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聖霊のバプテスマの恵み(45)大塚正広

 

淡路キリスト教会
大塚正広

二つの奇蹟

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あながたがにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

(ヨハネの福音書14章26節)

聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

二つの奇蹟

 人生の中で大きな決断はいくつかありますが(結婚や献身するという決断も含めて)、私にとって一番大きなものは信仰決心でした。それまでの自分の生き方、考えられる範囲で計画を立てて自分の力で進めてきたことを否定し、未知の世界へ踏み出すという不安もありましたが、不確かな自分ではなく、確かなお方におゆだねしようと決心したのでした。 

 私は10代の頃、同世代の人を見下していました。大人から教えられていること、社会では普通・常識といわれていることに無批判に従い、同じ価値観でないと安心できず、「みんながするから自分もする」様子を見て、「悪行であってもみんながそれを正義だと言ったらするのか?」「大勢の意見なら正しいのか?」とあきれていました。自分は、「自分を納得させる理由がないなら、皆がやっていることであってもやりたくない。だから人付き合いも面倒だから」と、中学校へ積極的に行く必要性も感じませんでした。 

 朝、制服を着ていったんは家の外へ出て登校したふりをし、父親が仕事に出た後でまた家に戻り、本を読んだり「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」などの時代劇の再放送を見ていました。時代劇が終わると、「休むと担任がうるさいし、おいしい給食を食べに行くか」と3,4時間目頃に教室の戸をガラガラ開けて登校するような生徒でした。中学卒業後は飲食店で働き、調理師の免許をとりました。家が貧しかったから就職しなければならないと思ったわけではありませんが、進学しないことを親戚一同から猛反対され、伯父には「親がアホだから」とののしられました。育ちや環境のせいにするつもりはなく、ただ自分で「自分の人生はこんなもんだろう」と見切っており、そこそこ働いて30歳になったらリタイヤして、兄の仕事でも手伝いながら晴れた日は釣りをし、雨の日は読書をしながら隠居しようとタイムリミットを設定していました。 

 しかし勤め先の店主が東京の大学を出ていた人で面白い友人がたくさんいて、色々な話を聞くうちに、徳島の狭い田舎でうんざりしているよりは見聞を広げてみるのも悪くないと思い、21歳の時に姉も住んでいた京都へ出てきました。京都で働きながら夜間高校へ行き、通信大学でも学びました。さらに資格試験にも挑戦し、10代で描いた人生設計図を自分でくつがえしてみようと思いましたが、何年かかってもかすりもせず、「努力すれば報われる、と思ったけれど、時間と労力とお金をかけて、どんなに根性出して頑張っても能力の及ばないものはある」と認めざるを得ませんでした。応援してくれる家族をがっかりさせるのも心苦しいし、バカにする伯父を見返してやるという気持ちもありましたが、「結局何者にもなれなかった、もうええか」という諦念がどこかにあって、計画通り30歳になる直前に故郷に帰ろうと退職する準備を始めました。あと半年で京都を離れるという時に、職場の求人を見てやって来た女性(後に結婚することになる妻)を通して、京都教会に導かれました。 

 そして村上密先生や長澤聖志先生から、今までに出会ったことのない価値観を教えていただきました。私は「お交わり」も苦手で、人に踏み込ませまいと、にべもなく遮断するようなところもありましたが、毎週礼拝に出席し、教会で奉仕もするようになりました。素直に何でも受け入れることができない自分でしたが、聖書研究を重ねる中で聖霊の導きもあり、自分のような人間が受け入れられているという神様の懐の深さに感動し、信仰決心し、洗礼を受けました。 

 人生において神を信じることが一つの奇蹟ならば、二つ目の奇蹟は聖霊が内住されるということでした。聖霊のバプテスマについては半信半疑でした。武道をしていたので「奥義は観念で理解するのではなく、体得するほうが、確信が持てる」ということも理解できるけれど、啓蒙セミナーや新興宗教の情報も色々見聞きしているうちに、体験を用いて思考や感情が操作されるようなやり方と紙一重だなと思い、「自分はそういうことは鵜呑みにしないでおこう。受霊しなくてもイエス様の素晴らしさは変わらない、自分の信仰観を損なうことはやめよう。別に御霊に満たされる体験、なくてもいいです」と思っていました。 

 しかし洗礼を受けてから一年ほど経った頃、京都で再び調理師の仕事をしながらも、経済的にも不安定で結婚にも踏み切れず、現実的には困っていました。「自分はこのままでいいのか?」と思い悩んでいた時だったので、イースターからペンテコステまでの間、礼拝のたびに聖霊のバプテスマを求めましょうと呼びかけられ、気が進まないながらも「受霊という体験をすれば、自分の未来を備えてくださっているはずの神様を、もう少し信じられるかもしれない」と思い、「神の国の言葉で神様のことをほめたたえさせて下さい」と祈り続けました。 

 ペンテコステ礼拝の時、「弟子たちが変えられた、彼らの力の根源、真理への理解が深まった、その満たされた体験を自分も知りたい。神様が今も生きて私に関わろうとしておられるのなら、私の心に触れてください」と祈っていたら、異言が口から出て来て「本当だったんだ」と感動の涙が止まらなくなり、立っていられなくなってひざまずき、何人かの人が椅子に座らせてくれました。 

 この受霊の体験で、たしかに神様が今も生きて私の人生に介入され、30歳手前でリタイヤしようとしていた私を導き、招かれたのだと確信が持てた為、献身の決意へとつながることができたのです。 

 50歳になった今、人間を理解する上でまだまだこれからも深めていけると思うのは、日々聖霊の導きや気づきが与えられるからだと思います。10代の頃、言語化できなかった感覚が、聖書のみことばを裏付けとして、言葉にして話せるようになった部分が多くなったと思います。 

 色んな才能や素質のある人が、自分の人生を投げ出し、あきらめているのが残念で、「そうじゃないよ。人生こんなもんかと思ってもまだまだ奥が深いから、決めつけないで。辛い事もあるけれど御霊によってそれが喜びに変えられることもある。自分で囲いを作って可能性を閉ざしてしまっているけど、神様は越えさせてくださる、だから心の扉を開けてイエス様を迎え入れて欲しい」と伝え続けていきたいです。 

淡路島と本州を「結ぶ明石海峡大橋」

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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