子ども伝道(1)
「今日も、誰かひとりのために」
藤村良彦
子ども伝道準備室長
藤沢オリーブチャペル牧師
ある中学生の話です(子ども伝道の範囲に入るのか、少し微妙なのですが・・・)。中学生の時に父親が家を出ていきます。彼には何があったのか、まったくわかりませんでした。それまで楽しく4人家族で夕食を食べていました。地方公務員の父親で、特別苦労することのない家庭環境でした。一時期は中学受験も目指したほどですから、少しは豊かだったのかもしれません。


父親が出ていったときからすべてが一変します。家族で夕食を共にすることもなくなりました。テレビがご飯のお供になりました。彼は部活に明け暮れ、家の中の問題を感じる余裕もないほど忙しく、そのうちバンド活動まで始めます。部活のテニスでは好成績を収め、学校でバンド演奏をすれば多くの生徒が集まってコンサートが開かれました。ところが、どんなに何かに打ち込んでも、どんなに人から褒められても、埋めることのできない心のむなしさを感じていました。
特に寂しさを感じる時には、一人海岸に行き時間を潰します。江ノ島、湘南海岸にはいくらでも時間を潰すことのできる場所がありました。
そんな時、東京で有名なバンドの大きなコンサートが開かれました。中学生のバンドチームはお小遣いを集めて、ようやく手に入れたチケットをもって会場に行き、2時間近いコンサートを満喫します。ところが、帰りの地下鉄のホームで、冷たい風が吹いてきたとき、それが心の中にまで流れ込んでくるような感覚になり、「すべてが終わったんだ」という絶望的な感覚を味わってしまうのです。

そんな時に、初めて教会に誘われます。
「教会に行って何するの?」
それが最初の質問でした。
「かわいい子がいるんだよ」
それならぜひ行ってみたい。心の中にあるむなしさを、人からの賞賛や評価などで埋めようと思っていた彼にとって、それは魅力的な言葉でした。
そして初めて行った教会の中学生礼拝。そこで捧げられている賛美に衝撃を受けます。それまで自分が演奏していた音楽は、自己主張するための演奏であり、評価を得るためのアピールだったために、コンサートが終わるといつもきまって、心の中に冷たい風が吹いてくるのに、教会の帰り道、今まで経験したこともないほどの温かさが心の中にあったのです。
その日から、キーボードを抱えて音楽スタジオに行っていた彼は、キーボードを抱えて教会に通うようになりました。そしてイエスさまに出会ったのです。
この中学生は私です。
イエスさまに出会うことがなかったなら、私はどんな人生を歩んでいたのでしょう。もう生きることをあきらめていたかもしれません。
今はイエスさまに拾ってもらったという感謝の思いで一杯です。そして、あの頃の私のような幼子が、今日も街中を歩いてさまよっているのではないかという思いに駆られます。目的もなく、絶望感を感じながら、ただ歩いている。
音楽でも、スポーツでも、世の中の成功でも埋めることのできなかった心の空洞を、イエス様だけが満たすことができます。

哀歌 2:19
夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。

- 教会に子どもがいないから、子ども伝道が必要だ。
- 日曜学校に通っていた子どもたちの方が大人になってから教会に行く確率が高い。
- 教会の高齢化を止めるために、子ども伝道をしなければ。
- アッセンブリー教団は1984年6000名、2000年に3000人いた日曜学校出席者が2023年には1500名を切ってしまった。危機的な状況だ。
- 2023年教会学校開催教会は122教会で、全体の約半数では行われていない。
どれもすべて正しい受け止め方です。
でもこれらが私たちが子ども伝道を行う動機ではないはずです。
キリストにしか、救いがないのです。
ですから、あきらめないでください。
あなたのそばに、必ず、福音を必要としている子が今いるからです。
世界各地を会場に毎週100万人の子どもたちが集まる世界最大の日曜学校、メトロミニストリー創設者ビル・ウィルソン牧師。
12歳の時、母親から「ここで待っていなさい」と言われて街角の配管の上に座りながら3日間も母親を待ち続けます。帰る場所もなく、そして捨てられてしまうのです。でも、彼の様子を見ておかしいと思い、声をかけたアッセンブリー教会に通う人物を通して、人生が変えられていきます。
ビル・ウィルソン師は、世界各地で子どもたちのためのミニストリーを展開しています。フィリピン・マニラで責任を持っているのは米国宣教師だったマクレン宣教師のお孫さん。数年前にマニラ墓地に住む子どもたちに対する働きに同行し、棺を納める穴の中で生活する子どもたちが、笑顔溢れながら賛美する姿に感動しました。
ビル・ウィルソン師は今でも、クリスマスイブになると「あの配管」の上に座り、時間を過ごされます。自分の原点を忘れないために、主がどんなに良くしてくださったかを思い出すために。そして今でもマイクロバスを町中に走らせ、決して一人も見逃すことがないように、12歳の時の自分が今日さ迷い歩いているかもしれないという思いを持ちながらハンドルを握られています。

さあ、今日も、誰かひとりのために!

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