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海外ミニストリー(1) 「歓喜」の種が蒔かれるとき

「歓喜」の種が蒔かれるとき

~南アジア某国における
NGO設立の軌跡~

親愛なるアッセンブリー諸教会の兄弟姉妹方、主の聖名を心から賛美いたします。 私は現在、南アジアにある某国で主に仕えています。

世界有数の人口密度を持つこの国は、イスラム教徒が国民の約9割を占める地でもあります。この地で、どのようにして私たちのNGOが誕生したのか。それは、人の計画を遥かに超えた、主の不思議なご計画と憐れみによるものでした。

全4回の連載を通して、この地で主が成しておられる御業(みわざ)を証しさせていただきます。第1回目は、その「始まり」について分かち合いたいと思います。

◆ 衝撃の問いかけと、主の取り扱い

全ての始まりは、2013年に遡ります。私はアジアのI国で開催されたキリスト教の国際会議に出席していました。そこで主が引き合わせてくださったのが、B国で当時YMCAの理事長を務めていたW氏でした。

W氏は会議の席で、B国におけるクリスチャンへの激しい迫害について報告されました。クリスチャンであるという理由だけで家を焼き討ちにされる、暴力を振るわれる、中には体の一部を切断されて殺害されるという、耳を塞ぎたくなるような凄惨な事件さえ起きているというのです。 キリスト者として平和に暮らせる日本で生活してきた私にとってそれは想像を絶する現実でした。報告を聞き終えた後、W氏は個人的に私に語りかけてくださいました。

「B国の人々はね、いろんな国の人たちの中で、日本人が一番好きなんだよ」

そして、少し寂しげな笑みを浮かべて、こう続けられたのです。 「もし、君がこの地に来てくれたらどんなに良いかとは思う。……だが、君は来ないだろう」

その言葉は、鋭い矢のように私の胸に突き刺さりました。「君は来ないだろう」。私には、まるで主から「お前はこの現実を見て見ぬふりをするのか」と問われているように響いたのです。

その夜、私は部屋に戻り、一人祈り始めました。しかし、当初私の心を占めていたのは、迫害する人々への「激しい怒り」でした。義憤に駆られ、神に訴え続けたのです。

しかし、祈り続ける中で、主は静かに、けれど力強く私の心に触れられました。「イエス様ならば、どうされるだろうか」。その問いが心に浮かんだとき、答えは明白でした。 イエス様ならば、迫害する者たちを憎むのではなく、彼らのために祈られるでしょう。そして、彼らの中にある「最も弱い立場に置かれている人々」の元へ行き、愛を持って仕えられるはずです。

その瞬間、私の内側にあった怒りの炎は消え去り、代わりに「愛の負債」のような重みが心に宿りました。私はイスラム圏、とりわけB国での宣教のために祈り、行動に移すべきではないか。主よ、ここに私がおります。私を用いてください。 それが、この地への宣教の召命が与えられた瞬間でした。

◆ 幻(ビジョン)を共有する友との出会い

召命は与えられましたが、イスラム教国でいきなり教会を建てることは困難です。そこで私は、「医療、教育、福祉、ビジネス」などを通して地域に仕えるNGOという形であれば、宣教の扉が開かれるのではないかと考えました。

「神様、その道の協力者を与えてください」。私はそう祈り始めました。来る日も来る日も、具体的には2年間、この祈りを積み上げました。そして2015年の夏、主は劇的な方法でその祈りに答えてくださったのです。

私はアジアのP国にある某神学校を訪れていました。当時、日本からそこに宣教師として仕えておられたY先生にお会いし、私のB国での宣教への志と、NGOによるアプローチを考えている旨をお話ししました。 すると、Y先生は驚いたように、そして嬉しそうにこう仰ったのです。 「なんと、ちょうど今、B国の牧師がこの神学校で学んでいるよ。彼は以前、現地のNGOで働いていた経験があるから、彼を紹介しようか」

ハレルヤ! 主は生きておられます。2年間の祈りの答えが、日本でもB国でもない、全く別の地で用意されていたのです。 その日のうちに、Y先生のお住まいで一人の兄弟と引き合わされました。それが現在の働きのパートナーであるR師です。

