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聖霊のバプテスマの恵み(57)末次勝

 

小岩栄光キリスト教会
末次勝

スロースターターの私にさえ

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。

(ルカによる福音書11章13節)

聖書(口語訳) 日本聖書協会

スロースターターの私にさえ

 私は、小学生の時、友だちに誘われて教会の日曜学校に行くようになりました。そしてイエス様を信じるようになりました。そのようなわけで聖霊のバプテスマのことも、異言のことも、話しは聞いておりましたし、知ってもいました。そしてキャンプや聖霊待望会で何度も前に出て祈り求めました。

 けれども何度求めても、いっこうに与えられるきざしはありませんでした。まわりの人たちは次々に与えられて受霊していきます。一方で自分にはなぜか与えられない、受けることができない、なんだか自分だけ取り残されたような気持ちになりました。もしかしたら自分は聖霊のバプテスマを受ける資格が無いのはないか、受けるに価しない人間なのではないか、神様は私のことを見捨ててしまわれたのではないかとも思うようになりました。

 ちょうど中学生の時、罪の自覚が生じ、人間関係にも悩み、自分の弱さ、限界を感じていて、救いの確信も揺らいでいた時期がありました。私は心の中がとても苦しくなって、夢中で新約聖書を読みはじめました。読んでいるうちに、エペソ書2章8節に代表される通り、人は恵みにより、信仰によって義とされるのだということ、私が何か神様の前に善良であったからとか、何か認められるべきものがあったから救われたのではなく、ただ神様からの一方的な憐みによるものだということが分かってきました。そして何よりも聖書のみことばに従って、イエス様の十字架の福音を信じ受け入れたときに人は救われるのだということが分かりました。感情ではなく、聖書のみことばこそが、この私の救いを保証してくれている、そのようなことが分かって、私はようやく救いの確信を取り戻すことができ、心に平安を得ました。

 そしてそののち、聖霊待望会の日がやってきました。1984年6月10日のことでした。その日もどうせ今回もダメだろう、受けられないだろうというあきらめの気持ちが半分と、いやいやいつかきっと与えられる、もしかしたら今日がその日なのかも知れないという期待の気持ちが半分というかたちで出席しました。

 その日も、ずっと祈っていましたが、時間がとても長く感じられました。すると牧師先生(故重本芳昭師、江戸川台キリスト教会)が私のところに来て、手を置いて祈ってくださいました。そして「もう特にことばを選ばなくていいから、神様に委ねて祈ってみなさい」と先生に言われ、その通りに祈ってみたら、自分でも何か分からない、うめきのような声があふれてきました。先生が「聖霊のバプテスマを受けることができましたことを感謝します」と祈ってくださったので、ああ私もついに受けることができたのだということが分かりました。

 神様は、やはり私のことを見捨ててはおられませんでした。それから高校のクラスメートに、教会のこと、イエス・キリストのことをお話しするようになりました。教会に行くことが今まで以上に大好きになり、教会のみなさんと一緒に奉仕することが私にとっての大きな喜びとなりました。

 ところでわたしは自分のことを、スロースターターだと思っております。CBC(中央聖書神学校)入学までも時間がかかって、ようやくたどり着きました。私はゆっくりではありますが、確かに神様が成長させてくださっておられます。そこには聖霊が働いておられます。そして今は神様が与えてくださったところで、喜んで神様に仕えております。私にペンテコステの信仰をお与えくださった神様に、心から感謝申し上げます。

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(ルカ11:13)

家族と共に(CBC卒業式)

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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