から選んで貰えたのだという確信が様々な試練の中にあって揺るがないものであるからです。

音楽との出会い

程なくして家族全員が救われ、(ここにも大きな神様の恵みと奇跡があるのですが、今回は割愛させて頂きます。)
10歳になった頃、母方の祖父の介護の為に母の実家がある福岡に引っ越すことになりました。

当時通っていた教会で牧師の勧めにより、サックスプレイヤーとしてご活躍されている安武玄晃さんにドラムを教えて頂く機会に恵まれ、見事に音楽の楽しさと奥深さに惹き込まれました。
元々引っ込み思案の私は、賛美の時間には手拍子すら恥ずかしくて出来ず、椅子に座って時間が過ぎるのを待つのが当たり前になっていました。
しかし、音楽に出会ってからというものそれが嘘だったかのように立ち上がり大きな声で賛美を歌うようになっていきました。

家ではなかなかドラムは練習出来ないからと父と兄の持っていたギターを中学2年生の頃に弾き始め、同じ時期に教会で紹介されたチャーチスクールに通うようになりました。

信仰の確立

チャーチスクールでは同年代で初めて聖書の事・神様の事を真剣に話せる友人が出来、毎日共に祈り、賛美をする中で音楽としての素晴らしさよりも寧ろ賛美の持つ意味や力に心が動かされるようになりました。

神様の事を伝えたい。神様のためにはたらく者になりたい。そう強く思うようになり、16歳の夏に洗礼を受けました。
その時与えられた御言葉が私の原動力であり、今一般に出てシンガーソングライターとして活動している理由にもなっているのでシェアさせて頂きます。

ヨハネ15:12
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、
これがわたしの戒めです。

試練

そしていよいよ、2017年より本格的に人前に出て演奏活動を始めました。当時歌っていた曲は今よりも所謂会衆賛美に近いものが多く、歌詞もストレートに神様を褒め称える物がほとんどでした。
それになんの疑問も持っていませんでしたし、今でもそれはあるべき形のひとつであると思っています。

しかし、当時の私は、知らない人に聞いてもらうために歌っているのに、聞いてくれるのはクリスチャンの方ばかりだということ。
立ち止まってくれても教会の音楽だとわかった途端に離れていってしまう人が少なからずいること。
そして何よりも教会の外で知り合った友人に聞いてもらえないこと。

それらに非常に悩み苦しみました。

私に与えられている働きは本当に外に出て音楽をすることなのか分からなくなり、何度も祈り、答えを求めました。するとやはりあの御言葉(ヨハネ15:12)が与えられます。
何度も読み返したはずの御言葉ですが、改めて聖書を開いたとき、なぜわざわざ「わたしがあなたがたを愛したように」と添えられているのか、というところに気づきました。

悔い改めと新たなスタート

私は無意識の内に「あなたがた」「隣人」をクリスチャンだけの話だと勝手に勘違いしていたのです。神様を知らない時から導かれ、知っていながら知らないフリをして生きていた私をそれでも愛し守って下さっていた事を人生を通して何よりも知っていたはずなのに、いつの間にか、ある意味では選民意識のようにクリスチャンにしか伝わらない言葉で、伝わらない感動を、まだ神様と出会って居ない人に伝えようとしていたのだと気づき、深く悔い改めると共に言い様のない悲しみが込み上がってきました。

そうしてこれからは誰にでも伝わる言葉で、誰にでも起こり得る苦しみ、悲しみ、喜びを歌にして、顔の見えない多数の誰かにではなく、その瞬間、目の前にいる「あなた」に届けよう。すぐに神様と分からなくても、辛い時、苦しい時に思い出す歌、そこに神様から貰った愛を込めて届けよう。

そんな風に決意を新たにして、今の形の音楽活動がスタートしました。


最後に

私の作る曲には一聴して、ただのラブソングの様に感じたり、ただの応援歌のように感じたりする曲もあるかもしれません。神様のことを直接歌うべきだ。クリスチャンに相応しい音楽ではない。そんな風にご意見を頂くこともありました。

それでも私が歌い続けるのには勿論神様に与えられた働きであるという確信と、何よりもここに至るまで祈り、支え続けてくださっている方々の存在があるからです。
わたしが神様に出会った時、それは誰にでも分かるような超常現象によってでも、奇跡によるものでもありませんでした。
わたしが信じてみようと思えた時、その信仰を支えてくれたのは、誰にでもある些細な生活の悩みを分かち合える人の存在であり、その人の中に確かな生ける神様の存在を感じることが出来た恵みによるものです。

わたしの信仰を挫くのはいつだって日常のちょっとした事であり、そんな日常を支えるのはいつだって神様への信仰でありました。
だから生活と信仰、クリスチャンとそうでない人と分けないでいたいのです。

誰にだって生きている以上同じような苦しみがあり、悩みがあり、悲しみがあります。
それはクリスチャンであるから、そうでないからといって変わるようなものではありません。

ただ私たちクリスチャンは神様に助けを求めることが出来る、背負った重荷を預けることが出来ます。それだけの違いでしかありません。
しかし、それがどんなに大きな違いであるのか私たちは知っています。

ですから、助けを求めて苦しんでいる人が居たら、これは神様がこの人のもとに私を遣わしてくださったのだ、とすこしの勇気と何よりも愛を持って、手を差し伸べたい。メッセージを届けたい。そのような思いで誰にでも伝わることを大切に歌を歌っています。

わたし自身がいつでも愛を持って、神様の子として歩んでいればそれが神様の事を表すことになる、そう信じてこれからも多くの人に歌を届けられたら幸いです。
どうか、温かいお祈りとご支援をよろしくお願いいたします。

最後に与えられたばかりの新曲「ひとり」と御言葉をひとつシェアしてこの証を締めさせていただきます。

全ての栄光を主にお返しします。

シンガーソングライターakira

第一コリント13:13

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。

その中で一番優れているものは愛です。

「ひとり」

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