
宣教師としての証し
-世界半周逆輸入宣教師-
木崎智之師
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1971年、川崎で生まれた。6歳までに3回引っ越したからそういう人生を歩む定めだったんだろう。京都で小中学校に行ったがいい思い出がとんとない。塾も部活も行かない、友達もいない、つまらない人生だった。キリスト教とも無縁。小学校にエホバの証人の友人がいて、それがクリスチャンだと思ってた。

14歳でイギリスに留学する機会があって全寮制の高校に入学したが、男子寮ではみんな酒を飲んだりタバコを吸ったり女子を追い回したりやりたい放題。後輩いびりもほぼ公認。日本の学校が面白くなくてイギリスくんだりまで行ったのに…と幻滅。国が変わっても人間はどこも一緒。みんな悪(ワル)。そう人類を断罪したとき、自分もその一員であることに気づいた。絶望。勉強する目標も生きてる意味も分からなくなって精神崩壊。対人恐怖で寮の食堂に行けなくなって図書館で隠れてビスケットをかじってた。
そのときクリスチャンの友人が言った。「最近ちょっとおかしいよ。祈ろうか?」祈りが何かも分からなかったけど、誰もそんなこと言ってくれたことがなかったから見様見真似で祈ったら、それまでの不眠が嘘みたいによく眠れた。「これ、神様いるわ。」それから聖書を読み始めて、1ヶ月ほどでイエス様を信じた。

しかし、当時の日本は統一協会の全盛期。宗教団体に巻き込まれたと危惧した両親から、家で聖書を読むことと日曜に教会の礼拝に出席すること以外全部禁止された。交わりも愛餐会も大学のクリスチャンサークルもダメ。一人ぼっちの寂しいクリスチャン生活。

でもその3年間で、ひたすら聖書を読んで神様に祈るという信仰姿勢が形作られた。群れない、人に頼らない、誰にも忖度しない、他人と比較しない、人の評価を気にしない信仰になったんだから、何が幸いするか分からないのが神様のご計画。
ただその頃は一人でいくら聖書を読んでも意味不明、どんなに祈っても神様の声なんて聞こえない、だから自分にはクリスチャンは無理だと諦めモードに陥ってた。教会を転々として最後に行ったのがアッセンブリー。(って何だ?)
そこにいる人たちの信仰を見て、自分もこんなふうに神様を素直に信じれたらどんなにいいだろうと思って祈ったら、誰にも祈られてないのに聖霊のバプテスマを受けた。自分でも何が起こったのか分からず、恐るおそる牧師に話したら使徒の働きから聖霊のバプテスマの神学を教えられて納得。
聖霊のバプテスマを受けて伝道以外にやりたいことがなくなってしまった。大好きだったチェスもフェンシングも、もう楽しくない。駒も剣も未練なく手放した。クリスチャンになって3年間、一人も教会に誘うことすらできなかったのに、今や道行く人に手当たり次第伝道している自分を見て、これは自分の力じゃないと実感。

大学では社会政策学を専攻。ホームレスの炊き出しに参加して、ホームレスがマリファナを吸ったり アル中になっていく様を目の当たりにした。3年間ガチで取り組んで卒論もホームレス問題について書いたがそんなことでは何も改善しなかった。いくら福祉を充実させても人の心が変わらなければ社会はよくならない。やはり福音宣教しかないと心を決めた。
教会がどこにあるかも知らない、クリスチャンの友人もいない、自分のような多くの日本人にイエス様のことを伝えたいと思って日本に帰ろうと思ったらアジアで神学校に行った方がいいとアドバイスされてフィリピンへGo!
そこでオリヴと出会った。付き合って3日目にプロポーズ。「ちょっと待って」と言われて1年後に結婚。APTSでは人生の師のような教授に2人出会えたが、正直、学校で勉強したことより、結婚して寮を出てフィリピン人の間で生活したり(冷蔵庫・洗濯機なし、プラス半年トイレットペーパー使わずに生活してみた!)、山に宣教に行ったり(寝たきりの人が起きたり悪霊が出現したり!)して学んだことの方が役に立ってる。
帰国して伝道を始めたらギャンブル依存、アル中、ホームレス、精神疾患に自殺未遂と、重大問題を抱えた人たちばかりが集まってきた。一時は6部屋あるアパートの住人12人のうち11人が教会に来るぐらいになったが、目と手が回らない皿回し状態。彼らをキリストの弟子として育てるには共同生活するしかないと、2007年に沖縄で一軒家を借りてティーンチャレンジをスタート。最初の半年は東京から飛行機で「通勤」した。

2011年3月11日、東日本大震災勃発。居ても立ってもいられなくて仙台に行って惨状を見たら、今度はやめられない止まらないになって東松島に半年間、毎週通った。以降、2014広島土砂、2016熊本地震、2018西日本豪雨、2024年能登半島地震と、災害が起こる度に出動している。
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ティーンチャレンジの全寮制センターを岡山に建設して、2013年にまた引っ越し。ところがコロナになって生徒がゼロ。それに伴い収入も。どうしましょうと祈ったら普通の教会を開拓するようにとのお告げ。日本中が三密自粛って騒いでるのにどうやって人を招くんだ?ダメ元で近所のダンススタジオに頼んだら二つ返事でOKが出て、2021年11月、ホープセンター岡山が始まった。
コロナ禍で経済的に厳しい家庭が増えたので、スーパーから賞味期限が近づいた食品をもらって配布するフードパントリーを始めた。週1だった働きが今や週4になり、ノンクリスチャンがホープセンターに繋がるメインのミニストリーになっている。

社会のニーズに応えていけば、人は神様の力とイエス様の愛を感じて救われる。
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」マタイ5:16

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