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聖霊のバプテスマの恵み(50)城市篤

 

豊川基督教会
城市篤

静寂の中で

わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

(ルカの福音書11章9節)

聖書 新改訳 ©2003 新日本聖書刊行会

静寂の中で

 30歳の時、教会の集会の中で私は聖霊のバプテスマの恵みを受けた。それは、教会に通うようになって洗礼を受けて半年ほど経ったときであった。礼拝のメッセージや祈り会の中で異言の祈りについて耳にすることがあり、その時は「そういうものがあるんだなあ・・」くらいに思っていた。今振り返って思うに、それは私にとってどこか他人事であり、自分とは無関係な出来事のように思っていた。

 祈り会などの中、異言で祈っている兄弟姉妹を見ることもしばしばあったが、特に変だなとも、羨ましいとも、自分もそうなりたいとも思わなかった。ただ「何かすごいなぁ・・何言っているのだろう?」と思ったくらいである。

 そんな日々を過ごしていたある日の集会でのことだった。賛美集会であったが、途中から皆それぞれに異言で祈り始めたのである。私は会堂の後ろで静かに一人祈っていたのだが、周囲の兄弟姉妹に促され、その異言の祈りの輪の中に導かれていった。その時である。大勢の人々が大きな声で祈っているはずなのだが、不思議なことに私には全く無音で、全くの静寂に包まれたのである。本当に不思議な感覚であった。その静寂の中で、誰かが御言葉を語る声が聞こえてきた。

 「・・求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。・・」(ルカの福音書11章9節)

 と言うのである。私は正直な所、何を求めたら良いのか分からなかったのだが、この御言葉が私の心に響いたように感じた。私は心の中で「何か分からないけれども、神様が私の人生にとって必要なものを与えようとしておられるならば、それをください!」と祈った。ふと気が付くと自分の口から止めどなく異言の祈りがあふれていたのである。それが私の聖霊のバプテスマを受けた時の体験である。

 それからの信仰生活は、以前とは全く違うものとなった。神様をより近くに感じるようになり、祈りも深く、奥行きのあるものになったように思う。また、聖書を読むときに神様がそのまま自分に語りかけておられるように感じられたのである。それは本当に大きな恵みであり、喜びであった。時々、腰を抜かすほどビックリするようなことも起こるのだけれども神様はいつも良いお方であり、最後は必ず希望を与えてくれるのである。もし、まだこの恵みを体験しておられない兄弟姉妹がおられるのならば、是非この恵みを積極的に求め、体験してほしいと心からお勧めするものである。

2010年日曜派遣
2024年東海聖会

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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