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宣教師の証-スーザン・リケッツ宣教師

スーザン・リケッツ宣教師|Susan Ricketts

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド・ワールド・ミッション


アラバマ・ミニストリー・ネットワーク


カイ・アルファ・ジャパン

カイ・アルファ・ジャパン www.chialphajapan.net

神様からの召し

8歳のときでした。ある日曜夜の礼拝の中で家族と一緒に教会の椅子に座っていた私は、ゲストスピーカーのメッセージの中で呼びかけがあり、神に応答するために前へ進み、イエス様に人生を捧げたのです。そして2年後、教会のユースキャンプで聖霊のバプテスマを受けました。その翌日の礼拝では、講壇へ招きがあり、神は私に仕えるように、と召されました。それが何を意味するのかその時は分かりませんでしたが、私は神を求め、神を知ろうと努めました。大学に入ると、アラバマ大学のカイ・アルファを紹介されました。すぐに私は、「キャンパス・ミニストリーを通して、神に仕えるようにという神の導きだ」と分かりました。卒業後、私は自分のキャンパスでカイ・アルファのボランティアとして働き、その後ワシントン州ベリンガム市にあるウェスタン・ワシントン大学でキャンパス・ミニストリーのインターンとなりました。

1991-1998

アラバマ州に戻り、1991年から1993年までアラバマ大学で、1993年から1999年までサウス・アラバマ大学でキャンパス・ミニスターとして奉仕しました。1998年は、神は私を世界の国々、特にアジアに焦点を当てた祈りと断食の1年へと導いてくださいました。

 

1999-2003

1999年5月、私は最初のカイ・アルファ・ミッション・チームの共同リーダーとして日本に行きました。当初その時期にはこのチームは中国に行き、英語を教えることになっていました。しかし、出発の2週間前、政治的抗議行動による渡航勧告のため、私たちは中国に入国できなくなったのです。2週間様子を見た後、私たちは日本へ行くことになりました。その1ヶ月の伝道旅行の間、7人の学生と3人のカイ・アルファのキャンパス・ミニスターからなる私たちのチームは、宣教師やJAG(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)の牧師と共にキャンパスや教会で奉仕しました。

1999年5月28日、カイ・アルファ初の日本ミッションチーム 宣教師北野ジョイスとともに、東京にて

この短いミニストーリー期間中に私が感じ始めたたことは、長期的なミニストリーが日本には必要であるということでした。ジョイス北野師は、私に仁井田義政牧師と幸子牧師を紹介してくれました。彼らはフルタイムで英語のクラスを教える人を探していました。私はそれに同意し、帰国後すぐに、米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの短期宣教師として奉仕する準備をして、その年の秋、日本に戻ってきました。

それから3年間、私は週5日、子どもから定年退職者まで、あらゆる年齢の人たちに英語のクラスを教えました。また、仁井田牧師夫妻が牧会される溝の口キリスト教会では、「ウィンディ・ロード」と呼ばれるゴスペル・クワイアの立ち上げも手伝いました。予定が合えば、東京でのカイ・アルファ・キャンパス・ミニストリーために、米国AG宣教師のジョイス北野師と英国AG宣教師のジャッキー・ブロック師を手伝いにいきました。

その間、研修セミナーやプレイヤーウオークが行われました。これらのセミナーに触発され、早稲田大学、立教大学、東京外語大、慶應義塾大学(私が覚えているのはこれらの大学です)などで、週一回の聖書勉強会が始まりました。2001年12月には、日本人学生、ボランティア、宣教師のグループが、カリフォルニア州ロサンゼルスで開催された初のカイ・アルファ国際会議「World SALT」に参加しました。より大きなビジョンを持って日本に戻った私たちは、より多くの学生に手を差し伸べるためにと、より多くのキャンパスを神が開かれるのを目撃しました。

自分の人生経験とミニストリーの経験を通して、神は私に長期的なコミットメントの価値を示されました。そこで2002年、私は按手されるためにアメリカに戻り、正式な宣教師として支援を募りました。2004年、私は日本に戻ってきました。

 

