弱さを覚える者に注がれた聖霊のバプテスマの恵み
あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう
(使徒行伝 1章5節)
主の御名をほめたたえます。聖霊のバプテスマの証をする機会が与えられたことに感謝します。
2008年の十条キリスト教会で持たれた聖会の時に聖霊のバプテスマの体験をしましたが、私の聖霊のバプテスマを求める動機は、決して誇れるものではありません。
私は2005年の11月に洗礼を受けましたが、当時は聖霊のバプテスマについての知識がほとんどありませんでした。教会では聖霊を受けよと勧められていましたが、頭で理解しようとしていたために内住の御霊の働きを抑えこんでいたようです。
その聖会には、信仰告白をして洗礼を待つ妻(現在は同労者)と共に参加しました。彼女は、霊的渇きが強く、おそらくその聖会で聖霊のバプテスマを受けるのではないかと思っていました。そのため私は先に招きに応えるように前に出ていった彼女に後れをとってはならないという思いで、一緒に恵みの座に出て行きました。必ず自分も聖霊のバプテスマを受けたいと一心で祈りました。すると不思議なことにそのような人間的な思いが薄れていくと同時に、自分が普段口にすることのない不思議な言葉で祈っている自分に気づかされたのです。するとともに祈って下さった先生から「受霊おめでとうございます。」という言葉をかけられ、私も聖霊のバプテスマの恵みに与かることができたことを知ったのです。
使徒行伝1章には、5節で「 ・・・あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(口語訳)とイエス様が教えらたことをイエスラエルの政治的な復興のことと勘違いをする弟子たちの姿が記されています。そのような弟子たちであってもイエス様の約束である聖霊を祈り求め続けていたところに聖霊が降ったのです。私はこの弟子たちの姿にとても励まされるのです。どのような者でもイエス様のみ言葉に謙遜に従うところに神の御業が起こされるという真理が表されているのです。
聖霊のバプテスマを受けて、私は、聖霊が導きかれるままに牧師としての道を歩む者へと変えられました。
これからも謙遜にイエス様の御言葉に従って聖霊によって歩んでいきます。
※教会名は、掲載時点のものです。
感想・コメントはこちらに♪