
井桁久志
異言で祈ることは
聖霊様を認めること
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。
(ヨハネによる福音書7章38節)
日本聖書協会 口語訳

わたしが聖霊のバプテスマを受けたのは神学校に入学する前、超教派の集会で、聖霊のバプテスマを求めたときでした。聖霊のバプテスマについて深い知識はなく、異言の伴う聖霊のバプテスマを受けたい人は前に出て下さいと講師に言われ、言われるがまま、前に出て祈りました。講師が使徒行伝から、聖霊のバプテスマについての箇所を示し、信仰によって受け取りましょうと言われ、手を置いて祈っていただいた時、自分の口から訳の分からない言葉が出ていました。洗礼を受けた時、救いの体験が明確だったので、聖霊のバプテスマを受ける時も、特別な出来事で、洗礼を受けた時のような深い感動があるのかと思っていましたが、そのような感動はありませんでした。「え、これで聖霊のバプテスマを受けたのか?」と自分の中には疑いがありました。しかし、その集会に一緒に出席していた方が、「自分は長い間、求めても与えられなくて、やっと聖霊の恵みを頂いたのに、井桁兄は簡単に受けられて、うらやましい」と言われました。
しばらく、聖霊のバプテスマを受けたことが半信半疑だったのですが、異言で祈り続けるようにと講師に言われたことを思い出し、異言で毎日、自室で祈り続けました。そのような中、ある日、異言で祈り始めましたが、腹の底から湧いて出てくるような感覚を覚え異言が止まらなくなりました。異言の祈りが止まることなく、深い感動を覚えました。ヨハネ 7:38の「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」という御言葉が思い出され、その時、半信半疑だった思いから聖霊のバプテスマを受けていたことを感謝し、確信することができました。
ある集会に出席した時、祈りのミニストリーの時に、奉仕者がマイクを通して異言で祈り続け、会場に異言の祈りが響き渡っていましたが、聖霊様の臨在が濃厚でした。その体験をもって、ある教区のキャンプに講師として呼ばれた時、メッセージの後に聖霊のバプテスマを求める人、聖霊の満たしを求める人は前に出て下さいと招いた時に、祈りの間中、教区の先生に異言を通してマイクで祈り続けてくださいとお願いしました。その時、聖霊の臨在が豊かに溢れ、聖霊のバプテスマを受けた方や聖霊に再び満たされた方が起こされ、集会に出席された方々が「本当に聖霊様が豊かに臨在されていた」と喜んでおられました。異言で祈ることは聖霊様を認めることであり、聖霊様が豊かにご臨在されることであることを改めて教えられました。主がなしてくださった御業を感謝し、主に栄光をお返しします。

※教会名は、掲載時点のものです。
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