
野口一郎
小学生でもキリストの証人に
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
(使徒の働き 1章8節)
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

教会で聖霊のバプテスマについて聞いたのは、私が洗礼を受けて数年してからでした。それまで説教の中で聞くこともありませんでした。なぜなら私が洗礼を受けた教会は、もともと日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団でもなく、ペンテコステ派の教会でもなく、福音派の教会だったからです。
ところが、教会の何人かの人たちがペンテコステ派の超教派の集会に行き、その中の一人が異言を伴う聖霊のバプテスマを受けました。それから教会では、祈祷会をはじめ、いろいろな機会に聖霊のバプテスマを求めて祈り始めました。
当時、私は小学生でした。母に連れられて弟たちや妹といっしょに教会に行っていました。私も聖霊のバプテスマを求めて祈りました。聖霊のバプテスマの意味やその大切さはあまり理解していなかったことでしょう。それでも大人に交じって祈りました。熱心に求めて祈っているつもりですが、なかなか受けることができませんでした。いっしょに祈っている方の中には早々と異言を語り始める人もいれば、私と同じようになかなか異言を語ることがない方もおられました。
その日はどうしてそうだったか覚えていません。でも母と一緒に朝早く教会に行き、お祈りすることになりました。なかなか聖霊を受けることができないと少しがっかりしている私のためだったのかもしれません。5〜6人の方々と祈っている時、私も異言を語り始め、聖霊のバプテスマを受けることができました。小学校6年生の時だったと思います。
その後、私の身に起こったことは、使徒1章8節の小さな出来事でした。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(新改訳2017)
自分の友だちにキリストのことを語る勇気がわいてきました。日曜学校に友だちを連れて行くため、日曜日の朝はいろいろな友だちを誘うためにその家々を訪ねて回り、結局、日曜学校が半ば始まっている頃に教会に到着することもしばしばでした。
私は幼稚園のころからキリストを伝える牧師になりたいと思っていました。その願いがまもられたのも、また、小さいながらもキリストを伝えることができたのも聖霊のバプテスマの恵みであると信じています。
※教会名は、掲載時点のものです。
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