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宣教師|北野ジョイス師

宣教師へと導かれた歩み
私がどのようにして宣教師になったか

北野ジョイス師

 













北野ジョイス師

 次のような主のことばが私にあった。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。―主の御告げ―」そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。 (エレミヤ書 1:4~9)
(聖書 新改訳©2003 新日本聖書刊行会)

神の導きの中で明け渡す歩み

 日本への宣教師として35年間仕えさせていただき、私がどのように宣教師となったかを証しできることは特権です。それは私が生まれる前から始まります。

 私の母は、ハワイ生まれの日系三世です。彼女は若い独身の宣教師として日本に遣わされ、そこで当時大学生だった父と出会いました。父はクリスチャンとなり、聖霊に満たされ、神の召しに応えてフルタイムの伝道師として献身して、大学を中退し駒込の聖書学校にきました。数年教会の牧会をしたのちについに彼女と結婚をしました。出会ってから結婚までに9年待つこととなりました。

生まれた時の子宮腫瘍

 両親は結婚後、九州で牧会し、そこで母は妊娠しましたが合併症があり、出産の時には緊急帝王切開が必要となりました。ドクターは父を手術室に呼び寄せ、母の子宮に大きな腫瘍が見つかり、母子ともに命を落とす可能性があるが、少なくとも母の命は救えるよう最善を尽くしますと言いました。父は必死に祈り、神様の憐みによって母子ともに守られました。命はまさに神様からのギフトです。

 私が生まれて1年後、私たち家族はハワイの母の実家に移り住みました。そこで父はさらに上の学びを続けました。また、父はアメリカ市民権を取得し、アメリカアッセンブリー教団の教職となりました。ハワイはさまざまな民族や文化が混ざりあっていて素晴らしい環境でした。多くの友達も私と同じようにアジア系のアメリカ人として英語の中で育ちました。

北野耕一、エレンとジョイス、ハワイにて

 9歳の時、両親はハワイを離れ、アッセンブリーの神学校(現APTS)で教えるために米国宣教師としてフィリピンに渡りました。ここでは私はアメリカン・スクールに入れられ、クラスメートは皆白人で私だけがアジア系でした。そこではたくさんの偏見を経験し、私は自分が日系アメリカ人であることを嫌いになってしまいました。私は泣きながら学校から家に戻り、父に「なんで私にもブロンドの髪や青い目をくれなかったの!」と泣きすがりました。父はいつもこう言いました「神様はジョイスを特別スペシャルに造ってくださったんだよ!」しかし私は言い返します。「スペシャルなんていや!クラスのみんなと同じがいい!」

 私はクラスメートの前では、「日本は嫌いだ」「私もみんなと一緒のアメリカ人よ!」と言っていました。そして日本語を喋ることも学ぶことも拒絶していました。そんなわけで今になって、この自分の頑なさ代償を払うことになっています。日本語を話すことに長年苦労しています!(笑)おそらく何年日本に住んでもアクセントは抜けないでしょうし、宣教師生活で一番苦労しているのが日本語です! こどもの時にしっかり学んでいたら、きっと今は流暢に話せたでしょうに!

 私は自分の外見が嫌で、鏡を見るのも好きではありませんでした。いつも他のクラスメートと比較して、私はあんなに美しくない、あんな賜物は私にはないと自己嫌悪に陥っていました。神様はこんな者を用いることはできないだろうと感じていました。

フィリピンへの宣教師:北野耕一、エレン、ジョイス(高1)

 私は高校生になり、時には自分の信仰に疑いが起こり、私がクリスチャンになったのは、単に親がクリスチャンだからなのかもしれないと思うようなこともありました。しかし、アメリカ本土で大学に入った頃、私は自分の人生を完全に神様に明け渡しました。というのは、自分の罪のために救い主が必要であることに気づき、そのとき信仰は、もはや両親のものではなく、私自身のものとなったからです。

 大学では医者を目指して生物学を専攻しました。人間の体について学ぶのは本当に好きでした。そして学べば学ぶほど人間の体の複雑さと精巧さに驚嘆し、またその細部が組み合わされて私たちの体が素晴らしく機能しているということに驚きました。そして、その学びを通して、私たちの体は創造主によって造られたものであり、決して偶然に存在しているのではないのだということを、あらためて深く実感したのです。

