
知念吉和
主の計画こそが実現する
「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」
(箴言19:21)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

20歳の頃、洗礼を受けて数か月ほど経った頃のことです。私は交通事故を起こしてしまいました。被害者にけがはなく、小さな事故ではありましたが、事故を起こしたことで大きく落胆し、牧師先生に祈っていただこうと思い教会を訪れました。すると何名かの方々が教会で祈っていました。聞くと、それは聖霊待望会でした。私は当時、聖霊待望会に全く関心がなく、その集会が行われていることさえ忘れていました。理性的にキリストを理解しようとしていた私は、異言を伴う聖霊のバプテスマについて、無意識のうちに敬遠していたのかもしれません。
事故のことを話そうとして牧師先生に声をかけましたが、話を聞く前に「とにかく、あなたも祈りなさい」と言われました。私は半ば仕方なく(牧師先生、ごめんなさい)、座布団に座って祈っていました。すると、その時です。私は異言を語り始め、聖霊のバプテスマを受けたのです。喜びと感謝もありましたが、それ以上に「こんないい加減な私に異言が与えられるのだろうか」という驚きと戸惑いがあり、複雑な思いでした。
しかし、それ以来、私は信仰生活の中で数多くの聖霊の働きを体験しました。聖霊による慰めと励ましを受け、みことばの真理の解き明かしを与えられ、祈りの中で主の明確な語りかけを聞くこともありました。理性でイエス様を知ろうとしていた者が、交わりと体験、そして聖霊の働きを通してイエス様を知る者へと変えられていったのです。
しかしながら、その後、私は信仰が冷めてしまい、熱心とは言えない信仰生活を長く送り続けていました。「熱くもなく、冷たくもないので、わたしはあなたを口から吐き出そう。」(ヨハネの黙示録)まさに、そのような者だったと思います。
信仰生活が40年ほど経った頃、私は献身する気もないまま、半ば冗談のように祈りました。「神様、あなたはモーセをミデヤンの地で40年後に召されました。私もそろそろ40年になりますが、私の時は来ないのでしょうか。」なぜそのような祈りをしたのか、今でも不思議です。しかし主は、私の祈りを笑われるかのように、すべてを完全に整え、私を伝道者として召してくださいました。主はユーモアのあるお方です。ハレルヤ。
「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」(箴言19:21)
今振り返ると、聖霊のバプテスマを受けた時から、主はすでに私に計画を持っておられたのだと思います。今は素直に、そのように受け止めています。聖霊のバプテスマはゴールではなく、主との歩みの始まりでした。このお方と共に歩める人生を心から感謝します。
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※教会名は、掲載時点のものです。

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