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メディカルカフェの働き(2)

メディカルカフェの働き(2)

笹子 三津留・真由子 夫妻

 メディカルカフェは、月に2回、(感染対策をしながら)平日の午後に開催しています。
近所に住んで自転車や車椅子で来られる方、大阪など近隣他府県から電車に乗って来られる方など様々です。みなさんカフェを楽しみにしてくださっていて、開始時間の30分前から席に着かれている方も少なくありません。

 コロナ前は15~20名、コロナ禍にあっても毎回10名程の方が毎回参加されていますが、参加者はほぼ全員ノンクリスチャンです。

 カフェスペースでは4~5人でテーブルを囲み(コロナの前はお茶を飲みお菓子を食べながら)自由におしゃべりしながら過ごしています。病気や治療、不安や悩みに関する話題だけでなく、病気と無関係のたわいもない世間話しで盛り上がっていることも多いです。

 個人的に相談がある方には、プライバシーに配慮した空間で個別にお話しを伺っています。多くの場合は病気や治療に関する相談ですが、時には病気に伴って発生した仕事での悩みや家族間の問題の相談を受けることもあります。

 ノンクリスチャンの方々、しかも病の苦しみや喪失の悲しみの真っ只中にある方々と関わるこの働きは私達夫婦だけで出来るものではありません。教会の数名の兄姉が毎回カフェに参加してご奉仕してくださいます。ご自身ががん経験者であったり、患者さんのご家族やご遺族の立場であった経験から、この活動に重荷を持って奉仕して下さる兄姉の存在は私達にとって大きな力となっています。

 兄姉は対人援助職では無く、特別なレクチャーや訓練を受けたわけではありませんが、来られた方々に愛を持って寄り添い、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」そのようなキリスト者の姿で関わってくださっています。来られる方々からもクリスチャンの兄姉との交流を楽しみにしていると言う声を聞き、素晴らしい証しの場となっていることを感謝しています。

また教会員の先生方や多くの兄姉が執り成し祈ってくださっていることによって、この活動が守られていることも感謝しています。

患者さん達は、ゆっくりお話しできる時間空間があると、病気のことだけでなく歩んできた人生を語ってくださるようになります。

話しを聴き続けていると、実はがんよりも家族や人間関係のこと、経済的なこと、孤独であることの方が深刻な悩みであることが明らかになってきます。

さらに信頼関係が出来ると、死生観や生育歴を語ってくださることや、心にしまい込んでいた「ゆるせない思い」「思い出したくない記憶」「死への恐れ」などのスピリチュアルペインに触れる瞬間も少なくありません。

全ては、その場に働いてくださる聖霊様の働きであることを感じています。

今回は、カフェで出会った、神様に愛された3人の女性をご紹介したいと思います。

私と同年代のKさんは、とてもおしゃれで可愛らしい女性でした。カフェで教会に来られたことがきっかけで、クリスマスの礼拝やセルのレクレーションにも喜んで参加されていました。ある時がんの再発が見つかり、手術を受けることになりました。入院前にカフェに来られた時には、みんなで手術の成功と完全な癒しのために祈りました。

2週間もすれば退院して、1ヶ月後には再会できると思っていたのですが、「術後合併症が起きて困っている。助けてほしい。」と連絡があり、駆け付けたICUで面会した時の彼女の姿はとても痛々しいものでした。

幸い意識ははっきりしていましたが、腹腔内の出血が止まらず日々厳しさを増す病状と、それに対して何の手の施しようもない事実を、正気で受け止めるのはあまりに残酷なことでした。手術の結果が芳しくない場合、医療者に怒りや恨みを持つ方が多いのですが、彼女は一度たりとも恨み言を口にしませんでした。

そして、そのような状況の中で、彼女はイエス様を信じて祈るようになりました。

いらだつことも嘆くことも無く「家族のため、祈ってくださっている教会の方々のために私も祈ります」と言い、退院したら家族三人で教会に行き洗礼を受けると、私達にもご両親にも約束しておられました。一人娘の彼女はご両親のことをとても心配し「何かあっても、自分はイエス様と一緒に天国に行ってるから心配しないで欲しい」ということも伝えておられました。

