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宣教師の証-カマチョ・グレンダ宣教師

グレンダ・カマチョ宣教師
Glenda Camacho

神様の不思議な導き

 29年前、ボリビアのAGには宣教師が一人もおらず、「ボリビアは貧しいので、他国からの宣教師が必要である。」という考えがあり、外国へ宣教師を送ることは想像もしていませんでした。

 ある時、神様は一人の女性の心に日本に行くように語りかけられましたが、 ボリビアのAGにとって、それは不可能なことのように思えました。

 当時私は神学校を卒業した後、サンタ・クルスにあるメンバーが2000人ほどのダビデ・モラレス牧師の教会で、12人の牧師の一員でした。若いこともあり、もっと学びたいと願い、アルゼンチンのブエノス・アイレスの神学校に勉強するために行った時のことです。300人以上の若者たちが、毎週の宣教礼拝で神様の招きを受け、私は「どこにでも行きます、私を遣わしてください。」と献身しました。

 しかし、日本のことは、その時まで考えたことがありませんでした。そのことを私に理解させるために、主はいろいろな方法で語ってくださったのですが、確信を求めていた私に、夢の中で誰かが日本について多くの事を語ってくれました。しかもそれは三日間続きました。三回続けて日本について聞く内に、心は日本のことでいっぱいになりました。そしてこの思いは神様から来ていると確信した時、すぐにでも行きたいという気持ちでしたが、そんなに簡単なことではありませんでした。荒野の中を歩むような感じでした。なぜなら誰も、私が日本に宣教師として行くということを理解することが出来なかったからです。

 しかし宣教師になるための準備と思い、校長先生の招きで神学校に戻って学んだり、また教えたりしましたが、それでも道は開かれませんでした。宣教のビジョンは、まだボリビアAGでは受けいれられていない状態でした。その中で支えとなったのは、アルゼンチンで初めて出会った日本人宣教師で、その方が日本について話して下さった時、私は以前夢の中で日本について教えられたことを思い出しました。

 そして三年ほどたった後、日本宣教に対する希望を失いそうになった時、また別の日本人宣教師に出会い、再び心の中に宣教の思いが湧きあがって来ました。確かにこれは、主からの道だと励まされました。当時私はユース・ウィズ・ア・ミッション(YWM)の宣教訓練を受けていました。

 日本宣教のビジョンを持って7年目に、神様はダビデ牧師の心を動かしてくださり、先生は日本のビジョンについ書いた私の手紙を読んで心を開き、教会が祈り、そして主が導いておられると確信して宣教師を派遣するよう教会に働きかけました。 そしてダビデ先生ご夫妻と教会は、日本へ宣教師を送り出すことにしました。

日本への派遣

(日本への派遣)
 YWM大口チーム

 主の守りと助けによりYWMを通して、1995 年9月25日に鹿児島県大口市に到着しました。 私にとって日本に来たことは、イスラエルの民が海の中の乾いた地を歩いたようで、神様しか出来ない奇跡でした。

 韓国人のリーダー家族と3人の韓国女性宣教師と共に、開拓伝道の働きをしました。大口では、みなから親切にしていただき、教会を建てるために多くの祈りと支援を受けました。

 悩みがあった時、別の所に移りたいと祈りましたが、主がはっきりと示されない内は、どこへも行かないと心に決めました。そして、主の恵みの中で、ボリビアに帰る前に教会の基礎が据えられ、そこから主の教会が建てられることを霊の目で見ました。主に感謝します。リーダーたちの継続した働きにより、現在では立派な教会が建っています。

ボリビアAGの宣教ビジョン (マタイ28:19-20)

 私の日本滞在中に、幸いあるご夫妻がAG宣教師としてボリビアからインドに派遣されていました。それには、「教会は宣教のサポートをすれば、必ず祝福される」と言うダビデ先生の証が影響を与えました。主の御名を崇めます。

 イエス様の与えられた宣教命令に従って、現在ボリビアAGは9家族と4人を派遣しています。

日本AG の働き

 ボリビアで宣教報告をする間に、私は正教師の試験を受け、正式にAGの宣教師として日本に派遣されました。日本AGの理事長をはじめ、暖かく迎えて下さり、以下の場所でAGの教会に任命されました。

静岡県島田市(希望クリスチャンセンター)

