MENU

聖霊の炎を掲げて⑨

「非ペンテコステ派からペンテコステ派に」

鈴木正和 
中央聖書神学校講師
水場コミュニティーチャーチ牧師

 非ペンテコステ派の教会の中で最初にペンテコステ派に加わったのは大阪の粉濱基督教会(現 大阪中央福音教会)です。その時の牧師がホーリネス派出身の上井乙熊、そして戦後になって牧師に招聘されたのもホーリネス派出身の川崎一でした。

粉濱基督教会(現 大阪中央福音教会)

  粉濱基督教会は基督伝道隊の創始者である柘植不知人の神癒を強調した聖会を機に1923年4月に基督伝道隊の粉濱基督伝道館として発足し、初代の牧師は大平春彌(在任1923~1931)でした。当初から自給教会であった粉濱基督伝道館は1927年の柘植の没後に単立教会となり、1928年には会堂を建築します。1932年3月の大平の没後に日本伝道隊出身で日本ホーリネス教会の上井乙熊が牧師に就任し粉濱基督教会となります。上井は日本ホーリネス教会に所属したまま牧会し、粉濱基督教会は1935年の日本ホーリネス教会の分裂まで日本ホーリネス教会との協調関係を保ちます。

上井乙熊(生没年不詳)

 上井はもともと大阪府の巡査でしたが、友人に導かれて日本メソジスト堺教会でクリスチャンになり1906年3月に受洗します。その後1916年に伝道者を志して日本伝道隊に加入し、1923年から加古川の日本自由メソジスト教会の牧師を皮切りに幾つかの教会を牧会し、後に日本ホーリネス教会に所属するようになり、1932年には粉濱基督教会の牧師として招聘されます。

 上井は日本ホーリネス教会の中田重治の奨励する「四重の福音」を信じ聖化の体験を求めていましたが、それを受けることができずにいました。そんな時に彼は東京の大塚日本聖書教会の村井屯二(「屯」の下に「二」で読みは「ジュン」)の発行する『聖霊』誌を手にして、自分はまだ聖書的な「聖霊のバプテスマ」を受けていないと思い、聖霊体験を求めるようになります。1936年9月30日から日本聖書教会の聖霊盈満会が三日間横浜で開かれることを知った上井は、教会員の反対を押し切り関西からわざわざこの聖会に二日目から参加します。彼はそこで聖霊体験を祈り求めます。はじめは雰囲気に圧倒され当惑さえしますが、最後に上井は「我は活ける水を見出せり」と感激的な話を会衆の前でします。

 この集会で強い聖霊の臨在を体験した上井は、帰阪後に村井を講師として粉濱基督教会に招き聖霊待望会を開催することを教会員に提案します。教会員は皆反対しますが、最後には上井の切願によって村井を招くことを承諾して1937年7月に粉濱基督教会における最初の聖霊待望会が持たれます。これは当初四日間の予定の集会でしたが、最初の三日間は聖霊体験する者は一人もいませんでした。しかし四日目に次々と聖霊体験する者が起こされ、その為に集会は延長されて一週間となり、次々と教会員の中から聖霊体験をする人たちが起こされて行きました。

 続いて10月31日からは二回目の聖霊待望会が催され、東京から村井の他にノーマン・バース宣教師もやってきます。上井の妻に続いて上井本人も11月2日の早天祈祷会の時に聖霊体験をします。そして彼の娘や息子たちも聖霊体験をし、粉濱基督教会では大人の教会員のみならず日曜学校の生徒たちも次々に聖霊体験をするようになり、前回の聖霊待望会と合わせて77名が聖霊体験をしました。粉濱基督教会はこのことを感謝して1937年11月28日に聖霊感謝会を持ちます。

聖霊感謝会の集合写真 1937年11月28日
『聖霊』(第34号、1938年2月号)、1。
日本聖書教会の皇紀二千六百年記念関西大聖会の告知
『聖霊』(第57号、1940年3月号)、2。

 粉濱基督教会はこの年の内に日本聖書教会に加入し、1938年には大阪聖会、1939年1月に関西聖会、1940年4月に関西聖会、1940年7月に大阪聖会を開催し、日本聖書教会の関西のハブ教会としての働きを持ちます。1939年1月の四日間の関西聖会では多くの来会者が聖霊体験と癒しを受けます。この時には奈良の川崎一をはじめ、神戸のメアリー・テーラー、西宮のフローレンス・バイヤス、大阪の内村誠一や沖千代、そして関東からも長島ツルや大地兼香も参加し、東西のペンテコステ派の交流が深まります。1940年4月に上井は日本聖書教会の理事に任命されます。

聖霊降誕第三週年記念大阪大聖会の告知
『聖霊』(第59号、1940年5月号)、2。
関西聖会の集合写真 1938年1月15日
『聖霊』(第45号、1939年2月号)、1。

川崎一(1902-1959)

 川崎一は1926年7月に友人に導かれて大阪ホーリネス教会(現 大阪西野田教会)で信仰を持ち12月5日に受洗します。彼は伝道者としての召命を感じますが、直ちに決心がつきませんでした。しかし長女が死産であったこと右手首の癒しきっかけに献身します。彼は一宮政吉の大阪決死隊聖書学校で学び、1930年4月に日本ホーリネス教会の大阪の大和田教会の牧師に任命され、その後茨木、高槻、奈良で牧会します。

