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福祉について(1)

「福祉について」
 〜現場での経験から①

藤村 良彦
藤沢福音キリスト教会

 県庁の福祉課に務めていた父が、ある日、家を出て私の両親は離婚に至ります。その後父は県庁を辞めて、自分の想いを形にした施設建設を志します。「お前が継ぐのであれば始めようと思う」と言われたのが高校2年生の時でした。

 1989年、高校を卒業して夜間大学に入りながら福祉の仕事を始めました。最初の一年は知的障がい者通所更生施設で研修期間を過ごし、2年目からは神奈川県秦野市において療護施設をスタートさせました。

 横浜市栄区にある施設での研修期間は、衝撃的なことばかりでした。私の周りに障がいを持つ方々がいたわけではありません。父がその専門職にあったというだけで、小さい頃からそれらの書籍に触れていましたが、それ以上のことはありません。重度重複障がいを持つ方々が通ってくる施設で、毎日送迎のために来られる親との交流、そして利用者の方々との関りは掛け替えのない経験となりました。その中からいくつかを取り上げてみたいと思います。


親は、一度は自殺を考えている

 体が動かない子どもの横に寝ながら、親が「一緒に死んじゃおうか」と語り掛けます。「すべての親が一度は(我が子に)語り掛けているのではないだろうか」と職員の方が教えてくださいました。話すことができない子どもたちは、いろいろな気持ちでその親の言葉を聞いています。真剣に語り掛ける時もあると思いますが、軽い気持ちで、フッと言ってしまうのかもしれません。また離婚してしまう夫婦が多く、母親が一人で子どもを育てるケースが多くありました。行き詰まりを感じてしまいやすい状況なのだと思います。

 1年後に父とともに施設を開始した時、難病認定を受けられた50代の男性が利用の申し込みに来られ、私がご夫妻と面談をしました。すべてが終わって帰られる際、「私たちは離婚します」と言われて帰って行かれました。20歳の独身だった私にはショッキングな出来事です。有名な大学を出て、一流の企業に勤められてきて、ある時、難病のために仕事を継続できなくなった方です。何不自由ないときには夫婦として歩みながら、収入が途絶え、難病を抱えた瞬間に壊れてしまうとは、結婚とは何なのだろうかと考えさせられました。

イエス様がモデル

 私たちも信仰を持っていれば、すべてが順調にいくというわけではありません。病を得る時も、行き詰まりを感じることもあります。でもその時こそ、生かされていることの意味を考える時なのだろうと思います。周りの人にできることは多くはありませんが、共にいるということを心がけます。孤独で追いつめられる状況からその人を守る方法は、誰かが寄り添うということ以外にありません。いつも寄り添ってくださったイエス様が私たちのモデルです。

詩篇41:1~3

:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。【主】はわざわいの日にその人を助け出される。

:2【主】は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。

:3【主】は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。

経験の少なさ

 障がいをもった方々は「危ない」、「できない」、「無理」という親心に守られて、多くのことを経験せずに大人になります。そこで施設では楽しいこと、経験したことのないことを経験させてあげようと、職員が一生懸命になりました。体を動かすことのできない人たちを、ボーリングに連れて行きます。手をわずかに動かして目の前のボールを転がすことができる、「ストライクマシーン」と名づけられた手作りの滑り台を使います。「車いすの人たちもボーリングを楽しむことができる」、この発想は私の今までの価値観を完全に変えてしまいました。

 研修期間後は、無理だろうと思われることにトコトンチャレンジしました。やってみたいことのアンケートを取ると、出てきた希望が「スキーをしたい」・・・これには困りました。立つことも、歩くこともできない人たちがスキー板を履くことはできません。だから、人生の中で一度も雪遊びをしたことがないのです。私たちは車いすでも上ることのできる雪山を見つけて、全員でそり滑りを楽しみました。雪を見て、触って、そり滑りを体験した方々の笑顔を見た瞬間、疲れのすべてが吹き飛びました。

 女性たちはクッキングをしたいのですが、親は子どもたちに手伝わせることはしませんので、未経験のことが多いことが分かりました。そこで週に1回おやつ作りを始めました。ティラミス、プリン、クッキーなどのおやつ作りを楽しみ、時には家族にお土産としてもって帰るととても喜ばれました。それ以外に陶芸、七宝焼き、彫金、ビーズクラフトなど、指先が動かせない人たちにどのように作品を作ってもらえるのか、完成した時の笑顔を見ることができることを楽しみに試行錯誤しました。

配られたカードで勝負する

 「楽しいことは何でもやってみよう」という発想は、後に教会の開拓伝道にも活かされました。「無理」、「できない」と思った瞬間、道は閉ざされてしまいますが、「どうしたらできるだろう」と考え始めると道が広がっていくものです。もしかしたら経験したことがないだけで、あきらめてしまっていることが多くあるかもしれません。できないのではなく、やったことがないだけなのかもしれません。私の仕える藤沢ではコロナ流行の初期に『コロナ渦でも安心して集える居場所作り』をテーマに、様々な準備を整えていきました。

 漫画『ピーナッツ』の中でルーシーが「時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。」と語り掛けます。スヌーピーの返答は「配られたカードで勝負するしかないのさ…。それがどういう意味であれ。」私たちを愛してくださる神様は、可能性に溢れたカードを配っていてくださいます。

詩篇81:10 

わたしが、あなたの神、【主】である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

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