日本に遣わされて② −Foundations
序
「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ、 わたしに聞け。 あなたがたが切り出された岩、 掘り出された穴に目を留めよ。」
イザヤ51章1節
自分の生活状況や経験、功績を見て、誇りに感じるのは簡単です。 私はクリスチャン家 庭で育ち、良い教育を受け、世界中を旅し、他の人が夢見るような多くのことを成し遂げ てきました。しかしながら、イザヤ書51章1節は私自身の貧しい生い立ちを忘れないよう にしてくれます。 この聖句はまた、私が自分で得たと思っているものの大半が、実際には 私に与えられたものであり、周りの人々の祝福となるために祝福されてきたことを思い起 こさせてくれるものです。
ですから、このシリーズを続けるにあたり、私の両親の人生において神が成してくださっ たことを私は正しく認識しなければなりません。またそれが私という人間をどのように形 成し、私の人生の歩みにどのような影響を与えたかを考察するのは当然のことです。 前回の記事が私の母方の家族に焦点を当てたものだったので、母のことから話し始めたいと思います。続けて父のことを話します。 あなたがこの記事を読んで、神があなたの人生に 祝福の種を蒔くために他者をどのように用いられたかを考えるようにしてくださり、また、その気づきから感謝が湧き起こり、その感謝によって心から神に仕えなければならな いという思いに駆られるよう、私は祈ります。
ウィリアムス・ナタン
Nathan Williams
National Director ・代表
Global University Japan
母
「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あ なたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っている と私は確信しています。」
テモテへの手紙第二1章5節
私の母ビュラは、ウィスコンシン州ウォータータウン市にある店舗の二階の一室で生まれ ました。 1934年、大恐慌の真っ只中でした。 時代は厳しく、仕事はほとんどありませ ん。何千人もの男たちが貨物列車に忍び込み、仕事を求めて町から町へと放浪しました。 そして多くの人々が日々の糧を地元の教会に頼っていました。 地元教会の牧師にとっては 一層困難な時代でしたが、牧師だったビュラの父親はそれを乗り越えました。 どういう わけか父親のパウロは、ダウンタウンにある隣接した2店舗とその2階部分のアパートを 含めた不動産の管理者になったのです。そこで私の母は生まれました。
ビュラは生まれたときから、日々、ミニストリーの現実を目の当たりにしていました。 ビュラが生まれて最初の数年間、父親のパウロ・マッキニーは店の1階をミッションセン ターとして浮浪者の世話や食事を提供するために用いました。 パウロたち家族は、貧しい人々に食事、シャワー、散髪、洗濯を提供し、彼らの霊的な必要にも奉仕しました。 世界大恐慌のさなかに他人の必要を満たすという彼のやり方は見事なものでした。 「男たちは施しを求めて店を渡り歩く傾向があったため、(パウロは)同じ商人のところへ行き、男たちが店に迷惑をかけないように食事を提供することと引き換えに、彼らから毎月の約束を取り付けた。 警察は、男たちを集めて貨物車両基地からミッションセンターまで移動させ、そこから夜を過ごす拘置所へ、朝にはミッションセンターへ戻って朝食を食べさせ、また車両基地へと戻した。 ミッションセンターでは毎晩礼拝が行われていた。」
(David Lindberg, A History of the MacKinney Clan(マッキニー一族の歴史)より)
回心
このようなことをいつも見ていたにもかかわらず、ビュラは6歳くらいの時、友人のヘレ ンと一緒に2週間「世俗的」になることにしました。 母家から離れた屋外のトイレに行って暴言を吐いたり、母親のタンスの引き出しから1セント硬貨を盗んだり、6歳児がやりそうな悪いことはすべてやってみました。 ビュラとヘレンはキャンディを買うために1セ ント硬貨を持って近くの店に行きますが、彼らには計画がありました。ヘレンはその1セ ントでシガレットキャンディを買い、その代金を支払っている間に、ビュラがもう1箱盗 むのです。 二人の計画は成功し、ビュラとヘレンはそれぞれ不正に手に入れた物を持って家路を急ぎました。 しかし、ビュラの母親は盗んだシガレットキャンディを見つけ、問いただしました。 ビュラは母親に嘘をつこうとしましたが、上手くいきませんでした。そこで母親はビュラに自分の部屋に行って自分のしたことを考えるように言いまし た。 彼女は言われた通り自分の部屋に行き、自分の行いを考えているうちに聖霊が彼女に罪を確信させました。 ビュラは母親に罪を告白して祈りました。 さて、ビュラは事を正さなければなりませんでした。 母親は彼女にもう1セントを渡すと、店に行ってシガレットキャンディを盗んだことを告白し、代金を払ってくるようにと言いつけたのです。 恐怖でいっぱいのビュラは店に行き、キャンディを盗んだことを告白して、その代金を支 払いました。驚いたことに、その店主は彼女を赦してくれたのです!
