受霊の体験
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
(使徒行伝 1章8節)
私が「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を賜ったのは17歳の夏のことだった。それ以前は、幼児期の体験がトラウマにあり「異言の祈り」が大嫌きらいで待望することもなかった。
小学校就学前より、私は母と八王子基督教会(台町在)に通っていた。祈祷会は夜間にあり、まだ三十代だった母は、夜道が怖かったのか私を連れて参加していた。坂本きみ師の牧会する教会はどの集会も元気だった。
祈祷会は礼拝堂で祈る大人たち。ドア一枚で仕切られている部屋で寝て待つ子ら。礼拝堂から聞こえてくるのは激しく床をたたく音、「異言の祈り」である。眠るどころか恐怖しかなく「この祈りだけは生涯絶対しない」と誓わせた。
それでも小中校は真面目に教会生活を送っていた。しかし、高校に入学すると日曜日の過ごし方が一変した。「教会」から「街」へと。「井の中の蛙」が大海を知ってしまった。嬉しくて、楽しくて嬉々とする日々を過ごしていた。
一年余が経った時、神様に襟首をつかまれ教会に戻される体験をした。不信仰を悔い改め「聖霊のバプテスマ」を待望するようになった。毎日力ある「御霊」を求めて祈った。半年も経ち半ばあきらめていたその日に「聖霊のバプテスマ」に与った。あの大嫌いだった「異言」を誰よりも大きな声で語っていた。ただ心に迫る「御声」を聴いた。「福音を伝えよ」と。召命の言葉と受け取った。
以来60年の歳月が経った。私の周りのもの、全てが激しく変った。しかし「聖霊のバプテスマ」は、常に私の信仰と伝道の核にある。高齢になっても初代教会の使徒たちが宣教に出ていった姿に私も倣いたいと願う。特に次世代を荷う子どもらに。母からの信仰は四代目に継いだ。市(相模原)からの要請を受ければ小学生のケアにも。部活などで日曜日教会に集えない中高生には週一度家庭に赴く。そのうちの5名がこの「イースターの朝」洗礼の恵みに与る。
※教会名は、掲載時点のものです。
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