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「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」③

 「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」③ 

平松 恵子(桶狭間キリスト教会伝道師)
「姉妹育児」

私は3姉妹の次女として、生まれ育ちました。私の2歳上の姉は、何でも良くできる人で、私の遥か遠く前を走っているような人でした。私の2歳下の妹は、要領良く何でもこなし社交的なタイプの人でした。姉妹の関係は、悪くはないのですが、私は二人に挟まれていつも劣等感を感じていました。姉に勝てるものはないし、妹は私よりしっかりしていて、よく妹の方が姉と間違われ、(私がお姉ちゃんなのに…)と思っていました。そして、(二人に勝てるものは何もない…)とも思っていました。

 そんな私が、唯一2人に勝てそうなものを見つけました。それは身長でした。姉妹の中で、これなら勝てるかもしれない。と、小学校高学年から中学生にかけて、牛乳をたくさん飲みました。努力のかいもあってか身長は、姉妹の中で一番高くなりました。おかしな話ですが、当時の私はいたって真剣に勝ちたい思いで好きでもない牛乳を毎日一生懸命に飲んでいました。

 私自身この子ども時代の経験から、二人の娘にはお互いを比べないで育ってほしい。と思っています。当然のことですが、我が家の長女の得意なものと次女の得意なものは、違います。その違いによって、姉妹で受け取るものが変わってきます。

 次女にとって、小学校に入学して初めての運動会がもうすぐあります。私が以前から懸念していたことは、長女は毎年リレーの選手に選ばれるタイプですが、次女は走るのは好きでもリレーに選ばれるかどうかは微妙なところ、ということです。「ママ、今日リレーの選手を決めるって先生が言って走ったけど、(リレーの選手に)選ばれたか分からない…。」それってつまりどういうこと!?と思いながら、「そうなんだね。分からない、っていうことは、選ばれなかったかもしれないね。リレーの選手になりたかったよね。でも、運動会はリレーだけじゃなくて、かけっこ(徒競走)も、玉入れもあるし、頑張ろうね!」と励ましました。

 次女は、「うん。」とうなずいて、それ以上何も言いませんでしたが、寝る前に「誰が選ばれたか分からない…。」とまた言っていたので、やはり選ばれないことは、次女にとって寂しいことだったのだろうと思います。前日に長女がリレーの選手に選ばれたことを家で話していたので、余計に次女としては複雑な思いがあったのかもしれません。

 私の経験上、よく出来る姉が選ばれることは誇らしいのですが、やっぱり自分が姉と同じように選ばれないのは寂しいものです。どうやって次女の気持ちに寄り添い、次女は次女に与えられた良いものに自信を持ってもらえるかなぁと思いながら、部屋の片付けをしていると、長女から次女への一枚の手紙を見つけました。

「しおりちゃんへ

すごくおうたが上手なしおりちゃん おねえちゃんにもうたのじょうずなこつおしえてね 大すきなしおりちゃんへ ゆいより」

 詩織(しおり)と言う名前は、「神様への賛美(詩篇)を織りなす歩みが出来るように。」と言う意味を込めて、夫が名前を付けました。次女は、小さい時から賛美が好きで、最近は自分で作った賛美を聴かせてくれることもあります。そんな次女に宛てて長女が書いた手紙には、妹を認め、大切に思う姉の思いが詰まっていました。学校でリレーの選手に選ばれたり、表彰をされたり、目に見える形で評価をされることは、子どもたちの良いところのほんの一部にしか過ぎません。そのことに、ことさら重きを置いて、心配していた自分が何だか恥ずかしくなりました。それと同時に、次女を思いやる長女の優しい心の成長に嬉しくなりました。

 また、姉妹は年齢の違いもあり、カードゲームをすると大抵の場合、長女が勝ちます。それに対して次女が怒るか泣くか…機嫌が悪くなって終了と言うパターンが続きました。私は、小さいからとハンディを付けてあげたいのですが、夫は手加減なしで本気でやることも大切だと思っています。楽しくやって終われないのなら…としばらくカードゲームをやらない時期もありました。

 ところが、先日私の不在の時に、娘たちは祖母とカードゲームをしたようです。その時のメモ用紙が残されていました。

「S(しおり・次女)81点 Y(ゆい・長女)180点 K(祖母)116点

しおりへ たのしかったね。がんばりましたでしょう!! ゆいより

なぐさめてくれてありがとう。 しおりより」

 カードゲームをして次女が負けてしまい、長女が「がんばりましたでしょう!!」を書いてあげたようです。点数としては、負けてしまいましたが、がんばったことをほめてもらい、次女は嬉しかったようです。これは、おばあちゃんからではなく、親からでもなく、ゲームの強い長女からの言葉に次女は慰められたのだと思います。

 娘が2人与えられた時に、夫が子供の頃父親からこんな話を聞いたと、話してくれました。「友だちは選べるけど、弟の代わりはいない。弟は世界で一人だけだぞ。」と。聴きながら、なるほど〜友だちの選択肢は沢山あるけれど、姉妹の選択肢はないのだ!と妙に納得して、子育ての中で、姉妹をどう育てるかは、子育ての中で重要なことだと思ったことを覚えています。

 言うまでもなく、手紙を書いているときのようにいつも仲良し姉妹ではなく、姉妹ゲンカは日常茶飯事、喧嘩をしては、「どっちが悪い。」「もう遊ばない。」と言い争いもよくしています。「喧嘩するなら、もう(おもちゃなどを)使わせない!!」と私が怒って強制終了させてしまうこともあります。そして、気づいたら、また一緒に遊んでいた、なんてことを日々繰り返しています。

 これから先、もっと姉妹の中で色々なことが起こってくることでしょう。これをしたから姉妹の子育てが上手くいく、と言うような教科書はありませんが、妹が姉をリスペクトし、姉も妹をリスペクト出来るように育てることが大切なのかな、と思っています。そして、親は子育ての働きを担っていますが、娘たちを成長させてくださるのは、神様です。必要以上に心配し、コントロールしようとしないで、与えられた子育ての期間を感謝して、今日も子どもに向き合います。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」
新改訳聖書 ペテロの手紙第一4章10節

「それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一3章7節

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