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「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」①

 「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」① 

平松 恵子(桶狭間キリスト教会伝道師)
小学校3年生と1年生の娘の子育て中(2022年4月現在)

卒園間近の2月下旬に、次女が図書館で借りて来た絵本を見て驚きました。「さよならぼくたちのようちえん」「えらいこっちゃのいちねんせい」「いちねんせいになったから!」卒園に向けての話、小学校入学してからの話ばかりを選んでいたのです。次女の関心が、そんなにあったのかとハッとさせられました。二人目ということもあり、次女がそんなに気にしていることに、親としても気がついていませんでした。

 そのころ次女は、「お腹と心(胸)が痛い。」とよく言うようになっていました。その都度手を置いて、癒しのため、またその原因が分かるように祈っていましたが、どうやらその痛みは、色々な心配や不安から来ているものではないか、と私の中で絵本の件と繋がりました。それからは、お腹が痛いと言うたびに、何を心配しているのか、一つひとつ聞きながら、安心できる言葉をかけていきました。「分からないことがあったらどうしよう」「困ったときは、どうすればいいのかな」「教室の場所わからない」どれも大人からしたら、大したことではないけれど、本人にとってはお腹が痛くなるほど心配なのだから仕方がありません。

 娘の話を聞きながら、自分の小学校生活はどうだったのか?と振り返りました。私は、極度の人見知りで緊張する子どもでした。妹が私の人見知りの度合いをよく覚えていてある時こんなことを言いました。「お姉ちゃんは、電車に座る時、両側が知っている人ではないと、座らなかったよね」と。つまり隣の人が見知らぬ人だと、電車の座席にも座らなかったらしいのです(私自身は覚えていないのですが)。
思い返すと、私は担任の先生が替わると、慣れるまで給食が喉を通りませんでした。と言うと大げさかもしれませんが、本当にしばらくの間、一口そこそこしか食べずに帰宅していました。5年生になっても、その性分は変わらず、担任の先生に「給食を残してもいいですか」と聴きに行くと、「声が小さ過ぎる。」と言う理由で取り合ってもらえなかったこともありました。悲しくて、悲しくて翌日は学校を休んでしまうほどでした。心配した先生が、電話をかけてくれて、「給食を残してもいいから、学校に来てね。」と言ってくれたので、安心してまた学校に行くようになりました。(次女の毎日のように繰り返しの内容にまた~と思ってしまうことも正直ありましたが)そんなことを思い出すと、次女の気持ちに寄り添うことが出来ました。そして、自分の子どもの頃の話を次女に話すと「ちょっと安心した。」と言い、ニコリと笑ってくれました。

 幸いなことに、夫も次女の様子をよく理解してくれ、意識的に朝起きる時間にスキンシップを心がけていました。そして、今まで出来ていたことが出来なくても、咎めることなくサポートを夫婦で心がけました。その背景には、私が幼児教育の現場に居た頃に教えられた子どもたちの「がんばり」と「輪ゴム」のたとえが関係しています。子どもたちは、家庭の外でその子なりに一生懸命にがんばっています。そのがんばりは、まるでゴムを引っ張った時のようにピンと張りつめていきます。反対に、甘えることの出来る環境が子どもを取り巻くと、ゴムはたわんで来ます。がんばりが続き過ぎると、張りつめたゴムのようにプツンと切れてしまいます。逆にゴムをたわませておけば、ここぞと言う時に、ピンと張りつめてもそう簡単に切れることはありません。夫とは子どもたちにストレスがかかっていることが分かるとき、いつも以上に娘たちが甘えられる環境を持つように意識して関わるようにしてきました。

 もう一つ、このことに関して娘と一緒に取り組んだことは、「今までお祈りしたら、イエス様はいつも助けてくれたよね。これからも困ったときは、お祈りしたら必ず助けてくれる。イエス様はいつも一緒にいてくれるよ。」と励ましました。眠る前、娘にそう話すと、小さく頷き祈って眠りにつきました。翌日、日中は元気そうなのに、夜になるとまた「お腹が痛い。」と言い出します。繰り返しの話も多く、いつもそうできるわけではありませんでしたが、出来るかぎり卒園や入学の心配に耳を傾けました。それでもしまいには、「ずっと保育園がいいな~。」とも言い出しました。ランドセルや学用品を選びながら、あんなに楽しみにしていたのに!と内心思いましたが、娘にとっては初めてのことで、それだけ不安が大きいのならば仕方がありません。痛いと言えば、神様にお祈りをし続けました。

 こんなやりとりと祈りを続け、3週間を過ぎたころです。だんだんと次女は、腹痛を訴えることが少なくなりました。目に見えて不安は期待へと変わりつつあります。2歳上の姉に「学校に入るとまず何をするの?」と不安とは明らかに違う期待を持って、質問をするようになりました。園では、卒園式の練習が始まり、お友達や先生とのお別れに寂しさを覚えつつも、新生活への不安より期待の方が大きく膨らんで来たようです。

 そして、4月ピカピカの1年生がスタートしました!毎日黄色い帽子を被って、元気に登校しています(卒園前の腹痛は何だったのか!?と思わされるくらい。笑)。
どんなことでも一緒に祈ること、イエス様の心で娘にも寄り添うことを教えられた気がします。

思いを巡らした聖書の言葉

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」第一ペテロ5章7節

「神はわれらの避けどころ、また力。
苦しむとき、そこにある助け。」詩篇46篇1節

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103篇2節

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コメント一覧 (2件)

  • 子育て大変なんですね。子供も、孫も、子育て当事者になるべきなのに、仕事優先で夢中になっていましたので傍観者でした。反省しています。「ただ今、子育て奮闘中!with JESUS」 with JESUSに共感しました。私はwith Church と言いたいのです。と申しますのは、我が家の子どもも、その子供が育てている孫たちも、教会の兄弟姉妹が寄ってたかって甘やかしたりしごいたり、ほめちぎってその気にさせたり、教会のご用をさせていただいたり、教会でかなりの自信をつけて学校に行き社会に出て行ったように思います。(妻の証言) これは我が家だけのことではなく、教会の子どもたちを見て、納得しているところです。皆さんライフステージに応じた恵みの中で育っています、から。平松 恵子先生の奮闘拝読し共感されるママたちがおられることと思います。教会では子供たちにじいじと呼ばれている後期高齢者も、続報を楽しみにしています。ありがとうございます。

  • コメントありがとうございます♪コメントに気づかず、大変失礼いたしました。
    with Church♪本当にその通りですね。私自身も教会の皆さんに育てていただき、娘たちも教会の皆さんの祈りと愛情の中で育まれていることに感謝です。教会は、本当に素晴らしい神の家族ですね!次回楽しみにしてくださっている方がおられることに励まされます。祈りつつ備えます。

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