
チュアめぐみ
御国的な考えで歩むために
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
(エペソ1章14節)
聖書 新改訳 ©2003 新日本聖書刊行会

お腹にいるときからずっとアッセンブリーの教会で育った私にとって、神様の存在も異言で熱く聖霊を求めて祈ることも、ごく当たり前のことでした。しかし、素直な思いで勧められるままに聖霊のバプテスマを求め、中学生2年の8月、異言で祈りはじめました。その後、私は超教派のクリスチャン大学に入学し、「異言で祈るのは怪しい」という考え方が存在する、ということを知った時に衝撃を受け動揺しました。なるべく怪しい目で見られないように、クリスチャンの友人たちにも自分のうちにある大切な宝を隠し持って過ごした4年間だったことを思い出します。そんな体験を経て「なんで神様は異言を与えてくださるのか?」「必要なのか?」と模索するようになりました。
数年前のあるセミナーで、「人間の頭はいつも何かを常に話している」ということを学び、その後調べてみると、なんと人は1日に約1.2万回から6万回もの思考をしていると言われ、そのうち約95%は前日と同じ内容を繰り返し、約80%がネガティブな内容だと知ったのです。確かに私の頭は常にいつも勝手に何かを考えつぶやき、しかも建設的でないことを何度も繰り返し、ちっとも自分の助けになっていない事実を認識した時に、はっとさせられました。だからこそ神様は私たちに知性だけでなく、異言で祈ることをさせてくださるのだ、と。「異言の祈りは人の徳を高め」(第一コリント14章4節)とあるように、人間的で地上的な限界のある考え方、自分の知っている言葉数や知識から解放し、御国的な考え方を持ち、霊的領域を理解できるように助けてくれるのだ、と教えられたのです。
それ以来、私は自分の脳が何を話しているかに、もっと注意を払うようになりました。家事や運転、お風呂に入りながら、散歩をしながら、夜中に目が覚める時も、脳がくだらないことをぐるぐる考えて話していることに気づくたびに、「主よ、御国的な考え方を持てるように解放してください!」と、時には心の中で、時には声に出して異言で祈るようになり、聖書に365回書かれていると言われる「恐れるな」や「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5章16節)などの御言葉は実践可能な現実であると確信できるようになりました。だからこそイエス様は私たちに「御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。」(マタイ6章10節)と祈りなさい、と言われているのだと理解できるようになったのです。
天のお父様は私たち人間のこんな弱い性質を十分知ってくださって解放し、神の子として「御国を受け継ぐ」(エペソ1章14節)確信をもち、復活のイエス・キリストのように誰かのために自分のいのちを注ぐ人生を歩むことができるように異言での祈りを与えてくださっているという、深い知恵とご親切の愛にただただ感動しています。今は喜びをもって、「異言は怪しいものではないよ。私たちを愛してやまない天のお父様からの素晴らしいプレゼント(賜物)なんだよ。」とみんなに勧めることができるようになりました。主の御名を心からほめたたえます!

※教会名は、掲載時点のものです。

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