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聖霊のバプテスマの恵み(51)谷口昇人

 

阿南神召キリスト教会
谷口昇人

恵みによって与えられた異言の祈り

ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

(第一コリント2章12節)

聖書 新改訳 ©第三版 新日本聖書刊行会

恵みによって与えられた異言の祈り

 私は四世代目のクリスチャンとして生まれましたが、私にとって「聖霊のバプテスマの恵み」という言葉は馴染のないものでした。私の家族は全員が長老派の教会出身で、その中で唯一叔母だけがペンテコステ系の教会に通っておりました。 

 家庭の中では、信仰や聖書の話を聞く機会は多くありましたが、「異言を求めなさい」と言われたことは一度もありません。むしろ、異言で祈る叔母の姿を、家族はどこか異質なものとして見ていたように思います。 

 そんな中、叔母の強い勧めによって母が異言を求め始め、どこかの集会でその賜物を受けました。それ以来、母は毎朝、家で異言をもって祈るようになりました。聞いたことのない不思議な言葉で早朝から祈る姿に、思春期だった私は驚き、正直なところ「これだけは関わらないようにしよう」と心に決めていたほどです。信仰は持っていても、聖霊の働きに対してはどこか距離を置いていました。 

 しかし、神様はその私を不思議な方法で草加の教会へと導かれました。そこでは、聖霊の臨在の中で、多くの人が心から神を礼拝していました。最初は戸惑いもありましたが、そのうちに自分の内側にある罪や弱さが次第に照らし出されていきました。 
イエス・キリストの十字架がまるで自分のために迫ってくるように感じ、「自分の力では到底神に従うことはできない」「どうすればよいのか」と涙ながらに祈ったその時、自然と異言が口から溢れ出ていたのです。その瞬間は霊的な感動に満たされ、自分が異言を語っていることにも気づかないほどだったのですが、祈り終えたあと、一緒に祈ってくださった先生から「異言が出ていましたよ」と教えられ、正直びっくりしました。 

 私は特別に異言を強く求めていたわけではありません。 
けれども、神様は私の心の奥底をご覧になり、恵みによってその賜物を与えてくださいました。 
それ以来、祈りは私にとって重荷ではなく、喜びと力の源へと変えられました。祈りの中で、心が静まり、神の臨在をより近くに感じるようになりました。 

 私の弱さも足りなさもすべてをご存じの主が、私の力ではなく、ご自身の御霊によって私を通して祈ってくださる――その恵みと感動を忘れず、これからも御霊に導かれて歩む者でありたいと心から願っています。 

最愛の妻と福森先生

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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