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子ども伝道③ 私にとっての子ども伝道-1

高知聖書教会 柿谷信実

自己紹介

 私は高知県にある教会の牧師家庭で生まれ育ちました。19歳~7年間放蕩の日々を送り、信仰は完全になくなったかのような状態で過ごしましたが、“三つごの魂百まで”というように信仰もないのに教会に行き続けていました。その中でもう一度神様と自分との関係を知る事ができ、信仰を取り戻すことができました。これは完全に神様の憐れみでした。

子ども伝道の原点

 私が子ども伝道に関わるようになったのは、放蕩の最中にお世話になった長野県の教会での事でした。その教会では、「子どもたちがすぐに救われなくても、その子どもたちが大きくなってやがて親になったとき、自分の子どもが教会に行きたいと言ったときに、反対することなく送り出してくれたら、それだけでも大きなことだ」と考えている教会でした。

「それほど長い目で見て、子ども伝道という“種まき”をしていけばいいのか!」というのが、今も私のベースとなっています。

3つの子どもミニストリー

数年前、私は3つの教会の子どもミニストリーに同時に関わらせていただく機会があり、それぞれの教会の状況に合わせて、それぞれの活動をやらせていただきました。また、現在は赴任している教会で、3つの子どもミニストリーを名前と目的を変えてそれぞれ行っています。

①公式な子ども食堂、②非公式な子ども食堂、③教会のキッズイベント、の3つです。

【公式な子ども食堂】

“教会がここにある”という事を知ってもらい、地域貢献と社会貢献を目標として、ごく普通の子ども食堂を月に一度、メンバーと共に開催しています。

【非公式な子ども食堂】

「明日も来たい」と言う子どもたちの声から始まった、遊び場としての子ども食堂です。その中で子どもたちの心と真摯に向き合う事を目標とし、じつは不登校の子どもや、家庭環境が複雑な子どもたちの心に寄り添うことができたらと願っています。ここでは食べる前に“お祈り”だけはするようにしています。

公式子ども食堂

【教会のキッズイベント】

月に1度クイズ形式の聖書のお話を通して暗唱聖句の時を持ち、聖書の言葉を一つ覚えます。御言葉カードを配り伝道を目的としています。子どもたちに御言葉を受け取ってもらえるように、飛び切りの楽しいイベントを準備できるように頑張っています。

本心で話せるために

それぞれの活動はどれも楽しくやりがいのあるものですが、私が子どもたちと関わる時に特に気を付けていることは、子どもたちが本心で話せる場所となれているかどうかです。私の幼少期を思い返してみると、「大人はこう言ってほしいのだろうな」とか「この場ではこう言っておこう」といった、大人の望む答えが求められてきたように思います。確かに私も子どもたちにこういう答えが欲しいという気持ちが摘み取っても摘み取ってもわいてきます。喧嘩をしていたら(早く謝って仲直りしなさい)と思ってしまうし、聖書のお話をしていても、私の期待する答えが子どもたちから出てくるまで繰り返し問い続けることもしばしばあります。それでも、子どもたちが嫌だと思った時には「嫌だ」と言える雰囲気があるか? 威圧的になっていないか? と、子どもたちが“本心を隠さないといけない”または“出すことができない雰囲気”にならないようにと、気を付けています。

そして何より、一人ひとりを個々に受け止めることができるように、できるだけ一人ひとりの目を見て会話するようにしています。それは大勢の中の一人として認識するのではなく、一人ひとりを大切な一人として接することができるように努めています。

一人ひとりを大切に

その子の言いたいことの核心を聞き取ることができるように、「ん?どういう事?」とか「もっかい言って?」と、問い直すこともしばしばです。

しかし、どれだけ努力しても一人の体では、子どもたち全員と関わることは難しく、常にキャパオーバーの状態が続いています。それでも、「やらないよりはマシ!」と、割り切って続けています。

伝道の実は神任せ

3つの活動の中で何がどう反応し、神様と個人個人が繋がるきっかけになるのか、私にはまったくわかりません。意図的に人を救いに導くために戦略を練った方がいいのかもしれませんが、私には努力によって人を救いに導こうとした過去の失敗体験があり、そこから魂の救いは神業でしかないという教訓を得ました。それからというもの自分の戦略などに頼ることをやめました。ただ長い目で見て、もし私が蒔いた種を誰かが刈り取ってくれたら、それでよいと思っています。

そして、私も誰かのまいた種を刈り取らせてもらった体験があります。突然かかってきた電話から、あれよあれよと信仰決心し洗礼へとトントン拍子に決まっていきました。その方は小さいころに御言葉を書いた豆カードをもらうのが楽しみで、子どもの頃からイエス様の話を聞いていた方でした。そんな風に誰かがいつか刈り取りをしてくれたら、何かのタイミングで教会に行こうと思ってくれたらそれで十分だと思うのです。

「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」
コヘレトの言葉 3:1(新共同訳) 

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次回の柿谷信実先生の記事は、3/28です。下記の内容を予定しています。お楽しみに♪

子ども伝道④ 私にとっての子ども伝道2

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