 内村撤母耳先生と平松道子先生を囲んで

 当時、平松道子先生が牧会をしておられ、引退の希望を出されたのですが、もう一年共に働くようにと教団から頼まれました。私は、平松先生といる間に日本語を勉強し、また、先生からあらゆることを学ぼうと思いました。信徒数は多くなかったのですが、主に忠実で私のことを自分の子どものように受け入れて下さり、教える立場と言うよりも学ぶ側でした。そして多くの先生方に伝道集会に来ていただき、教会は恵まれ成長しました。私が信徒の方に与えることのできる以上の祝福を彼らから受けました。7年間の神の働きが明らかでした。

上原和雄・時江先生ご夫妻を迎えて伝道集会

 ある日曜日私は礼拝で、自分の祈りを繰り返して祈るように頼みました。そして一人になった時、とても奇妙な祈りをしたと思ったのです。なぜなら教会を主の御手に手渡すかのように祈ったからです。 自分では教会を出る思いはなかったのですが、実際にその次の日曜日から、豊川の教会で奉仕するようになりました。たくさんの良い思い出を残して、島田の働きが終わりました。

元旦礼拝

愛知県豊川市(豊川キリスト教会)

 豊川で長年牧会しておられたのは袴田先生ご夫妻でした。私が尊敬する先生方で、まさか彼らの代わりになるとは思ってもみませんでした。信徒は教会に二人だけで、教会の建物がかなり古かったので、清掃と修理に3年近くかかりました。 豊川市には大きなお寺と神社があり、偶像崇拝のために全国から人が集まる時期もあります。多くの霊的戦いを経験しましたが、その中でイエス様の言葉「わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」との約束に大変励まされました。豊川でも伝道集会のために来て下さった先生方に助けていただきました。

クリスマス祝会

 5年間の奉仕でしたが、多くは働くことが出来ず、心細く恐れと孤独の中で、神様の支えと憐れみが日々与えられたことを感謝しています。

豊川教会最後の礼拝にて

証し

野村兄は当時75歳で、50年間教会から離れていました。教会の姉妹と訪ねると、いくつかの病気で苦しみ、「じっと座っているのが難しいので教会に行くことができない。」と言われ、そのため彼の家で聖書研究をしました。ある日教会の話になった時、部屋の雨漏りのことを伝えると、野村兄がその部屋を見に来られ、必要な材料をすべて買い、2か月でリフォーム工事をして下さいました。感謝なことは野村兄が病院の検診で健康であったので、医者が驚いたことです。そして何よりも礼拝に来られるようになり、教会の励みになりました。

大分県佐伯市蒲江(蒲江キリスト教会)

蒲江教会に着任

 豊川の後、蒲江教会に任命されました。教会は姉妹たちがほとんどで、ありがたいことに、何人かの姉妹たちが伝道に同行してくださり、特にある姉妹とは、ほとんどの村と近くの島を一緒に訪問しました。

 蒲江教会では6 年間過ごしました。神様の支えと姉妹方の優しさで励まされました。

 ただ人口が少なく、若い人も僅かな町で、このまま人生を終えることが主の御心ならば従いますと祈りました。しかし主がその年に不思議な方法で夫と会わせて下さり、私たちは教会の祝福を受けて結婚しました。それから夫は神学校通信科に入学し、一緒に奉仕をしました。

 その後宣教報告のためにボリビアに行くことになり、教会を半年間も離れるのは心苦しいことでした。これまで宣教報告のためボリビアに帰国するたびに、教会と教区の先生方に迷惑をかけてきましたので、蒲江教会を辞することにしました。

召天者記念礼拝
主管者の長澤忠雄師と共に
長澤忠雄師、平松慶次師、家族と共に

福岡キリスト教会

 夫と共にボリビアを6か月間巡回した後、吉山先生ご夫妻が長年牧会しておられた福岡キリスト教会に任命されました。教会員は先生方を含めて三家族だけでした。

福岡キリスト教会にて
主管者の野口一郎先生と共に
交わり

 神の恵みにより現在7年目になり、いろいろなことがありましたが、夫が今年主管者に任命され、主の大きな慈しみに感謝しています。

    来日した宣教師家族と共に

 さらに一昨年、へルソン・キニョネス宣教師ご家族をコロンビアから迎えました。これからもスペイン語圏の国から宣教師が来る時に、日本語を教え、宣教訓練をすることができるように準備しています。

 私たちは、主がこの教会に対して多くのご計画を持っておられることを信じ、神様の導きに敏感になり、主の御心に従いたいと願っています。

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