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聖霊のバプテスマの恵み(33)佐藤誠

 

武蔵野基督教会
佐藤誠

新しい自分に出会えた喜び

主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。

(コリント人への手紙第二3章17節)

日本聖書協会 新改訳2017

新しい自分に出会えた喜び

 牧師の家庭に育った私にとって、聖霊のバプテスマの恵みの中に日々置かれていることは自然なことでした。幼いころから異言を耳にし、理解できない言葉で叫んだり、賛美とも祈りとも言えない声で神に向かっている光景を見ながら育ってきました。「お母さんは、なんて言っているの」と、興味津々で聞いた事もありましたが、説明されても理解できませんでした。 

 中学生になると夏のジュニア・キャンプに行くようになり、同年代の子どもたちが真剣に祈っているのを見て、私もイエスさまを救い主として信じる信仰を決心しました。その後、毎年キャンプに参加していたのですが、聖霊のバプテスマを求める祈りの時間は苦手でした。それは、あれだけ幼いころから異言の祈りの中に置かれていたのに、いざ自分も聖霊のバプテスマを求め祈らなければならないとなったとき、自分には無理だという思いと疎外感のようなものが私の心を支配していたからです。 

 そんな煮え切らない信仰でしたが、将来に向け進学する時期となり、また、教会での自分の立ち位置に不安を感じたりする中、今度のキャンプでは聖霊のバプテスマを真剣に求めてみようという気持ちにさせられました。キャンプファイヤーでの祈りの時間、招きに応え一歩前に出ると、入れ替わり先生方が手を置いて祈ってくださいました。その中でもY先生は、私のこわばっている頬をマッサージするようにして声を出させ、もっともっとと消極的な思いを奮い立たせ、恐ろしいぐらいの迫力で導いてくださったことを鮮明に覚えています。 

 自分のために、こんなにまでして祈ってくださる先生の姿にイエスさまの憐れみを見る思いでした。いつしか自分の舌が勝手に動いていることに気付き、驚いたと同時に感じたことのない「これで良いんだ」という平安で満たされました。キャンプの後、「聖霊のバプテスマを受けて、何でもできるような気になりました。」と証ししたことを思い出します。 

 実際、その後の学生生活や信仰生活が大きく変わりました。何でもやってみようという思いが強くなり、大学の聖書研究会やKGKの集会、夏のキャンプを梯子し超教派での奉仕など、どこにでも顔を出すようになりました。教会でバンドを組み、賛美奉仕の機会を自分から求めていきました。私にとっては、「実は、目立ちたがり屋だった」、と新しい自分に出会えたことが、聖霊のバプテスマの恵みの一つです。

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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