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聖霊のバプテスマの恵み(26)平松厳

 

桶狭間キリスト教会
平松厳

私の聖霊のバプテスマ体験

神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。

(ヨハネの手紙第一 3章24節)
聖書 新改訳©2003 新日本聖書刊行会

私の聖霊のバプテスマ体験

 私が聖霊のバプテスマを受けたのは、小学3年生の時でした。近隣の教会と合同で行なっている夏のキャンプに参加した時、いつものようにキャンプファイヤーを囲んで聖書のメッセージを聞いた後、みんなで祈っていました。その祈りの時に、私の伯母が「厳ちゃん、聖霊の満たしを求めて祈るんやで。」と聖霊のバプテスマを求めて祈るように促してくれました。

 それまで、教会の中で他の大人が異言で祈っているのを聞いていましたし、祈りの中で感動し、涙しながら祈ることもありました。ただ、その時は聖霊のバプテスマを受けるとどうなるのかについてはよくわかっていませんでした。

 祈りの間、たくさんの人たちが代わる代わる助祷してくれました。たくさんの人たちが心を注ぎ出して祈ってくれることを嬉しく思い、また不思議な感動を覚えて涙しながら祈っていると、自分の舌が勝手に動き出し、口から知らない言葉が溢れ出してきました。言葉の意味は分かりませんでしたが、不快な感じではなく、むしろ神様をもっと近くに感じるような感覚でした。

 気がつくと祈りは集会の予定時間を遥かに超え、一緒に受霊した数人と共に2時間近く祈っていました。それまでそんなに長く祈ったこともなく、2時間も経っていたことに驚きましたが、疲れよりも聖霊のバプテスマを受けたこと、神様を近くに感じて祈ることが出来た喜びが勝っていました。

 それ以後も聖霊に満たされて祈る時、確かに神様が近くにいてくださることを体験しました。それらの体験は、神様の語りかけや教えに気づかせ、自分の価値観や大切な決断にも大きな影響を与えてきました。ある時は自分自身の問題が示され、ある時は自分が執着していることについて、神様に明け渡すように迫られ、またある時にはどうにもならない自分自身を責める思いに対し、神様が私の弱さをすでに知っておられ、それらをわかった上でさらに深い愛と力をもって覆ってくださることを示してくださいました。

 聖霊のバプテスマを受けてから37年経ちますが、今も聖霊に満たされ続けることを願って歩んでいます。


 ヨハネの手紙第一 3章24節
 神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。(新改訳改訂3版)

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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