 川崎は1928年に師である一宮政吉に「聖潔」について教えられて以来、それを体験することを熱心に祈り始めました。川崎は1936年8月に『聖霊』誌の復刊号を大阪で手にします。これを読み聖霊体験に興味を持った川崎は1936年11月に『聖霊』誌の主筆であった村井屯二(「屯」の下に「二」で読みは「ジュン」)を訪ね東京で彼と6時間も議論します。

 それ以降川崎は日本ホーリネス教会の先輩でもあった粉濱基督教会の上井と交流の機会を持つようになります。前年より霊肉ともに疲れを覚えていた川崎は1938年2月16日には粉濱基督教会の祈祷会に癒しを求めて出席し、その際に聖霊体験をし、それまで求めていた心の平安を得て涙します。1939年1月12日にはそれまで聖霊体験について批判的であった夫人も粉浜基督教会で開催された新年聖会で聖霊体験をします。

 翌週の1月19日(木曜日)に川崎は彼が牧会していた奈良聖教会の祈祷会で信徒の前で彼らが聖霊体験したことを告白します。ホーリネス派は中田重治の影響により常にペンテコステ派を異端視しており、日本聖教会内では川崎がペンテコステ派(日本聖書教会)と関わっていることが噂さされ、日本聖教会本部が川崎の身辺調査を始めていることを川崎自身も知っていました。川崎は夫婦で聖霊体験をしたこともあり、日本聖教会を離れることを決心し、この祈祷会の席で信徒たちに次のように述べます。

 かく皆様の前で聖霊の証をした以上、きっと退職させられるに違いないと思うから、この次の日曜日に袂別の礼拝を致しましょう。

 この祈祷会でも聖霊の恵みがあり、翌日から教会員たちが聖霊体験をし始め、決別礼拝では異言の祈りが会衆の中から自然と起こります。翌日の1月23日(月曜日)には奈良聖教会で川崎一家を送り出す送別会があり、彼らは27日に引っ越しをし、そして28日には奈良日本聖書教会を奈良市佐保川町に設立するのです。その後恵みのうちに奈良日本聖書教会には救霊者が多く与えられ、特別な勧誘をせずに続々と転会者が与えられていきました。

奈良日本聖書教会1939年
左端がフローレンス・バイヤス、中央が川崎一、その右が村井屯二(「屯」の下に「二」で読みは「ジュン」)
『北風を起これ』の巻頭写真集より

戦中・戦後

 1941年6月から日本聖書教会の村井屯二(「屯」の下に「二」で読みは「ジュン」)、長島ツル、川崎一、太田福造、上井乙熊の5人のリーダーたちが台湾の日本人真耶蘇教会を訪問しますが、その中で村井と上井の二人が真耶蘇教会の教理に強く影響され同地で再洗礼を受けます。この時期がちょうど日本基督教団の加入申請時でしたが、村井と同様に上井と粉濱基督教会は日本基督教団に加入せずに独自の道を進むことにし、川崎は奈良大和教会として日本基督教団に加入します。

 戦争末期に上井は山陰へ疎開し、一時東京の滝野川聖霊教会出身の岩元藤雄が粉濱基督教会牧師になりますが、その後は信徒の鹿島外雄などによって支えられ存続します。当時の様子を鹿島は次のように振り返っています。

戦争が激しくなるにつれ、若い人々は出征、また徴用され、信者たちは田舎に疎開して教会の集まりはさびれ、空襲の敵機の爆音を耳にしながら三、四人の者が礼拝を守ったことも何回かあり、一時は教会は無牧の状態でした。

 幸い会堂は戦災を免れて敗戦となりますが、上井は粉濱基督教会に復帰することなく独自の道を歩み、後に日本における真イエス教会の設立に関わります。粉濱基督教会は1945年10月に川崎を牧師として招聘し、川崎は12月28日に赴任します。赴任後初めての礼拝出席者は6名のみでしたが、川崎の指導のもと数年で教勢を伸ばし、次々と伝道所を開設します。

 戦後のペンテコステ派の再結成が関西の川崎と関東の弓山喜代馬を軸に試みられ、川崎は1949年3月の日本アッセンブリー教団の創立メンバーとなります。粉濱基督教会は日本アッセンブリー教団の多くの伝道所及び伝道者を輩出しました。川崎を通して聖書学校の同期であった門司ホーリネス教会の力丸博は日本アッセンブリー教団の全国聖会に参加し、そこで聖霊の迫りを受けて聖霊体験をし、後に日本アッセンブリー教団に加入します。このような非ペンテコステ派の教職の日本アッセンブリー教団への加入は、日本アッセンブリー教団の幅を広げ、その後の発展を助けます。

 川崎一師は1959年11月4日に57歳で地上の馳場を駆け抜けます。川崎師の不撓の伝道者人生については『北風よ起これ ―人生五十年の回顧―』(恵み福音キリスト教会、1992年)で記されています。

📝 記事の感想等は、下方のコメント欄をご利用ください

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

お友だちへのシェアにご利用ください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

感想・コメントはこちらに♪

コメントする