R師は、B国のキリスト教系NGOで8年間勤務し、B国各地で児童養護施設立ち上げの責任を担ってきたプロフェッショナルでした。彼は昇進の打診を断り、神からの召しに従って神学校で学んでいました。彼の研究テーマは「ソーシャルミニストリーはいかにして未伝道の人々に福音を伝える架け橋になりうるか」。そして修了後は母国に戻り、まさにNGOを通して宣教がしたいと願っていました。

さらに驚くべきことに、彼は「働きを共にし、外側から助言と監督をし、サポートをしてくれる仲間」を切実に探し求めていたのです。 私たちが互いのビジョンを語り合ったとき、そこに偶然は一つもありませんでした。医療、教育、福祉、ビジネスを通して弱い立場の人々に仕え、福音を伝えていく。私たちが別々に描いていた幻は、実は主が描かれたたった一つの設計図だったのです。私たちはその場で、互いが神の大きな計画によって出会わされたパートナーであることを確信しました。

2015年の夏、Y宣教師宅にて協働者と出会う

◆ 「歓喜」の器、当団体の誕生

R師が某神学校を卒業し帰国した翌2016年の初頭、私たちはB国で視察を行いました。街中には物乞いをする子どもたちの姿があり、農村部の生活は困窮を極めていました。貧困が子どもたちに及ぼす深刻な影響を目の当たりにし、私たちは「ただちに行動しなければならない」と強く迫られました。

この出会いが神によるものであるなら、動けば必ず何かが起こる。そう信じてNGO設立へと舵を切りました。 私たちが成し遂げたいことは、人々がイエス・キリストを信じることで与えられる、言葉に尽くせない喜び、「歓喜(Delight)」を知り、体験してほしいということです。

その願いを込めて、団体名をつけました。それは私たちが世の光であるイエス様を伝え、その愛の業に励むという信仰の表明でした。

2016年1月視察。B国西側半分をバスに激しく揺られながら10日間かけて回った。(写真:イスラム教徒たちが住まう村でこの家族だけがクリスチャン)
2016年NGO設立後。来る日も来る日も集い祈って祈って祈った

そして2016年。私たちの団体はNGOとして行政からの正式な認可を受けました。現地に事務所を、そして日本に支援窓口を設置。R師が現場を指揮する国内責任者を、そして私(M)が国外から助言と監督を行い、支援を繋ぐ国際責任者を担うこととなりました。

◆ 試練を超えて、さらに強く

しかし、設立の喜びも束の間、大きな試練が私たちを襲いました。認可からわずか約1ヶ月後に、国際社会を震撼させるテロ事件がB国で発生したのです。日本人を含む多数の外国人が標的となり、多くの尊い命が奪われました。設立したばかりのNGOをどうすべきか。治安への不安、活動へのリスク……私たちは真剣に考えざるを得ませんでした。

2016年1月現地視察(落ちた橋もまた道)

しかし、神に祈る中で示されたのは、「撤退」ではなく「前進」でした。

「このような時のためにこそ、神は私を召されたのではないか」
数年前に与えられたあの想いが再び蘇りました。迫害する者のために祈り、彼らのうちの弱い立場に置かれている者たちに仕えよ。この悲劇的な現実は、むしろこの地における「平和の福音」の必要性を痛感させ、私たちの召命をより強固なものへと変えたのです。

こうして、当NGOは嵐の中を船出しました。 不可能を可能にされる主の御手の中で、小さな種は芽吹き始めました。

次回は、このNGOという器を用いて、具体的にどのような働きが現地で展開されているのか。教育活動や福祉活動を通して、子どもたちやその家族にどのような変化が起きているのか、現地の生き生きとしたレポートをお届けしたいと思います。

(続く)

現在建設中の児童養護施設

*私たちは現在、新キャンパスにおける児童養護施設ならびに小学校建設プロジェクトに取り組んでいます。ホームページ「URL:delightbangladesh.com」をご覧いただき、祈りとご支援に加わっていただければ幸いです。

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