
※書籍『聖霊のバプテスマの恵み』(AG福音出版)連動企画です。
AG教職の証・体験談を次々と。月、お二人の証しを掲載予定です。
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聖霊のバプテスマの恵み(34)濵崎恵太
私は、クリスチャンの両親のもとに生まれ、子どものころから教会に通っていたこともあり、聖霊のバプテスマを求めて祈っている兄弟姉妹の姿をよく見ていました。そのため、私自身が中学生になり、関西教区の中高生キャンプに参加する時にも特に抵抗感もなく、「聖霊のバプテスマを求める人は、前に出てきて祈りましょう。」という招きに応答して祈っていました。ただ、すぐには受けることができませんでした。 -
聖霊のバプテスマの恵み(33)佐藤誠
牧師の家庭に育った私にとって、聖霊のバプテスマの恵みの中に日々置かれていることは自然なことでした。幼いころから異言を耳にし、理解できない言葉で叫んだり、賛美とも祈りとも言えない声で神に向かっている光景を見ながら育ってきました。「お母さんは、なんて言っているの」と、興味津々で聞いた事もありましたが、説明されても理解できませんでした。 -
聖霊のバプテスマの恵み(32)井桁久志
わたしが聖霊のバプテスマを受けたのは神学校に入学する前、超教派の集会で、聖霊のバプテスマを求めたときでした。聖霊のバプテスマについて深い知識はなく、異言の伴う聖霊のバプテスマを受けたい人は前に出て下さいと講師に言われ、言われるがまま、前に出て祈りました。講師が使徒行伝から、聖霊のバプテスマについての箇所を示し、信仰によって受け取りましょうと言われ、手を置いて祈っていただいた時、自分の口から訳の分からない言葉が出ていました。 -
聖霊のバプテスマの恵み(31)野川悦子
「洗礼を受けた者は聖霊のバプテスマを求める」…そう聞いていた私は、当然のこととしてイースターに洗礼を受けた後、毎朝大学に行く前に教会に寄り、1 時間、異言を伴う聖霊のバプテスマを求めて祈りの時を持ちました。その時間、同じように求めていた大学生の兄弟もいましたが、しばらくして彼の方が異言で祈りだし、「ねえねえ、聞いた?聞いた?」と言いながら、喜び一杯の受霊の報告を聞きました。受霊した兄弟と一緒に祈れることを楽しみにしていたのですが、その後、この時間帯で祈るのは私 1 人になってしまい、一抹の寂しさを感じたものです。 -
聖霊のバプテスマの恵み(30)中山満
私は高校3年生の時に、聖霊のバプテスマを体験しました。それまでの私は、聖霊のバプテスマを頭では理解していましたが、本気で求めることはありませんでした。というのも、兄弟の中で自分だけが受けることができなかったからです。いつの間にか「自分には受けられないのだ」と思い込むようになり、次第に求めることをやめてしまいました。また、「自分には必要ないのでは」とさえ思うようになっていました。 -
聖霊のバプテスマの恵み(29)坂田容子
もともと福音派の教会にいた私は、聖霊のバプテスマを、使徒の働きの時代に特別に起こった不思議な出来事というくらいに思っていました。現代に生きる自分たちにも、同じことが実際に起こるという認識が全くなかったのです。同じ様に、聖書に書かれている奇跡や不思議な出来事は、聖書の時代で終わったものと教えられていました。確かに聖霊様は今も働いてはおられるけれども、私たちが実感することのできない世界において働かれているものと思っていたのです。 -
聖霊のバプテスマの恵み(28)野口一郎
教会で聖霊のバプテスマについて聞いたのは、私が洗礼を受けて数年してからでした。それまで説教の中で聞くこともありませんでした。なぜなら私が洗礼を受けた教会は、もともと日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団でもなく、ペンテコステ派の教会でもなく、福音派の教会だったからです。 -
聖霊のバプテスマの恵み(27)片平勝
もうずいぶん昔のこと。わたしは牧師の長男でしたが、小学生の時に父を亡くしてから、「教会に縛られなくていいんだ…!?」と教会を離れ、いわゆる「放蕩息子」のような生活をしていました。そんなわたしが、いくつかの挫折を経験して、世にある居場所を失い、救いを求めて教会に帰ってきたのが21歳の頃です。 -
聖霊のバプテスマの恵み(26)平松厳
私が聖霊のバプテスマを受けたのは、小学3年生の時でした。近隣の教会と合同で行なっている夏のキャンプに参加した時、いつものようにキャンプファイヤーを囲んで聖書のメッセージを聞いた後、みんなで祈っていました。その祈りの時に、私の伯母が「厳ちゃん、聖霊の満たしを求めて祈るんやで。」と聖霊のバプテスマを求めて祈るように促してくれました。 -
聖霊のバプテスマの恵み(25)本田結基
私が聖霊のバプテスマを受けたのは大学生の時でした。受けるまでの私は聖霊のバプテスマ自体に興味がなく、キャンプなどでも友人が求めているから自分もなんとなく祈っていた状態でした。神様に対する信仰がその程度だったため、奉仕に対しても間違った思いで取り組んでいましたし、伝道に対しても苦手意識が強い状態でした。