このまま命を失うかもしれないという危機的状況にあるとは思えない穏やかさで、最後まで怒りも嘆きも失望も感じることはありませんでした。

神様から来る特別な平安が、彼女の目に映る全てのもの、心にある恐れや不安などの全てを覆ってくださっているように感じました。

連絡を頂いてわずか10日ほどで、天国に召されていきました。

ご両親は約束通り、その1年後に私達の教会で洗礼を受けられました。

Nさんは、抗がん剤治療をしながら、外資系の会社で仕事を続けておられるビジネスウーマンでした。

お仕事の合間を縫って数ヶ月に1度カフェに参加してくださっていましたが、いつも落ち着いた穏やかさを感じる聡明な女性でした。

ある日のこと突然Nさんが日曜日の礼拝に来られました。いつもの落ち着いた様子とは明らかに違っており、それまで一度も礼拝には来られたこともなかったので、何かあったのかな?と思い、私は彼女の隣に座りました。

礼拝が終わると、「私もクリスチャンになりたいです、どうしたらクリスチャンになれますか、私は救われますか」と泣きじゃくりながら言われました。あまりにも突然の直球の言葉に戸惑いましたが、罪とイエス様の十字架の贖いと復活の話をするとすぐにその場で信仰の告白をされました。その時は、私も嬉しいより驚きが勝り、実感がわきませんでした。

しかし数日後に病院でお会いした彼女はまるで別人のようににこやかで、本当に救われ変えられていることが目で見てわかりました。

幼子のように澄んだ目で、内側からあふれる喜びで本当にキラキラと輝いていていました。人の顔があんなに輝いているのを私達は初めて見ました。その時、彼女の両肺には太い管が入り、会話することさえ辛い状況だったのにも関わらずです。それを感じさせない喜びが彼女の内に宿っていることを目の当たりにし、共にいた姉妹方と共に主をほめたたえました。手元においてあった新品の新約聖書にはあちこちに赤い線が引いてありました。

病床で洗礼を受け、「私、神様の子になったんですね」とさらに喜び涙する様子、そして、その姿を見て喜び涙を流されるご家族の様子は忘れられない光景です。

Mさんはカフェに1度来られただけで、私が2回目に会えたのは彼女がホスピスに入院した日でした。

その日同じ年齢だとわかった私たちは、嬉しくてたくさんおしゃべりしました。

教会のこと聖書のことを興味深く聞いてくださるので、その日の朝に呼んだ聖書の話をすると、興味を惹かれたのか、乗り出すようにして色々と聞いてこられました。想像を超える反応に私も嬉しくなり、「聖書を読んでも良いですか」と尋ねると彼女は喜んでくれました。その日の朝に読んだのは、マルコ5章の「なが血を患う女」でした。

読み終わると「その女性と自分が重なる。私と同じ。私もその人みたいにイエス様と出会えるのですか?」と言われました。その後、彼女はイエス様を信じて病床で洗礼を受けることができました。

ほぼ初対面の人にいきなり聖書を読み聞かせるようなことになるとは、私にはまったく思いもよらないことでした。私は後から知ったのですが、Mさんの経過・病状は「なが血をわずらう女」と、とてもよく似た状況にありました。神様は聖書を通して直接彼女にお語りになったのだと驚き感動しました。

また、彼女は「入院してから、毎晩この病室で死神パーティーを見るの。すごく嫌なんだけど。」とこっそり教えてくれました。しかしその「死神パーティー」もイエス様を信じ受け入れてからは不思議とパッタリ無くなったと教えてくれました。

この3人の女性は、自分の価値観をしっかりと持ち、社会的にも自立した賢い女性達でした。深刻な病気からも目をそらさずに、厳しい病状をしっかり理解して、真摯に治療に取り組んでおられました。

病気にあらがうことが出来ず、踏ん張っても踏ん張ってもズルズルと弱る、自分の肉体が死に近付き、追い詰められた状況であることは誰よりも本人達が一番わかっていたはずです。

目の前に迫った死を恐れつつ厳粛に受け止め、残された時間、今何をすべきかを必死になって求めている時に、神様は彼女たちに救いの道を示してくださいました。また彼女たちもイエス様が、死という恐ろしい暗闇から脱出できる唯一の救いの道だと気づいた時、瞬時に主の手を握りました。

ある方はイエス様を信じた翌日「昨日私に中に小さなともしびがともりました」とメールをくださいました。

この地上で、私達がこの3人の姉妹方と関わった時間は本当にわずかな時間でした。

救われた喜びをゆっくり分かち合う時間も無いまま、神様はあっという間に3人を天国に引き上げられました。

これまでも医療者として多くの患者さんを看取ってきましたが、彼女たちとの別れは今まで体験したことの無い深い悲しみの時でした。

この世での苦しみ痛みから解放された3人の姉妹が、今は天国で主と共におられること、そして3人の姉妹と必ず天国で再会することができるということが私達の希望であり慰めです。

主の御名をほめたたえ、主の救いの御わざをほめたたえます。

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