信じるのやめるの、やめた。
求めなさい。そうすれば与えられます。
(マタイ福音書 7章7節)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
私が聖霊のバプテスマを受けたのは埼玉の実家のリビングでした。その時私は信仰を失いかけていました。イエス様のことを信じていましたが、一種の誘惑に駆られていたように思います。
「イエス様、いるって信じているけど、本当かな。」
「伝えるなんて恥ずかしいし自分にはできない。信じることをやめてしまおうか。」
信じることをやめるにしても、私には心残りが一つありました。それは、当時まだ聖霊のバプテスマを受けていなかったということです。まだ神様は、本当に自分にしようとしてくれている計画の、半分もしてくれていないような気がしたのです。まだ神様は私に新しい何かを、与えてくださるのではないかと思えたのです。私が聖霊のバプテスマを求めるために、「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)という聖書の言葉も後押ししました。そして若かった私は、聖霊のバプテスマが与えられたら、信じるのをやめるのを、やめようと決めました。
何度か教会の祈祷室で祈っていましたが、残念ながら与えられませんでした。ある日、両親より早く家に戻った私はリビングで一人座って、口を開きボソッと祈りの言葉を言い始めました。「あなたは本当にいるんですか」「あなたの声を聴かせてください」そう祈っているうちに、肩に重いものがドーン!とのしかかったような気がしました。そして口から知らない言葉がとめどなく出てきました。神様がこんなに近くにいるのだとわかって感動して涙し、気づいたら何時間も祈っていました。ついに聖霊のバプテスマを受けたのです。
その後、私には変化が起きました。まず嬉しいのです!友人にも躊躇なく「教会に行っているんだ」と言えるようになりました。さらに、祈りの中で、誰かの痛みや人間関係の問題が示されるようになり、その問題が解決されるまで祈らされるという経験もしました。「聖霊が働かれるというのはすごいな!」と感動しました。誘惑の中にあり、若く、弱い私に、聖霊様は働いて下さり、私を変えてくださいました。神様の寛大さに、今は敬服し、感謝します。
※教会名は、掲載時点のものです。
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