薫陶の油注ぎ
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。
(テトス 3章5節)
私が聖霊のバプテスマの事を知ったのは、母教会であるグレイスゴスペル教会銀座に通っていた時です。福音を信じた後、説教や交わりを通してそのような霊的体験がある事を知りました。しかし当時は聖書を学び始めたばかりで、これが何故重要で、必要とされるものか正直よく分かりませんでした。福音を信じ、主に従うという自分の意思と実践があれば十分だと思っていたのです。多少の興味はあったものの、自分から熱心にこの体験を求めるという事はありませんでした。
そのような中、2020年の五旬節に洗礼式を行う事になりました。周りに祝福され、牧師先生の信仰の確認に答えた時、急に自分の存在ごと洗われて活力が与えられたような気がしました。腹で霊が踊るとしか言えない感覚と、自力や世的な方法では成し遂げられないほど、頭や体が一気に軽くなり生き返ったような心地がしたのです。そして自分の理解を超えた言葉、異言が出てくるようになりました。洗礼式の前後で、私は自分がそっくり取り替えられたような思いがしました。「いのちの水が注がれた」としか形容できないこれらの体験は、私の意思や希望を超えて、主ご自身から与えられたとしか思えない圧倒的なものです。私はその時、極めて純粋で不思議な恵みを通して、自分が従うべき主の威光を示されたと感じました。
御霊を注がれた経験は、私の信仰の姿勢を変えました。信仰生活とは「私が」信じて従うのではなく「主の導きによって」信仰させていただき、従う事を可能としていただくものなのだという指針が与えられたと感じます。聖霊のバプテスマは、かつて想像していたような霊的な満たしや信徒の印を越えた、主に真っ直ぐに従うための意識を与えてくれる一つの賜物でした。この体験を一つの道標として、これからも主と共に歩む姿勢を覚えたいと思います。
※教会名は、掲載時点のものです。
感想・コメントはこちらに♪