メディカルカフェの働き(1)
笹子 三津留・真由子 夫妻
これから4回の連載で私たちが御影神愛キリスト教会で開いているメディカルカフェのことをご紹介し、その活動を通して経験した恵みと祝福について綴りたいと思っております。
私達夫婦はがんの専門病院で長く働きましたので、がん患者さんが病院ではなかなか吐露しにくい色々な不安、苦しみ、痛みを抱えられていることに気付いてはおりました。でも、正直、病院では何もできませんでした。世界保健機関(WHO)ではがん患者の痛みには肉体的、精神的、社会的、そして霊的な痛みがあるとしています。私が医者になった1970年代のわが国ではがんの告知もされず、肉体的痛み以外には目の注ぎようがなかった時代です。やがてがんの告知も説明と同意も徐々にではありましたが、当たり前の世界となっていきました。1980年代に生まれたサイコオンコロジーという概念も2000年あたりからわが国でも広く普及し、病院、ことにホスピスでは、心理的苦痛や社会的苦痛に対するケアも広がりを見せ始めました。しかし、残念ながら我が国で最も遅れている分野が霊的ケアであり、いまだに全く手薄な状況です。私自身、国立がんセンター中央病院という患者さんが押し寄せる専門病院の医療者として働く中で、そのようなことに気付いてはいても、何をしたらいいのかわからずに過ごしておりました。でも、ちょっぴり本気で、第1線を退いたら、患者さん向けのバーでも開いてゆっくり心の内を聞けたらいいなという漠然とした幻を抱いておりました。
わたしたちが御影神愛キリスト教会に導かれ、受洗して間もなく、メディカルカフェの一つである「がん哲学外来」を主宰しておられる樋野興男という病理のお医者さんの著書を目にする機会があり、私たちの教会でもメディカルカフェを開きたいという思いを持つようになりました。
皆さんは、がんは自分と縁がないと思っていませんか。縁がないどころか、ほぼ確実にかかる病気となりつつあるのです。がんは我が国では男性の65%、女性の50%が生涯のどこかで1度は罹患する病気です。男性では経験しない人の方が少ない病気、つまり他の病気で死なない限り、やがてあなたにも訪れる病気だということです。どの教会においても、自分自身ががんを患っている人、過去に経験した人、近い家族ががんである人、ご家族をがんで見送られた人は少なからずおられるはずです。
コラム
わたしたちのカフェには、抗がん薬治療中の方、手術からの回復途上の方、治療を終えて経過観察中の方、ご家族が治療中あるいは治療後の方、ご家族を見送られたご遺族など、様々な方が来られます。また時にはがんではない難しい病気を患う方が来られることもあります。
- このような場が必要である理由としては、
まず現在の医療現場では時間的な制約が多いことが挙げられます。 -
「3時間待ち3分診療」という言葉をご存じの方もあると思いますが、実は決して誇張ではないのです。これだけ患者さんが多い病気ですから、外来診察では1-2時間待ちは当たり前、患者さんが集中する病院では時に4-5時間待ちも起こります。医者は定時診療時間中に診療を終わらせないと責任者から叱られます。患者さんからは苦情が来ます。「予約時間に全く意味がないじゃないですか」と責められることはしばしばです。そんなプレッシャーの中で、あってはいけないと知りつつ、医療者の心には「数を捌かねば」という思いが湧いてきます。一人一人の心に寄り添うなんて思いはどっかにすっ飛んでいきます。もちろん診断が難しい例や治療選択に迷うケースなどでは十分な時間をかけた説明と同意が必要になります。大半の医師はそうしていると信じています。でも話の長い患者の話をどう切り上げるかは医者の技量として大切だと思われているのも事実です。こんな状況では、良識的な患者さんであればあるほど、外で待っている沢山の患者さんのことを気にしますので、質問も遠慮がちとなり、聞きたいことも飲み込んでしまわれます。
- カフェが必要な2番目の理由は、
患者さんやご家族の多くが直接医療と関係のない問題を抱えておられることです。 -
一つは社会的痛みに属するもので、仕事、人間関係、医療費や経済的なことなどです。幸いソーシャルワーカーが普及した今日では、このような問題の多くについては彼らが時間をかけて説明し、助言を与えてくれるようになり、大分改善されてきました。でも、がん患者さんの多くはソーシャルワーカーが扱える範囲を超えた疑問と不安を抱えているのが事実です。それは心理的というべき、また時には霊的というべきものであります。その痛み、不安、恐れはどこから来るのでしょうか。
- まずがんという病気の正体を知らないことが原因です。
