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聖霊のバプテスマの恵み(29)坂田容子

 

氷見キリスト教会
坂田容子

聖書に書かれていることは、すべて今も体験できるのです

その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。

(ヨエル書 2章28節)

聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

聖書に書かれていることは、すべて今も体験できるのです

 もともと福音派の教会にいた私は、聖霊のバプテスマを、使徒の働きの時代に特別に起こった不思議な出来事というくらいに思っていました。現代に生きる自分たちにも、同じことが実際に起こるという認識が全くなかったのです。同じ様に、聖書に書かれている奇跡や不思議な出来事は、聖書の時代で終わったものと教えられていました。確かに聖霊様は今も働いてはおられるけれども、私たちが実感することのできない世界において働かれているものと思っていたのです。 

 しかし自分が祈る時、心の中が熱くなって神様の思いが胸の中に込み上げて来るのです。今も生きて自分のうちに働いて、み言葉によって語って下さる神様の存在が私の心の中にありました。「実際に神様は私の祈りに答えて下さり、今も癒しや奇跡を行ってくださっている。もし聖書に書かれていることが今も現実に起きる出来事でなければ、自分が感じているこの思いをどう説明すれば良いのだろうか」と、疑問に思うようになったのです。 

 当時、リバイバルを求める超教派の集会が全国で開かれていて、私が通っていた教会でも開かれました。その中で、癒しや奇跡や不思議な業が、使徒の働きの時代にあったように今も実際に起こっているという証がされました。聞いていて私の心がとても嬉しくなって、やはり使徒の働きと同じことが今も同じように起きるのだという確信を得るようになったのです。 

 そして、私は中央聖書神学校に入学する前のことですが、ある神学校に入学しました。その神学校では、山祈祷というプログラムがありました。それは、午後9時くらいから山の中にあるキャンプ場にみんなで行き、午後11時くらいまで祈るというプログラムでした。その中で幻が見えたり、聖霊に満たされて喜びが溢れ出て、体全体が勝手に動き始めるという不思議な現象が次々と起こりました。私もそこで実際に不思議な体験をし、神学校に入学して1か月後の5月に参加した超教派の集会で、みんなが一斉に異言で祈っている時に自然と自分も異言で祈っていたのです。 

 その経験によって私の聖書理解が変わりました。今までは、聖書に書かれていた文字は私にとってはただの印刷された文字でしかありませんでした。しかし、聖霊のバプテスマを受けてからは、その言葉の一つ一つが生き生きといのちを持って、私に語り掛けて来るようになったのです。そして、世界が輝き出しました。今では、この素晴らしい恵みを全てのクリスチャンに経験してもらいたいと思っています。 

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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