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福祉について(2)

「福祉について」
 〜現場での経験から②

藤村 良彦
藤沢福音キリスト教会

尊厳が保たれる

 60代で倒れて、右半身まひが残ってしまったAさん(男性)。もともと無口だったようですが、言語障害もあり、非常に物静かな方でした。利き腕の自由が奪われ、なんでも左手でしなければならない状態に、苛立ちを覚えられることも多かったようです。私たちのデイサービスに通うようになり、なんでも好きなことをすることができる環境の中で、すこしずつやりたいことを見つけるようになっていきました。


 Aさんは職人として40年間仕事をしてきて、突然体が動かなくなり、障がいが残るようになりました。若い人たちと一緒に、自分の趣味を見つけるというのはなかなか大変なものです。あるとき、昼食を食べている姿を見ていると左手にスプーンをもって食べています。なんとも可愛らしい姿なのですが、恥ずかしそうに、早くその場を離れたい一心で食べているのがよくわかりました。午後の時間、「お箸の練習をしてみませんか?」と声をかけると「使えねえよ」とのこと。きっとリハビリをする中でも取り組まれたのだと思いますが、歩行訓練や様々な訓練の方が大変で、だれもそこまで気づかなかったのかもしれません。少し大き目なビーズをお皿に入れて、お箸を渡しながら「やってみましょうよ」と声をかけると、何年振りかで動きの鈍くなった右手に箸を持ちます。一つのビーズに狙いを定めて震えるように箸を動かすと、見事に1度目でビーズを掴み、もう一つのお皿に入れることができました。その瞬間「出来たじゃないですか!」と言うと「うぉー!」という喜びの声。そして周りにいた人たちの大きな拍手。お皿に入れてあったすべてのビーズを移し替えることができました。

 翌日から、誇らし気に右手で箸を持ちながら昼食を食べる姿を見かけるようになりました。と当時に、誘われて卓球をするようになります。一度回復した尊厳は、歩き方にも、作業の取り組みにも影響を与えていきました。

存在を愛する

 前回も少し紹介をしました、50代で利用を始めたBさん(男性)。有名大学を卒業し、有名企業に勤め、奥様と大学生の息子さんがおられる働き盛りの時に脊髄小脳変性症という難病を発症されました。事前に資料が送られてきていましたので面談するときには状況を知っていましたが、まだ20歳だった私が面談し、利用の可否を決めなければいけません。今すぐにでも対応の必要な方でした。帰り際、奥様が私に「この施設で主人を預かってください。私たちは離婚するつもりですので」と言われて帰られました。

 20歳の私にはショッキングな出来事です。高学歴高収入だからこそ今までの生活が維持されてきたのでしょう。でも困ったときには手を取り合って乗り越えていくのが夫婦だとばかり思っていましたが、病気になり、収入の当てがなくなると、こんな風に切り捨てられてしまう。私が施設を辞めて数年後、再び訪れてみるとスタッフシャツを着ながら、おぼつかない足どりで清掃をされているBさんがおられました。体が動くうちは何かしらの働きをする方が人の尊厳を保つことができる、そんな配慮からでした。

 この出来事は牧師となり、結婚式の司式をする際にお話しする例話の一つとなっています。『良いところを認め合って結婚することは大切です。でもその良いところが歳を重ねるとともに変化してくることもあります。出来たことが出来なくなり、あったものがなくなるということもあります。だからこそ、存在を愛するというは大切なことです。出来る出来ない、持っている持っていないではなく、相手の存在そのものを愛すると決めて、結婚してください。』そのようにお伝えしています。

ずっと後の日になって

 研修のために1年間お世話になった施設におられた同い年のKさん(女性)。いつもニコニコしながら施設では唯一歩くことのできる方でした。もちろん重度の重複障がいがありましたので、意思疎通はありません。それでもこちらからの言葉になんとなく返事をしてくれているような、いないような・・・。一年間でしたが楽しい思い出をたくさんつくることができました。

 あれから30年以上たった2022年の1月、突然一緒にお仕事をしていた方が連絡をくださいました。そしてKさんと一緒に教会に行ってみたいとのこと。イースターに来てくださるようお伝えし、今では車いすになってしまったKさんが困ることのないようにさまざまな準備を整えました。イースター礼拝の輪の中にKさんとお母さん、そして元同僚と今の職員の方4名が加わってくださいました。「Kさんを見るとね、いつも藤村さんのことを思い出すんだよ。仲良かったもんね。」と言って私の連絡先を探してくださったのでした。その年のクリスマスにも、そして今年のイースターにも来てくださいました。

 福祉の現場で人の尊厳を重んじ、存在を愛することを教えられながら、若い何もわからない時代の無我夢中の中での働きでしたが、無駄にならず、主が報いてくださったという経験をさせていただいています。

伝道者の書 11:1

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。

 パンを水の上に投げることは、無駄になってしまい、生産性が無いと思われます。数年前に同じ神奈川県の障がい者施設で、「生産性のない人間は生きる価値がない」と、痛ましい事件が起こりました。言葉になりません。人間を経済効率という生産性のみで見つめてしまう時、大きな歪みが生じてくるでしょう。

「何も変わらない」「無駄じゃやないか」と思うようなことがあったとしても、目の前にいる人の尊厳を重んじ、その存在を愛していく時、あなたの働きも必ず祝福となって報いを受け取ることができます。無駄なことは一つもありません。あなたがそれを見出す日が来ることを祈りつつ。

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