 大学生時代ずっと葛藤していました。それは神様が私をフルタイムの働き人と召しておられると内心感じつつも自分のキャリアを持ちたい思いもあり悩んでいたのです。医者になることによって安定と何者かになりたかったのです。しかし、とうとう大学生活最後に、私は寮の自分の部屋で泣きながら神様に100%自分自身を捧げますと告白しました。私のちっぽけな夢も神様の大きなご計画のために差し出しました。

 なぜ神様に「はい」というのが怖かったかといえば、もしかしたらこれからの人生が厳しい、貧しい孤独な生活となってついていけないのではないかと思っていたからです。しかし、神様は忍耐強く私の心に働きかけてくださり「はい」ということができるようにしてくださいました。神様に明け渡した瞬間、重苦しい重荷が私の肩から取り去られ、心が自由になりました。驚いたことに、イエス様はそこにいて私が十字架を背負うことを助けてくださったのです。それは重荷ではなく、むしろ喜びと自由でした。そしてこれまで、イエス様に従ってきたことを悔いたことがありません。もちろん良い時もあれば、厳しい戦いの時もありました。2度の癌との闘いも経験しましたが、イエス様は毎日毎日一緒に歩いてくださり、主に従うことほど豊かな素晴らしい人生はありません。

導かれて歩む宣教の働き

 最初に短期宣教師として日本に来た時は、主に伝道のための英会話クラスの働きにフォーカスしていました。また、同時にアッセンブリー教団理事長伊藤顯榮先生の英語秘書をしていました。数年のうちに私は大学生伝道に目を向けるようになりました。日本社会において、福音に対して最も開かれている層の一つは大学生世代であることがわかったからです。実は過去の世界の歴史を見ても、大きなリバイバルや霊的覚醒が起こる裏には、学生の世代から始まっていることを見ることができます。ウェールズ・リバイバル、英国、アメリカ、韓国、中国、インドネシア、南アフリカ、ルワンダの例があります。また最初のペンテコステ運動も学生から始まりました。ですから、日本のリバイバルのカギの一つは若い学生たちに福音を届けることだと強く感じています。

 というわけでこれまでの宣教活動はカイアルファ・キャンパスミニストリーに集中しました。カイアルファは世界中に広がっているアッセンブリーの大学生伝道の働きです。日本においては、教団の青少年伝道部に属しています。

ウクレレによる伝道

 こうして聖書勉強会がいろいろな大学のキャンパスでスタートしました。聖書クラスとともに、伝道アウトリーチとしてパーティやコンサートなど様々なイベントを東京都中野区にあるカイアルファ・スチューデントセンターで開催しています。感謝なことは、これらを通してイエス様を知り、洗礼を受け、また受霊する学生、そして神学校へ導かれて牧師となる人が起こされていることです。

大学での聖書勉強会
大学での聖書勉強会
カイアルファ・スチューデント・センター
カイアルファ・スチューデント・センター
大学生の伝道パーティー
大学の英語クラブ

 私たちの願いは、大学生、短大生および専門学校の学生に福音を届けるというビジョンを教会と分かち合い、それぞれの教会の地区の学校に伝道することを勧めています。そのために大学生伝道トレーニングセミナーを全国合同で、あるいは教区で、また個教会で行ってきました。感謝なことは、日本各地でいくつかの教会は近くの大学キャンパスで大学生伝道を行っています。

ジョイスと大学生たち
キャンパスでのプレィヤー・ウォーキング(祈りの歩行)
大学生伝道トレーニングセミナー
大学生伝道トレーニングセミナー
神学校のチャペルで

 35年の間、宣教師団の教会であるインターナショナル・クリスチャン・アッセンブリー(ICA東京)で副牧師として、またその後中央聖書教会で協力宣教師として働くことができ、そして中央聖書神学校にて英会話、宣教学、異文化コミュニケーション学を教えています。また、教団の青少年伝道部、海外伝道部など様々に仕えることができたことは幸いであり特権です。何よりも、神様は子どもの頃の深い傷を癒やし、日本に導き、主の働きにあずからせてくださったことは大きな恵みです。私は日本も日本人も大好きで、神様は必ずリバイバルをこの国にもたらしてくださると強く確信しています。

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