
井桁正巳
喜びは日々大きく
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
(ルカの福音書11章9-13節)
聖書 新改訳 ©2003 新日本聖書刊行会

私は聖霊のバプテスマを受けるのにかなりの時間を要しました。当時、兄姉のお証で、「祈ったらすぐに与えられた。」と聞いたりすると、どうして神さまは私には与えて下さらないのだろうかと思い悩みました。しかし同時に心の中では、「受けなくても新生の体験をしているから良いじゃないか」と、聖霊のバプテスマに対して否定的な思いも持っていました。ですからいつの間にか求めることを止めてしまいました。
しかし、献身の道が開かれ神学校に入学することになり状況が一変したのです。母教会の先生が「聖霊のバプテスマを祈り求めていきなさい。神学校に入学する前に受霊するように祈りなさい。必ず与えられるから。」とのアドバイスをくださいました。また先に神学校に入学していた弟に、聖霊のバプテスマを受けていないで入学しても大丈夫だろうかと尋ねると、「受霊していないと、日曜派遣先の教会の先生が驚くよ。」弟は早く受霊するようにと励ましてくれました。
私は神学校に入学する前にどうしても受けなければと、毎朝5時に教会の会堂で祈りはじめました。しかしいくら祈っても与えられません。今思えば、「他の同級生からバカにされたくない!」、そのような理由で一生懸命に祈っていました。求める理由が間違っていましたので与えられませんでした。入学願書に受霊日を書き込む欄がありましたが、無記入のまま神学校に入学することになりました。
私が受霊をしたのは神学校に入学して直ぐの学生祈祷会でした。ひたすら神さまを賛美していたときでした。今まで語ったことのないことばが口から出てきました。待望の聖霊のバプテスマを受けたのです。このときの私は受霊した喜びよりも、聖霊に飢え渇いていていましたので、更に聖霊の満たしを求め続けていました。主はそんな私を何度もお取り扱いくださり、暫くしてから祈祷会で素晴らしい体験を与えてくださいました。主を求めて祈り賛美をしていると、私を中心として周りを光り輝くお方が優しく包んでくださる経験をいたしました。溢れるほどの聖霊の恵みを受けたのです。あのときの喜びは今も継続していて、いえ、喜びは日々増々大きくなっています!
受霊して変わったことは、奉仕に力が入るようになり、また伝道することが楽しくなりました。日本で伝道しても、海外で伝道しても楽しいのです。力まなくても人々にイエス様のことを伝えることができるようになりました。なによりも嬉しいのは、主が共にいてくださり守り導いてくださることを何時も強く感じるようになったことです。
主にご御栄光をおかえしいたします!
ルカ
11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
11:11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
11:12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
(新改訳第三版)


※教会名は、掲載時点のものです。
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