※書籍『聖霊のバプテスマの恵み』(AG福音出版)連動企画です。
AG教職の証・体験談を次々と。月、お二人の証しを掲載予定です。
-
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(25)本田結基
私が聖霊のバプテスマを受けたのは大学生の時でした。受けるまでの私は聖霊のバプテスマ自体に興味がなく、キャンプなどでも友人が求めているから自分もなんとなく祈っていた状態でした。神様に対する信仰がその程度だったため、奉仕に対しても間違った思いで取り組んでいましたし、伝道に対しても苦手意識が強い状態でした。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(24)中山雄
私は牧師家庭に生まれ、幼い時から聖書の話を聞いて育ったため、私にとって神様がいるのは当たり前のことでした。そのため、自然に神様の存在を受け入れ、イエス様を信じて洗礼を受けました。しかし、私が本当の意味で神様を知ったのは、19歳の時でした。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(23)日吉成人
中学生の頃、教区のサマーキャンプから帰ってきた私の顔を見られた教会員の方が、「あら、聖霊に満たされてきたね」と言われて驚きました。満天の星の下、偉大な主がここにおられるという畏れとこんな私に目をかけてくださる神の愛が迫ってきて、キャンプファイヤーの炎と同時に、中学生の私の心の中も確かに聖霊によって燃やされていたのです。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(22)佐野徳子
私は保母さんになりたいと願い、教会付属保育園に就職しました。一軒家の園に一人で住むのは、当時の私にとってはとても難しいことでした。天草聖会で初めて「力をください」と必死に祈り、受霊しました。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(21)杉浦晴美
私が「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を賜ったのは17歳の夏のことだった。それ以前は、幼児期の体験がトラウマにあり「異言の祈り」が大嫌きらいで待望することもなかった。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(20)寺田里美
24歳の時、私は福音系の神学校入学に備えていました。当時一つの疑問がありました。それは伝道の重荷があるのですが、なぜか何か足りないのではないかと思っていました。使徒1章8節にあるように、「今日の教会にはそのような宣教の力がないのだろうか?」との疑問でした。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(19)上原時江
私は不思議な方法で救われました。戦後建てられた中学校舎の教室。休み時間は大騒ぎでした。そんな中、一番前の席の生徒が聖歌を歌っていました(後でわかった)。一番後ろの席にいる私までその声が届くはずがありませんが、「心にもだえあらば、イエスに話せ……」と私の耳(心)に届いたのです。聖霊の働きにほかなりません。その時から私は -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(18)小田島幹彦
高校一年生の夏、私は岩見沢神召キリスト教会に導かれ、主のみ救いにあずかった。半年後、受洗の恵みにもあずかったが、聖霊のバプテスマの体験を得られずにいた。聖会や祈祷会で熱心に求めたがなかなか受けることができず葛藤の日々が続いた。 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(17)伊藤博
1975年、当時学生だった私は、仙台神召基督教会にて主の贖いの恵みにより救われました。救いの恵みと喜びを、なんとかして友人に伝えたいと願い、キリストの恵みを証しするも、十分に伝えることのできない自分の弱さを覚えていました。牧師先生に相談すると、 -
聖霊のバプテスマの恵み
聖霊のバプテスマの恵み(16)宮澤幹彦
私は、「自分には経営者としての資質が本当にあるのだろうか。傲慢だったのだろうか。大企業を飛び出したことが果たして良かったのだろうか。」と悩みました。その時の私は、一種のウツ状態になっていたと思います。しかしそんな私に神様は救いの御手を伸ばしてくださり、崔先生(チョー・ヨンギ先生の義理のお母さん)主催の、関東祈祷院(今の日光オリーブの里)での、2泊3日の徹夜断食祈祷聖会に行くように導かれたのです―それは絶対的とも言える強いお導きでした―。