
「信仰が増し加えられ、
恵みと不思議を体験する
会堂建築」
「信仰が増し加えられ、恵みと不思議を体験する会堂建築」

上田 努
シャロンキリスト教会・川尻キリスト教会
私は信仰者人生において二度、会堂建築に巡り合ったことがあります。しかし、そのどちらもが主管者の下での協力伝道師としての働きであり、私が先頭に立って旗振りをしたわけではありません。また、そのどちらも困難の中を通りましたが、主管者の信仰とリード、教会員の信仰と祈り、そして何よりも神様のみわざによって完成したことです。そのため、この証を書くことで、神様に栄光をお返ししたいと思います。
私は兵庫県の尼崎市にある武庫川純福音キリスト教会で信仰を持ちました。幼い頃から教会に通ってはいましたが、確固たる信仰は持っておらず、中学校に入ってからはほとんど教会に行かない生活を送っていました。
中学生の時、とある漫画を読んで「建築士」という仕事があることを知り、建物を設計するなんて「カッコいい」と思い、その道に進むことにしました。工業高校の建築科に入学し、建築を学んでいましたが、高校一年生の時に阪神淡路大震災を経験し、神様の不条理さに怒り、完全に信仰から離れました。しかし、地震から十か月後に不思議なように武庫川教会へ導かれ、イエス様を救い主と信じました。
再び信仰が与えられてからの私は、熱心に教会に通うようになりました。武庫川教会は1978年(昭和53年)に開拓が始められた私と同い年の教会で、その頃は元飲食店舗を改装して教会堂として使っており、ずっと新会堂をと願っておりました。そのような中で救われた私は、自分の建築を学んでいることが会堂建築に用いられればと思い、高校生の時から「僕に会堂建築の図面を書かせて下さい」と牧師の津村美智子先生にお願いしていました。 そして高校を卒業し、神戸の設計事務所に勤務しながら信仰生活を送り、会堂建築を願い、祈り、捧げ物を続けていました。

ところが、私は就職して3年目の21歳の時に、「神様に献身したい」と思うようになり、津村先生にそれを打ち明けました。津村先生は私がまだまだ未熟だということも分かっておられたようですが、それ以上に、私が高校生の時に言った言葉を覚えておられ、「あなたは『僕に会堂建築の図面を書かせて下さい』と言ったでしょ?」と釘を刺され、神学校の入学を許可されませんでした。
その当時、武庫川教会は隣接地を購入した借金が残っており、その返済に20年かかる予定でした。その返済が終わると私は41歳です。それからやっと会堂建築のための積み立てが始まります。いったいいつになったら献身できるのだろうかと、私は途方に暮れました。
けれども、神様は不思議なお方です。不思議なように会堂献金が次々と捧げられ、20年の返済予定の借金が5年半でなくなりました。私が26歳の時です。私はこの時、「14歳、若返った」と喜びました。ほどなくして津村先生は私が中央聖書神学校の関西分校に入学することを認めて下さいました。こうして私は、神学生として武庫川教会に仕えながら、会堂建築のために祈り続けることになりました。
借金は返し終わりましたが、また別の隣接地購入などがあり、なかなか武庫川教会はまとまった建築資金が貯まりませんでした。そのような中、教会がいつも取引している銀行の担当者がいきなり教会を訪れました。その時、津村先生と神学生の私が対応しました。銀行の担当者に「お隣の駐車場として使っている空き地は、何か建てる予定がありますか?」と尋ねられました。津村先生は、「新しい教会堂を建てたいのだけれど、まだ資金がなくて難しいのです」と答えました。すると、銀行の担当者が、「お隣の土地を担保にされるなら、いくらでも貸します」と言われたのです。津村先生は、これは神様の導きだと信じて、建築委員会にはかり、これまでなかなか動かなかった会堂建築計画が再始動していくことになりました。

