
※書籍『聖霊のバプテスマの恵み』(AG福音出版)連動企画です。
AG教職の証・体験談を次々と。月、お二人の証しを掲載予定です。
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聖霊のバプテスマの恵み(28)野口一郎
教会で聖霊のバプテスマについて聞いたのは、私が洗礼を受けて数年してからでした。それまで説教の中で聞くこともありませんでした。なぜなら私が洗礼を受けた教会は、もともと日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団でもなく、ペンテコステ派の教会でもなく、福音派の教会だったからです。 -
聖霊のバプテスマの恵み(27)片平勝
もうずいぶん昔のこと。わたしは牧師の長男でしたが、小学生の時に父を亡くしてから、「教会に縛られなくていいんだ…!?」と教会を離れ、いわゆる「放蕩息子」のような生活をしていました。そんなわたしが、いくつかの挫折を経験して、世にある居場所を失い、救いを求めて教会に帰ってきたのが21歳の頃です。 -
聖霊のバプテスマの恵み(26)平松厳
私が聖霊のバプテスマを受けたのは、小学3年生の時でした。近隣の教会と合同で行なっている夏のキャンプに参加した時、いつものようにキャンプファイヤーを囲んで聖書のメッセージを聞いた後、みんなで祈っていました。その祈りの時に、私の伯母が「厳ちゃん、聖霊の満たしを求めて祈るんやで。」と聖霊のバプテスマを求めて祈るように促してくれました。 -
聖霊のバプテスマの恵み(25)本田結基
私が聖霊のバプテスマを受けたのは大学生の時でした。受けるまでの私は聖霊のバプテスマ自体に興味がなく、キャンプなどでも友人が求めているから自分もなんとなく祈っていた状態でした。神様に対する信仰がその程度だったため、奉仕に対しても間違った思いで取り組んでいましたし、伝道に対しても苦手意識が強い状態でした。 -
聖霊のバプテスマの恵み(24)中山雄
私は牧師家庭に生まれ、幼い時から聖書の話を聞いて育ったため、私にとって神様がいるのは当たり前のことでした。そのため、自然に神様の存在を受け入れ、イエス様を信じて洗礼を受けました。しかし、私が本当の意味で神様を知ったのは、19歳の時でした。 -
聖霊のバプテスマの恵み(23)日吉成人
中学生の頃、教区のサマーキャンプから帰ってきた私の顔を見られた教会員の方が、「あら、聖霊に満たされてきたね」と言われて驚きました。満天の星の下、偉大な主がここにおられるという畏れとこんな私に目をかけてくださる神の愛が迫ってきて、キャンプファイヤーの炎と同時に、中学生の私の心の中も確かに聖霊によって燃やされていたのです。 -
聖霊のバプテスマの恵み(22)佐野徳子
私は保母さんになりたいと願い、教会付属保育園に就職しました。一軒家の園に一人で住むのは、当時の私にとってはとても難しいことでした。天草聖会で初めて「力をください」と必死に祈り、受霊しました。 -
聖霊のバプテスマの恵み(21)杉浦晴美
私が「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を賜ったのは17歳の夏のことだった。それ以前は、幼児期の体験がトラウマにあり「異言の祈り」が大嫌きらいで待望することもなかった。 -
聖霊のバプテスマの恵み(20)寺田里美
24歳の時、私は福音系の神学校入学に備えていました。当時一つの疑問がありました。それは伝道の重荷があるのですが、なぜか何か足りないのではないかと思っていました。使徒1章8節にあるように、「今日の教会にはそのような宣教の力がないのだろうか?」との疑問でした。 -
聖霊のバプテスマの恵み(19)上原時江
私は不思議な方法で救われました。戦後建てられた中学校舎の教室。休み時間は大騒ぎでした。そんな中、一番前の席の生徒が聖歌を歌っていました(後でわかった)。一番後ろの席にいる私までその声が届くはずがありませんが、「心にもだえあらば、イエスに話せ……」と私の耳(心)に届いたのです。聖霊の働きにほかなりません。その時から私は