2004-2007

私は以前の奉仕を再開しましたが、より責任のある仕事を任されるようになりました。そして、ついに日本語学校での学びを始めました。同時に、パートタイムで英語を教え、溝の口キリスト教会でウィンディ・ロード・ゴスペル・クワイアと共に色々なアウトリーチ・コンサートに出演し、東京の様々な大学で聖書研究会を開きました。さらには、つくば国際クリスチャンアッセンブリーで説教のミニストリーの手伝いと、仁司先生とともにグローバル・ユニバーシティ事務局のディレクターを務めるように頼まれ、奉仕してきました。神の支えとなる恵みに驚きながら、当時を振り返っています。

東京大学の聖書研究会

 

2008-2013

一年間の巡回を終えて日本へ帰国後、東京アーバンチャーチ(旧大島キリスト教会)で酒井知愛・朗子牧師夫妻と共に奉仕を始めました。(1999年夏期の伝道旅行で、当時CBCの学生だった朗子先生に出会っていました。2006年に酒井先生にお会いしたのは、お二人が牧会のため東京に移られてまもなくのときで、酒井先生は、立教大学と昭和女子大学でカイ・アルファの働きを手伝っていました。) 私は、平日は東京近郊の3つの、多いときは4つのキャンパスを訪れ、アウトリーチや祈り、聖書の学びのために学生たちと会っていました。また、2013年までグローバル・・ユニバーシティのディレクターを務め、2010年から2011年までは、宣教師サリー・スナイダー師の代わりに米国宣教師団事務で臨時事務長を務めました。

カイ・アルファ・スチューデント・センター(旧:上高田キリスト教会)、東京都中野区

私たちのカイ・アルファ宣教チームは、牧師、教会奉仕者、ボランティアのために全国カイ・アルファ大学伝道セミナーを開催してきました。その結果、キャンパス・ミニストリーの数は25キャンパスまで拡大しました。東京では、学生たちの交わりとミニストリーのために集まるためのスペースが必要でした。2007年、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団から東京都中野区にある上高田キリスト教会の建物が贈られました。内装の改修を経て、2008年秋、このビルは「カイ・アルファ・スチューデント・センター」として献堂されました。2009年の夏には、この建物で5つの米国チームを受け入れることができました。チームは私たちと一緒にキャンパスを訪れ、学生に出会い、スチューデント・センターでのアウトリーチ・イベントに招待してきました。それ以来、私たちは数多くのチームを受け入れてきており、それらのチームは日本のキャンパスや教会のミニストリーのために多くの貢献をしてくれました。

 

2014-2019

アメリカから短期ワーカーが来るようになったので、私はトレーニングの役割に回りました。2014年には、短期キャンパス・ミニストリー・インターンシップ・プログラムを開始しました。2016年、私は再び米国宣教師団の臨時事務長の役職に就きました。私は、週に多くても2つのキャンパスに焦点を絞ることにしました。その秋、サリーとブライアン・スナイダー宣教師ご夫婦が引退することになり、米国アッセンブリ―ズ・オブ・ゴッドの太平洋地区代表は2017年に私を事務長に任命しました。また、同年には、アメリカのグローバル・ユニバーシティを通して、私はついにミニストリーの修士号を取得することができました。私の修士論文は、日本の大学生にカイ・アルファのキャンパス・ミニストリーを展開するための5カ年計画について詳述したものです。

この期間のことです。私たちは立教大学の大学院生であった康子さんと出会いました。彼女は故郷の長崎では、仏教を信仰する家庭で育ちましたが、学生時代に福音を聞きました。 毎週行われるカイ・アルファの聖書の学びの集まりに参加した後、ついにイエスに従う決心をしました。 ほどなくして、彼女は聖霊のバプテスマも受けました。 しかし、洗礼を受けることをためらっていました。家族にも祝福してほしいという思いからでした。私たちは、彼女が両親に話すのにふさわしいタイミングが来るまで祈り続けて待つように励まし、彼女の家族のために一緒に祈りました。

