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「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」④

 「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」④ 

平松 恵子(桶狭間キリスト教会伝道師)
「信仰継承」

「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。」
Ⅱテモテ1:5

 私は、牧師を両親に持つクリスチャン家庭に生まれ、信仰を継承させていただいた者の一人です。子育てをするにあたって、信仰継承は大切な働きであり、大きな祝福であると感じています。昨年10月、主の憐みにより、2人の娘が洗礼を受ける恵みに預かりました。娘たちがイエス様を信じるまでのエピソードを振り返りながら、信仰継承について大切にしてきたことを書いてみたいと思います。

① 子どもたちの話に耳を傾けて共に祈ること

 娘たちとは、朝の祈り、食事の祈り、寝る前の祈りを習慣にして、また事あるごとに祈りを共にして来ました。長女は2歳で手足口病になり、痛くて泣き続けました。「痛い」と言うたびにお祈りをして、一日に何度も何度も娘を抱きながら、お祈りをしたのを今でも覚えています。その時から、長女は何か困ったことがあると、「お祈りをして。」と自分でも言うようになりました。

 また、我が家では長女が喋るようになってから、毎晩寝る前に「今日嬉しかったこと」を1人ずつ発表して、神様に感謝の祈りを捧げてから寝るようになりました。ある日、いつものように嬉しかったことを話してもらおうとすると、長女がお友達との嫌だったことを話してくれました。時々この時間にその日にあった嫌だったことを話すようになっていました。それはそれで大事なことで感謝なことだと思っています。大人も子どもも、日々悩んだり心配になることがあります。娘たちの色々な話を聞いた後、ある時こんな話をしました。

わたし

「7歳の子どもが考えられることは、これ(20センチ)くらい。
5歳の子どもが考えられることは、これ(10センチ)くらい。
ママが考えられることは、これ(50センチ)くらい。
でもね、神様が考えていることは、これくらい以上!」

と言って、両手いっぱい180度以上広げて見せました。
それから、誰を信じるべきか娘たちに質問をしました。

娘たち

「神様!神様を信じる!」

わたし

「聖書には心配するのをやめなさい。神様が助ける。守る。て書いてあるよ。心配しないで、神様を信じようね。」

娘たち

「うん!」

続けてこんな話もしました。

わたし

「私たちが心配ばかりしていると、神様はどんな気持ち?信じてもらえないと神様はどんな気持ちだと思う?」

娘たち

「悲しい。」

わたし

「そうだよ。助ける!守る!って言っているのに、信じないで心配ばかりしていると神様悲しいよ!」

娘たち

「そうだね」

それから、娘たちと一緒にお祈りをして眠りに着きました。

 日々追われるようにして、娘たちの下校時刻から夕飯準備に片付け、寝る支度をしていると、娘たちの話をゆっくり聞く余裕がないこともあります。それでも、時には自分のしていることの手を止め、出来るだけ娘たちの話を聞くこと、御言葉を伝えて一緒に祈ることをこれからも大切にしていきたいと思っています。これから思春期を迎えると、さらに悩みは深くなり、戸惑うことも多くあるでしょう。それでも日々の生活の中で娘たちの言葉に耳を傾け、御言葉が何と言っているか?を教え、共に祈り乗り越えた体験は、娘たちの中に留まり、揺るぎない信仰へと繋がって行くと信じています。

② 日本でクリスチャンとして生きること

 次女が3歳で保育園に入園して初めての給食の日に「食べる前にお祈りした?」と何気なく聞いてみました。すると次女の答えは、「トイレに行っていて戻って来たら、お祈りが終わっていた。」でした。内心、終わっていたではなくて、市立保育園のみんなはお祈りしてないのよ。教会のコミュニティで育った娘たちは、神様を信じていない人たちがいることを保育園で初めて知るのよね…。これから、園と教会や家庭の色々な違いを体験していくことになるな~と思っていました。

 その一つに「ひな祭り」があります。日本文化としてひな祭りを知ることは必要ですが、我が家でひな祭りをしない理由を娘たちに話したことがあります。

3月4日(月)夕食の会話(当時長女5歳 次女3歳)

長女

「ママ、何でうちではひな祭りしないの?」

わたし

「いい質問だね!病気を治したり、事故から守ってくれるのはだれ?」

娘たち

「イエスさま!」

わたし

「日本ではお雛様が病気や事故から守ってくれると言われているの。お人形が優衣や詩織を守ってくれるかな?」

娘たち

(首を横に振る。)

わたし

わたし「じゃーうちでは、ひな祭りをしなくてもいいかな。」

娘たち

 (うなづく。)

わたし

わたし「でも、お雛様を飾ってお祝いするお友達もいるでしょ?そのお友達は、大切にしているものだと思うから、悪く言っちゃいけないよ。」

長女

「うん、わかった!」

わたし

「ただね、ママの子どもの頃は、女の子の日だからって、ケーキを食べたりしたよ。昨日はママが忙しくて、ケーキとか食べられなくてごめんね。」

長女

「いいよ。今日ドーナツ食べたから。」

 ある時は、いつものように寝る前の祈りをしようとすると、長女が「みんなのうちでは、(お祈りを)やってない。みんなイエス様信じてないもん。」と言いました。確かに日本でクリスチャンとして毎日お祈りしている家庭はあまりないと思います。でも、私は娘たちにこう言いました。「人生大切なことは色々あるけど、一番大切なことは、イエス様を信じることだよ。お友達もイエス様のことを信じられるといいね。」すると、長女は教会のクリスマス会に自分のクラスのお友達が来てくれたことを話し出したのでした。長女もそんなこと考えるようになったんだ。と思いながら、娘たちのために、お友達のために祈り続けようと思いました。

 そして、群れの小さい私たちの教会には、同じ小学校に通うクリスチャンの友だちはいません。娘たちにとって、それはとても寂しいことですし、また時として自分たちだけみんなと違う…と疎外感や劣等感に近いものを感じているようにも思えました。学校生活と教会が切り取られたような人間関係ではなく、日常出会う人たちと教会が繋がり、そこには段差のないフラットな環境にしたいと思って祈りました。

 その頃、近所の公園の中でリーダーシップを発揮している男の子の兄弟がいました。娘たちより少し年上の小学生ですが、彼らの周りにはいつも友だちがいて、異年齢でよく鬼ごっこやボール遊びをしていました。娘たちも仲間に入れてもらい、いつも楽しく遊んでいました。ブラジル人を両親に持つこの兄弟は、2人とも聖書の中にまつわる名前でした。ある時2人に「〇〇君の名前、聖書に出て来ることを知っている?」と私が聞くと、「知っているよ。僕たち毎週(ブラジル系の)教会に行っているから。」と返って来ました。自分たちだけではなくて、「こんなにも近くにイエス様を信じているお友だちがいる。」と分かった娘たちは、本当に嬉しそうでした。その家族は、しばらくして引っ越してしまいましたが、今でも交流が続いていて、先日久しぶりに再会し、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 私自身も「イエス様を信じて生きて行こう。」と思ったのは、やはりクリスチャンの友だちの存在が大きかったように感じています。大人のクリスチャンたちとの関わりも感謝なことは沢山ありましたが、同世代のクリスチャンの友だちの存在が、世の価値観に揺れる時期に大きな励ましになり、助けになりました。

 信仰継承は、文字通り信仰を受け継ぐことを意味します。両親から信仰のバトンを受け取った者として、娘たちに信仰継承をし、さらには、(友だちや未来の家族に)信仰継承をしていく「キリストの弟子となるように育てる」子育ては、試行錯誤の中でまだまだ続いていきます。これまでも、これからも、主と共に…。

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