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聖霊のバプテスマの恵み(56)澁澤主悦

 

岐阜神愛キリスト教会
澁澤主悦

わたしプライドの塊でした

彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。

(ピレモンへの手紙11節)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

わたしプライドの塊でした

 1964年、東京オリンピックの年に、私は牧師家庭に生まれました。それからあっという間に34年が過ぎた頃、宮城県の泉福音チャペルへ導かれました。そこは、まるで聖霊が渦巻いているかのような、圧倒される教会でした。しかし牧師の息子であるはずの私は、聖霊のバプテスマを経験していないどころか、「聖霊?異言?ってなに?」と、そんなよく分からない状態でこの教会に来てしまったのです。

 その時家庭の危機の中にあった私は、東北聖会の聖霊待望会に参加し、「祈ろう、聖霊を受けよう!」と意気込んでいました。泉福音チャペルには、教会でも仕事でも大変お世話になっているT兄がいます。彼に一緒に祈っていただきましたが、どんだけ祈っても、なかなか聖霊を受けることができませんでした。「こんなはずじゃない。こんなはずはない。何たって私は牧師の息子なのに!」そのとき、T兄は肩で息をしながら私の隣でひざまずき、こう言いました。「全部、明け渡すんだよ。全部、空っぽにするんだよ。」本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 私の自己中心的な目的「プライドをかけた聖霊のバプテスマ」のために、T兄はヘトヘトになりながらも、私の肩から祈りの手を離しませんでした。何を捨てたらいいのか、何を空っぽにしたらいいのかも分からない。それでも「主よ、捨てます」と祈ったのです、そのときでした。気がつくと、口だけが勝手に動き、自分とは別の存在が祈っているような感覚になりました。ふと隣を見ると、T兄が手を叩いて喜びながら、「つばぺっぺって、きったね〜!」と笑ってくれていました。

 聖霊のバプテスマを受けた後の私は、このプライドもすっかり捨て去り、生まれ変わりました。と言いたいところですが、そう簡単ではありませんでした。このプライドというものは、本当にしつこいのです。しかし、玉ねぎの皮をむくように、少しずつ脱ぎ捨てていけばよいのだと思います。ピレモンへの手紙11節には、

以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。 (ピレモン11節)

とあります。私も彼のように、役に立つものに変えられたい。そのように祈っています。

 そうそう変わったことといえば、路傍伝道やってます。今時と言われるかもしれないけど… 以前は近所の公園とかでしたが、最近は名鉄岐阜駅前でやってます。そして最近は顔馴染みも出てきて、讃美歌聞いてくれる人や話を聞いてくれる人、ときには一緒に祈ってくれたりしています。きっと神様はこの働きの実を結ばせてくれる。そう祈っているのです。すごくワクワクするのです!聖霊の恵みはワクワクするのです!

愛犬と

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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