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これからの治療がどうなるのか、その後の経過はどうなるのか、治療により生じる障害はないか、そして何より治るのかという不安です。手術や抗がん剤治療に対しては、治療そのものに対する不安を抱えている方も結構おられますので、治療を迷っている時点で来られる方もおられます。ネット情報では、極端な例が多く登場し、手術や抗がん剤治療といったガイドラインで推奨されているようなまっとうな治療に不安や疑問を煽るものが目につきます。そのような方にとっては、経験者の体験を聞くことや、治療を乗り越えて元気にしておられる姿を見ることからも多いに安心を得られるようです。メディカルカフェでは、こうした不安を患者さん同士がシェアし、また先輩患者さんが実体験をお話しくださることで不安が和らぐことが多いと感じています。「この苦しみは自分だけじゃない。同じ仲間がいて、そこで気持ちを分かち合える」ということだけでも、違うようです。もちろん、私たち二人が過去の患者さんから教えていただいた沢山の経験もお役に立っているとは感じています。直接次の患者さんに渡せなかった託されたバトンを次の患者さんへと運び渡していくのも私たちの務めと感じています。
- 患者さんにとっての最大の問題はがんという病気に伴う死への恐れです。
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コロナの時代となって少し状況は変わりましたが、平和なわが国では死への恐れを持って暮らすということがほとんどありませんでした。幾度か経験した大震災も、津波も、原発事故も、巻き込まれた当事者以外にとっては、決して自分事ではなかったのです。そのため日頃より、生きることの意味や死ぬことの意味を突き詰めて考えてきた方は例外だというのが私の印象です。がん=死という時代ではありませんが、罹ったら半分の人が亡くなる病気ですから、死への恐れが付いて回るのは当然です。多くの患者さんは、治療が成功しても長きにわたって再発への恐れを口にされます。「もう大丈夫ですよね?」と食い入るような眼で見つめられ、「大丈夫です」という一言を私から引き出そうとする方も少なくありません。
- 様々な恐れの根底にある共通項は失うことへの恐れです。
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今の幸せ、仕事を含めた社会的立場、お金、家族、そして命です。すべてを失うかもしれないという思いにとらわれたとき、自分の人生は何だったのだろうかという問いが急に投げかけられます。何かを目標に懸命に生きてこられた方にとっては、その目標が目の前で崩れていく感覚が襲います。健康に人一倍気遣い、体に悪いことは一切避けてきたとの自負がある人はなぜ自分がこんな目に合わないといけないのかとショックを受けます。発見時すでに様々な転移が起こっている進行したがんの場合には、一筋縄ではいきませんから、自分の力で人生を切り開いてきた人にとっては、自分ではどうしようもない窮地ということです。まさに魂を根底からゆさぶられる霊的な痛みなのです。わが国では、がん医療においても霊的ケアの必要性の認識が低いため、ケアを提供するための体制をしっかり整えている病院はごく僅かにすぎません。
- メディカルカフェのもう一つの大きな働きは患者さんの家族のための場でもあるということです。
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がん患者さん自身のための患者会というものは地域ごとや全国規模でも存在します。多くは同じ病気の人の集まりです。また少しずつではありますが、がん患者の家族のためのサロンもできているようです。また家族をがんで亡くされたご遺族ための遺族会も散見するようになっていますが、病院では患者さんの家族のために沢山時間を取ってくれるという場は用意されていません。
余命が短いと宣告された終末期の患者さんの不安や死への恐れが大きいことは理解しやすいでしょうが、実際のところ、残されていくご家族、配偶者やお子さんの不安はそれ以上に大きなものです。ことに壮年期にある患者さんの場合は問題が重大です。男性であれば、一家の大黒柱であることが多く、女性の場合は家庭生活を支えている中心的存在ですし、子供が未成年であることもしばしばです。一方で、高齢のご夫婦において、女性がそのような状態になったとき、高齢男性の妻を失う恐れは想像以上です。グリーフケアへの関心が高まっているのは事実ですが、まだまだ十分な状況とは言えません。
次回からは実例をあげて、この働きで受け取った恵みと祝福をお分かちしたいと思います。
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