ホワン・カルロス・ゴンザレス
& コレット・ゴンザレス
Juan Carlos and Colette González
初期の頃
私は、中央アメリカのエルサルバドルで生まれました。エルサルバトルは内戦で国が荒廃し、1980年代には最後の冷戦で約8万5千人もの国民が犠牲になったと言われています。
私は、米国アッセンブリー教団の宣教師であるジョン・ブエノ師がサンサルバドルで始められた最初の学校へ行く特典を与えられました。4歳のとき、私はスポンサーチャイルドとなり、教育を受ける機会に恵まれました。私の両親はアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの先駆的な教会開拓者だったので、これは本当に贈り物でした。
私の人生には、神様の備えの長い物語があります。その当時、私の支援者は、私が他の子供達と同じ様に運動場で遊ぶことができるように靴を買って贈るようにと言う神様の声を聴いたこともそうです。
ちなみに私は、エンジニアとしてのキャリアを追求しようと考え、数学と物理を専攻して高校を卒業しました。しかし高校を卒業する前の夏に、フルタイムのミニストリーへの召しを感じました。
私は、まだ未熟な17歳の時に、サンタ・ルシアAG教会の開拓支援のために、一番危険な地域へ送られました。
間もなく、神様は、私がカリフォルニアのロサンジェルスにあるラテン・アメリカ・バイブル・カレッジで学ぶように奨学金の備えをしてくれました。1年後さらに別の奨学金を得て、南カリフォルニア・カレッジ(バンガード大学)に入学しました。この学校とその地域は、私の第二の故郷、第二の言語となりました。私は、バンガード・シンガーズの聖歌隊とオーケストラの一員として迎えられ、40名の学生グループのメンバーとしてアメリカ中のAG教会や高校を訪問しました。
それから1987年には、バンガード・シンガーズとオーケストラは、日本各地のJAG 教会へ行き賛美しました。ロジャー&ナディーン・パーキンス師夫妻、ドン&メアリー・スミス師夫妻は、このグループの支援に尽力して下さいました。船津牧師は車で案内して下さっただけではなく、私たちを東京から九州、福岡へ連れて行って下さいました。それらの集会は素晴らしいものとなり、多くの聴衆が来てくださいました。静岡の浜松キャンプでの祈祷会で、主は私の心に「日本への宣教師になる様に」と優しく語られました。私は心の中で神様に「自分はきっと適切な人物ではない」と主張しました。私はその時、すでにスペイン語を話していましたから、神様は私をラテンアメリカで用いて下さるだろうと思っていたからです。ところが、神様はロジャー・パーキンス宣教師を通して、日本には宣教師が必要で、今もまだ必要だと私に断言されました。その一方で、ラテンアメリカは爆発的に成長しており、リバイバルが起こっているのです。しかし他方では、1%以下のクリスチャンしかいない日本を経験したのです。
私は、アメリカに戻り、ドン&メアリー・スミス師の娘コレット(スミス)と結婚しました。この全ての過程に、神様の導きの糸が見えますか?神様は全てのピースを組み合わせて下さったのです。
日本での伝道
1989年に、宣教師の義父母が1年間アメリカへの宣教報告で帰国するため、私たちはその代理として、春日クリスチャンセンターを手伝う奉仕を引き受けました。私たちは、城之木利恵牧師を手伝い、沢山の子どもたちや大人たちを教えました。
その1年後に、私たちはカリフォルニアで協力牧師となり、日本での宣教師に任命されました。以来、ホテルの会議室を借りながら、博多ニュ―ライフの牧師を手伝いました。当時、地元の企業の協力を得て、毎週300人以上のホームレスに食事を提供していました。牧会をし、新しい人々を連れて来ることが喜びでした。九州教区の先生方と一緒に働く事は、大好きです。彼らは最高です。
2002年に私たち家族は福岡市西区に移転した後、ゴスペルコンサートを開催して、百道シンフォニーチャーチの一歩を踏み出しました。この教会を始めるためには、長い時間が必要でした。私たちは子どもたちやその家族に福音を伝え、音楽を通して宣教することに全力を注ぎました。2022年3月、百道シンフォニーチャーチは、自分たちの建物を購入しました。土屋理事長が、この2日間の献堂式の為にメッセージを語って下さいました。
私たちのビジョンは、子どもたちや若者への伝道を続け、音楽やメディアを通して日本のコミュニティーや世界へ伝道する方法を続ける事です。
日本語は、私の第3言語となり、日本は私の家族にとって30年来の故郷となっています。2人の子どもたちは成長し、博多弁で日本語を覚えています。ニッキーは教師になり、ステファンは、カリフォルニアでユースパスターをしています。
皆さんは、この全てに神様の糸が見えますか? 私は、神さまが誰かを伝道のために召される時、神様もまた備えて下さるのを見て、驚いてしまいます。私たちが関わってきたことは、どれも私たちの賢さによるものではなく、私たちの人生における神様の御心と関係しています。
日本は、美しい国です。しかし、イエス様が来るまで聖霊様の力によって教会を建てあげるためには、キリストを伝えるという神様の召しに応答することができる多くの人が必要です。
神様の誠実さにかなうものはありません。あなたが行ったこともない所、話したこともない言葉、食べたこともない食べ物のある所に神様が連れて行って下さると信じてみませんか?私は、そう信じました。そうして本当に良かったのです。
コレット・ゴンザレス
私は、コレットです。私の両親であるドン&メアリー・スミスは38年間日本で宣教師をしていました。私は、1968年12月に初めて横浜に到着しました。
私は宣教師として戻ってくるつもりはなかったのですが、1987年にバンガード大学のシンガーズとして日本でツアーをしている時、祈祷会で主による召しがありました。私は数学と科学の学位を取得して、大学を卒業したばかりの頃でした。
神様は私の日本文化と日本語に対する理解力を利用して、日本の失われた人々に手を差し伸べてくださると信じています。神様は私に与えて下さった才能を、神の栄光のために用いておられることが分かります。私は、へりくだって神様に用いられる者でありたいのです。
感想・コメントはこちらに♪