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『伝道者生涯を振り返って思うこと』川上 まさ子師:月刊アッセンブリー誌NEWS連動

伝道者生涯
を振り返って
思うこと  

 川上 まさ子 師

仙台神召基督教会 

月刊アッセンブリーNEWS連動
– 引退に寄せて-

幼い時からの私の歩みを少し紹介したいと思います。

 約73年前になります。6才の私は母に「まさ子、今晩、【川崎先生が集会に来られますから来てください】と近所の家をまわってこい!」と言われ、恥ずかしがり屋の私は半べそをかきながら一軒一軒まわった事を思い出します。その家庭集会が堺キリスト教会の始めでした。姉たちが土曜学校の先生で、その当時は沢山の子供達が集まっていました。

仙台グレースチャペル(仙台神召基督教会)

2022年3月31日に引退された先生方による手記です。この記事は「月刊アッセンブリーNEWS 2022年6月号・引退レポート」に連動しています。ぜひそちらもご覧ください。

 私が高校生になった時、先生であった姉たちが次々と結婚をし、最後になった姉が「まさ子、今度はあんたが土曜学校を引き継ぐ番だよ」と言いました。その事を気にしていた私は、「結婚をしてやめるのなら、土曜学校も終わりにしたらええやんか!」と口答えをした事をハッキリ覚えています。そんなやりとりの一週間も経たないうちに、大好きな川崎一先生が突然召されたのです。前夜式、家の留守番をさせられていた私は、神様のとりあつかいの中に導かれ、神様の前に悔い改めの時となりました。「神様、私は土曜学校を受け継ぎます。弱い私を助けて下さい。今までの罪を全部 許してください」と泣いて祈りました。高校2年生で受霊し、力を与えられ、元気で明るい土曜学校の先生へと変えられました。その夜の事は、両親にも姉達にも話しませんでした。

 高校卒業後、幼稚園教員養成所を出て幼稚園の先生となり、私立幼稚園2年間七条キリスト教会のいづみ子供会に4年勤めました。この6年間は、私にとって献身について考える苦しい時期でした。「まーちゃんは、いつ神学校に行くの?」「本当に献身するの?」という目で見られ、私は絶対に神学校には行かない、自由のない牧師夫人にはならない。両親のように、夫婦で家庭を開放し、近所の人々に伝道するんや!と思っていました。ある日、京都の勤め先からの帰り、教会に寄り礼拝堂で祈っていると、鹿島牧師が「まーちゃん、2階にちょっと上がって来なさい!」と呼ばれ、畳の部屋で正座をした私に「まーちゃんはここに行かんとあかんの違うのかな」と大きな茶封筒を渡しました。神学校の生徒募集の字を見た時「捕まった!」と思いました。私は黙ってそれを腕にかかえ家に帰りました。母はこたつに入って編み物をしていました。背後から「おかあちゃん、私、神学校に行くわー」というと、黙って編み物をしている母の手が小刻みに震えていました。

 その後、すぐに神学校に願書を出し中央聖書神学校に至りました。私の部屋は1号室でした。2階の窓側の小さい机の前に座り、窓の外の木の葉が風で揺れているのを見ると、人の目線を感じないまた神様からのせめもないゆったりとした平安と喜びが心にあふれていました。「ここは来るべき所だった」「もっと早くこれば良かった」と思いました。

神学校を卒業、伝道の生涯へ

 1972年、堺キリスト教会に赴任する。両親、兄姉たち夫婦、近所の人、私の友達が信徒です。心配でしたが、私の弱さが良かったのです。みんな心配をし、同情して助けてくれました。「神の力は弱いところに完全に現れる」という御言葉の通り、聖霊様に助けられ、みんなの助けによって奉仕ができました。同年、11月13日、川上良明と結婚。20年間の奉仕は、聖霊様の力強い助けによって次々と主の栄光が現されました。

堺キリスト教会時代

1993年仙台神召基督教会へ

 仙台では、仙台神召基督教会と川崎町の伝道所との兼牧を30年間させていただきました。「50年間、本当にしたの?」と思うほど早くすぎました。だからと言って何もなかったのではありません。戦いに負けたり、失敗した事もたくさんありますが「万事を益と変えてくださる主」のおかげで、私の好きな御言葉は「その人は何をしても栄える」詩篇1:3になりました。
 神様の召しと選びに従う生活は素晴らしいという経験をさせて頂きました。ハレルヤ!

先日、堺キリスト教会の献堂50周年聖会に夫婦で招かれました。同時に、日本ミショネット発行の「喜びの泉」に「慰めに満ちた神」という証しが載りました。それを書いたMさんは、私が20歳の頃、プレハブ公民館を借りて土曜学校をしていた時の生徒です。小学2年の時から通い、イエス様を信じた証しです。Mさんは社会人になって15年間、私が仙台に行くまで教会の働きを助けてくれました。その後、他の教団の伝道師と結婚をされ、今は西ノ宮で伝道師夫人として活躍されています。私も忘れかけていた小さな土曜学校という働きも主は覚えてくださっていて、堺キリスト教会50周年聖会と同じ4月に堺の初期の伝道の証しが載った事に驚きました。

 60年前の事がどうして献堂50周年と一緒になる?人にはできない事で聖霊様の働きと感じとり、会場の皆さんと聖会にかけつけていたMさん共に、堺キリスト教会が始めから現在に至るまで、主が力となり全てとなって導いて下さった事を喜び、拍手拍手で主をほめたたえました。「私は世の終わりまで、あなたと共にいる」と言われるイエス様を心から崇めつつ

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