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聖霊のバプテスマの恵み(16)宮澤幹彦

 

引退教師
宮澤幹彦

授けられた聖霊のバプテスマ

私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。

(Ⅰテサロニケ 1章2-3節)

授けられた聖霊のバプテスマ

 私は大学4年の時に神様の恵みにより救われ、卒業後一流の大企業に就職したのですが、就職して少し経つうちに、私は生意気にも、大きな会社の歯車として使われるのは自分に向かない、小さくても自分で会社を経営したいという思いを持つようになりました。

 そんな折、妻の父から、「自分の関係している会社で、今度松下電器(現在のパナソニック)と共同出資で販売会社をつくる話が持ち上がっているが、経営のできる人間がいない。ついてはお前やるか」という話がありました。世間を知らない私はその話に飛びつきました。

 新会社は私を入れて11名の体制で、1969年2月に発足しました。会社を経営するに当たって、若かった私は、張り切ってまさにスパルタ式経営を貫きました。人間の能力には大きな差はない以上、会社を成長させるためには、寝る間を惜しんでも人より多く働かなければならないと考えました。今では完全なブラック企業です。幸い当時は日本の高度成長期でしたので、会社は順調に業績を伸ばすことができ、パナソニックの中でも注目される存在になりました。

 ところが10年程経ったころ、日本も世界を襲った2度のオイルショック後の不況に突入しました。経済の停滞で私の会社の業績も悪化し、スパルタ式では前に進めなくなりました。そうなった時、業績が良かった時には気が付かなかった私に対する社員の不満が表面化しました。それは面従腹背や有能な社員の退職という形で現れました。そうなると、今まで強引な主張も受け入れてくれていた関係者の態度まで変わってきたように感じられました。

 業績向上を図るには、全社一丸、関係先の協力も必須なのに四面楚歌の状況です。これは私にとって、社会人となって初めての大きな試練でした。

 私は、「自分には経営者としての資質が本当にあるのだろうか。傲慢だったのだろうか。大企業を飛び出したことが果たして良かったのだろうか。」と悩みました。その時の私は、一種のウツ状態になっていたと思います。

 しかしそんな私に神様は救いの御手を伸ばしてくださり、崔先生(チョー・ヨンギ先生の義理のお母さん)主催の、関東祈祷院(今の日光オリーブの里)での、2泊3日の徹夜断食祈祷聖会に行くように導かれたのです―それは絶対的とも言える強いお導きでした―。ところが恐る恐る参加した私に、神様はその聖会で聖霊のバプテスマを授けてくださったのです。その瞬間には、自分が何も変わったようには感じなかったのですが、それによって神様は私の人生を180度変えてくださったのです。

 先ず当時私は胃腸が弱く、腹巻を手放せずにいたのですが、神様が、「腹巻を捨てろ」と命じられたので、腹巻きをしないようにしたところ、以後お腹が冷えることなく、胃腸が丈夫になりました。

 第二に、神様は私に十分の一献金を命じられました。それも税引前の十分の一です。当時私はある程度の収入は得ていましたが、家計は住宅ローンと、子供たち3人の教育費等で一杯でした。しかし神様には逆らえず、勇気をもって妻に十分の一献金をすることを宣言しました。ところが意外にも、妻は素直に「はい」と承知してくれたのです。それは全くの奇跡でした。

 しかしそれからが大変でした。私は生命保険を解約し自分の活動費を捻出しました。耐乏生活がしばらく続きましたが、その後現在まで主は聖書の約束通り我が家の家計を支え続けて下さっています。

 第三に、私は教会の長老なのに聖書を人に教えることができませんでしたが、それも不思議とできるようになりました。

 第四に、神様は私を180度変えられました。高慢だった私の鼻をへし折り、神様の前に遜ることを教えて下さったのです。自分の能力も健康も会社も社員も得意先も仕入先も、そして家庭も教会も信仰も、一切合切が神の恵みであり、自分には誇るべき何物もないのだと悟らせてくださったのです。ですから与えられたものを感謝し、大切にすべきだと・・・それは当り前ではないのだと・・・。

 それからの私の経営は一変しました。企業は人が一番大切だと気付かされたのです。企業が成長・発展するためには、経営方針や戦略も大切だが、それを実行する人次第なのだ。しかも社員は、神様が私に預けて下さっている宝なのだと。そして経営者が第一番にすべきことは、一人一人の社員に神様が与えておられる賜物を発見し、それを育てること、社員の成長と幸せを願い実現すること、同じ心を持って社員を育てる幹部を育成することだと知ったのです。

 人は自分が心から納得できる目標に向い、成長していると実感できるときが一番幸せを感じるのではないでしょうか。そのためには、短所を改めさせることよりも、賜物を発見し伸ばすことが大切です。長所は伸ばしやすく、短所は治りにくいものです。しかし、長所を伸ばすと短所は自然と消えていくか、目立たなくなるものです。そのように目が開かれると、なんと自分は、それぞれの賜物において、私より遥かに優秀な大勢の社員を、神様から預からせて頂いている責任者だということに気が付いたのです。

 このように、私が神様の前と人の前に遜ることを教えられ、変えられていく中で、神様は私に優れた助け手たちをお与えくださり、会社の業績も回復し、再び成長軌道に乗り、私と社員たちの関係も、真の信頼関係で結ばれたものとなったのです。

 さて私は62歳でビジネスを引退した後、不思議な神様の恵みとお導きにより、そして当時のCBCの校長であられた北野先生の特別なご厚意により、63歳でCBCに入学、卒業後9年間小岩栄光キリスト教会でご奉仕させて頂くことができました。以上すべてが主の恵みの賜物であり、心からの感謝を主に捧げます。

 最後にⅠテサロニケ1章のバークレーの注解書の言葉を紹介します。

「パウロは警告を与える時でさえも、落胆させずに、常に励ますことを目標にした。どんな人にでも何らかの長所はある。そして、しばしば見られることだが、その人の比較的劣った点を取り除く最上の方法は、少しまさった点を褒めることである。欠点を根こそぎにする最良の策は、更に多くの花が開くように長所を褒めることである。どんな人にとっても、叱責に対するよりは、激励に対する方が反応しやすい。」

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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