こうして、自己資金3,000万円、銀行借入5,000万円の総工費8,000万円で会堂建築をすることになりました。この時に、建築委員会の意見を聞いて基本設計を行う役目を私がさせていただきました。神様は高校生の時に私が勢いで言ったような言葉も、不思議なように用いてくださったのです。そして実施設計は、私が以前に勤めていた建築設計事務所にお願いしました。
しかし、工事がまもなく始まる予定だった2010年5月に、銀行担当者がやって来て言いました。「2,000万円しか貸せません」。何と頼りにしていた銀行借入金額が減らされてしまったのです。私は目の前が真っ暗になりました。当然私は、減らされた金額で建てようとするなら、規模縮小しかないと考えました。けれど津村先生は違いました。「神様が何とかしてくださる。だから信仰をもって会堂建築に取り組もう」と言われたのです。会堂建築は一旦休止し、足りなくなった資金をどう工面するかが話し合われました。教会関係者にお金を借りる教会債に取り組むことになり、私が教会債を実施した他の教会に教えてもらいに行くことになりました。でも、私の心の中は「もう無理だ。規模縮小しかない」と思っていました。
神様は不思議なお方です。ある教会が武庫川教会の危機を耳にされ、「銀行が減らした3,000万円をお貸ししましょう」と言ってくださったのです。また、教会債が2,000万円集まり、何と銀行借入なしで会堂建築できることになったのです。銀行借入をすれば莫大な利息を払わなければならないため、このことは教会にとって大きな恵みでした。そうして武庫川教会は当初予定の2010年12月完成から3カ月遅れの2011年3月に完成しました。私は全てを終えた後、津村先生に自分の不信仰をお詫びしました。
銀行が借入額を減らしたことについて、津村先生はこう言われていました。「私は銀行が借入の話を持ってきてくれなければ、会堂建築は進まなかったと思う。そう思うと、私は銀行に感謝している」と言われました。その信仰と懐の大きさに脱帽しました。


素晴らしい武庫川教会の新会堂を献堂した一年後の2012年4月、私は教団人事によって熊本県八代市のシャロンキリスト教会に遣わされました。シャロン教会は私が赴任した時は開拓から47年が経過しており、会堂は築43年の木造二階建てで大分傷んでいました。また、駐車場が少なく、会堂が表通りから見えない入り組んだところにありました。
私が「これは会堂建築が必要ではないか」と感じていた時、2012年5月21日の役員会で、主管者の高口喜美男先生が、「教会としては、会堂建築をどのくらいの心づもりをしておられるのでしょうか。」と聞かれました。すると、役員のお一人が「よい土地があればすぐにでも」と答えられました。その言葉によって、皆が一致して、建築委員会が再結成され、会堂建築が進んで行きました。
素晴らしい武庫川教会の新会堂を献堂した一年後の2012年4月、私は教団人事によって熊本県八代市のシャロンキリスト教会に遣わされました。シャロン教会は私が赴任した時は開拓から47年が経過しており、会堂は築43年の木造二階建てで大分傷んでいました。また、駐車場が少なく、会堂が表通りから見えない入り組んだところにありました。
私が「これは会堂建築が必要ではないか」と感じていた時、2012年5月21日の役員会で、主管者の高口喜美男先生が、「教会としては、会堂建築をどのくらいの心づもりをしておられるのでしょうか。」と聞かれました。すると、役員のお一人が「よい土地があればすぐにでも」と答えられました。その言葉によって、皆が一致して、建築委員会が再結成され、会堂建築が進んで行きました。

当時、建築資金として献げられていた会堂献金は、1,500万円でした。私は建築士として11年働き、また、関西で会堂建築をした経験がありました。ですから、みなさんは「上田先生が来てくれて良かった」と言ってくれました。しかし私はその経験があるだけに心配でした。1,500万円でも建てるのが難しいのに、その予算を半分にして、750万円で土地を探し、残りの750万円で会堂を建てるというのだからさらに難しいのです。けれども、ここで武庫川教会の会堂建築の経験が生かされ、「あの時、神様が何とかしてくださったのだから、今回も何とかしてくださる」と信じて、信仰持って皆さんを励まし、取り組みました。
皆さんは信仰を持って祈り、献金され、教会債によっても、多大な協力をしてくださいました。

2012年12月には、教会を移転することを決めて新たな土地260坪を整地費込みで800万円で購入しました。段階的に会堂建築費用の予算が増やされ、最終的には2,300万円になりました。そして、2014年11月に新会堂が完成しました。この時、宣教師団と教会債で1,000万円の借入をしましたが、その借入は教団の建築交付金で半分を充てることができました。残りの半分は、売れるかどうか分からないと思っていた旧会堂の土地を路線価で購入したいという人が現れ、その売却益によってなくなり、会堂建築から2年後に、借入はなくなりました。主管者の高口先生は、「牧師とシャロン教会の方々の献身に対する神様からのご褒美」と言ってくださいました。
会堂建築は、神様の恵みを体験する機会となります。そして、教会は会堂建築を経験することによって、神様こそ信頼すべきお方であると信仰が増し加えられます。もし、会堂建築をすべきかどうか迷っておられる先生方、教会の方々がいるなら、ぜひにとお勧めします。それは、教会の外側が建て上げられる以上に、教会の内側が建て上げられるからです。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。
伝道の書3:11a

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