その間、彼女の妹、路乃さんが上智大学へ通うために上京してきました。 康子さんが私たちを紹介してくれたので、すぐに路乃さんは、自分のキャンパスで聖書の学びを始める手伝いをしてくれることになりました。 1年以上の間、彼女と彼女の友人たちは、私たちのミニストリーチームと一緒に聖書を読んできました。2017年の夏、余語亮太宣教師が米国からカイ・アルファのチームを連れてきて、私たちのミニストリーチームと協力してくれました。(彼は米国で学生時代にクリスチャンとなり、現在は米国でカイアルファのキャンパス宣教師として働いています。)ある夜、カイ・アルファ・スチューデント・センターでメッセージをした際、彼は学生たちにイエス様に応答するように呼びかけました。最初に応えたのは路乃さんでした。彼女はその夜、イエス様に人生を委ねたのです!

この2人の姉妹は、家族の中で初めてクリスチャンとなりました。やがて2人はそれぞれ両親の祝福を受け、イエスに従うことを決意して洗礼を受けました。私たちの祈りに神が答えてくださったのを見て、とても感動しました。私たちは使徒行伝16章31節に従って祈ってきました。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」 私は個人的に、日本の家族全員がイエス・キリストを通して救いを得られるよう、神を信じるように励まされてきました。時間はかかるかもしれませんが、神には不可能なことは何一つありません。

2016年3月3日~4日、全国カイ・アルファ・トレーニング・セミナー、中央聖書神学校チャペル(駒込)にて

 

2020-2024

2020年5月に私は巡回から日本に戻ってくる予定でしたが、COVIDの影響で9月まで帰国できませんでした。カイ・アルファ・ジャパンは2022年までオンライン伝道を行いました。2022年の夏、私たちは東京の29の大学でプレイヤウオーキングをしましたが、そのうちの3つしかキャンパス内には入ることができませんでした。私たちは、学生たちに出会うためにキャンパスに戻れるよう、どうしたらよいか考え、祈り続けました。

神は私たちの祈りに応えてくださいました。秋になり、神はカイ・アルファの卒業生で、東京大学で働き始めた愛姉と私たちをつないでくださいました。東京で牧師になったもう一人の元学生、孟一博牧師は、台湾からの大学院生アーニー兄を紹介してくれました。愛姉とアーニー兄の支援により、私たちは正式に東京大学の学生団体としてキャンパスで活動できるようになりました。また、早稲田大学のあるクリスチャン教授のおかげで、2023年には早稲田大学でのミニストリーも再スタートすることができました。

2024年7月12日、カイ・アルファ・スチューデント・センターでのカイアルファ大学生フェローシップ

(コロナ禍で閉ざされていた外国人の)日本への入国が2023年に再開されたときには、過去最多の11チームが来日しました。2024年は5チームを受け入れました。これらのチームはすべて、イエス様を紹介するために、キャンパスで学生に会い、交わりやアウトリーチ・イベントを通して私たちと共に働いてくれました。私たちのミニストリーチームは、1対1の弟子訓練をできる学生を意図的に探し始め、クリスチャンの学生たちに、霊的に成長する方法や、キャンパスで簡単な聖書研究を導く方法を教えています。成長した彼らは今素晴らしい働きをしています!

こういった新しい世代の学生たちが育っていくのを見るのは、なんとエキサイティングなことでしょう!  非公式な教会調査によると、日本の20歳から24歳の若者はキリスト教のメッセージを最も受け入れやすく、日本のクリスチャン人口の51%を構成しているといいます。これは私たちの経験からも当てはまります。カイ・アルファの卒業生のうち、少なくとも13人が中央聖書神学校に進み、牧師やフルタイムの教会指導者となっています。

日本は長い間、宣教の難しいところでありましたが、キリストと和解した、若く情熱的な大学生こそが、日本に霊的変革をもたらす鍵であると私は信じています。歴史的に見ても、キリストと和解した学生たちが霊的覚醒と宣教の火付け役となってきました。現在の巡回を終え、2025年秋に私が日本に帰国した際には、見たこともない霊的変革が日本の若者たちを通して起こっているのを目にしたいと祈り願っています。

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