その週の後半、伝道師が彼らの教会を訪れました。ビュラとヘレンはそこにいました。 伝道師が説教をすると、聖霊がビュラの心に働きました。彼女もヘレンも罪の意識にさい なまれ、招きの時が待ち遠しくなりました。説教後に招きがあると、少女二人は泣きなが ら講壇に駆け寄り、罪を告白し、赦しを求めて祈りました。その時以来、ビュラは世俗的なことを望むことはなくなり、主であり救い主であるイエス・キリストを喜ばせるために 生きるようになりました。
成長
ビュラが13歳の時、彼女は(家族のデボーションに加えて)自分一人で聖書を読み始めました。彼女は毎日聖書を読み、熱心な聖書読者であり多くの聖句を暗記していた兄のサム から大きな影響を受けました。兄の手本に倣うと決めたことは、彼女の人生に素晴らしい 影響を与え、それは今日まで続いているとビュラは信じています。
ビュラは18歳になるまでに、合計5箇所に移り住みました。 彼女が生まれてから彼女の家族は2度引っ越しましたが、3度目の引っ越しはそれまでのどの引っ越しとも違っていました。 中学2年の時に、ビュラの家族はミネソタ州パイン・リバー市からニューファンドランド(当時は自治領、現在はカナダの一部)のステファンヴィル市へ車で引っ越したのです(3,500キロ以上!)。彼女は米軍基地内のアメリカンスクールで勉強を続け、数年間そこで暮らしました。 彼女の父親はそこでの建築請負契約が終わると、ラブラドール地方の僻地で別の仕事に就きました。 その地域には学校がなかったので、ビュラはアメリカに戻り、ミズーリ州ス プリングフィールドで兄と暮らしました。
高校卒業後、彼女はラブラドールにいる両親の元に戻り、彼らの宣教活動を支援しまし た。 彼女は、越冬する漁師たちが住むラブラドール海岸の入江にある一室しかない田舎 の学校で教鞭をとりました。ひなびた地域での学校教育はほとんどされておらず、それは 彼女の生徒たちの年齢を見れば明らかでした。彼女と同い年(19歳)の若い娘3人は、読み書きを習ったことがないので、小学校1年生になれないかと聞いてきました! 人を教育することの喜びと価値を経験したビュラは、教師になりたいと思い、そのためには適切な教育が必要だと悟りました。 彼女はアメリカに戻って大学で学び卒業し、その間に夫となる人に出会います。 彼女はラブラドールに戻り、彼は米軍に徴兵されてドイツに送られました。 その後5年間、ビュラはこの理想の男性に何度も手紙を書き、彼は誠実に応えてくれたのでした。
ビュラの心の中心には、生涯を通してイエス・キリストがいました。 両親の信仰は彼女 に受け継がれ、それは彼女自身のものとなりました。 彼女と家族がした引越しや犠牲は すべて福音のためでした。 父親をガンで亡くし、その数ヵ月後に兄のダニーを飛行機事故で亡くしても(前回の記事「日本に遣わされて①-始まり」を参照)、彼女はイエスに目を向け続けました。 イエスとその御言葉にすがることで、彼女は日々の力と目的を得たのです。
父
「主は ヤコブのうちにさとしを置き イスラエルのうちにみおしえを定め 私たちの先祖に命じて その子らに教えるようにされた。」
詩篇 78篇5節
1934年5月の数ヶ月前、6人の子を持つ四肢麻痺を患った母親が祈っていました。 彼女は 夫とともにサウスダコタ州に160エーカー(64ヘクタールまたは0.64平方キロメートル)の牧場を持っており、7人目の子どもを妊娠していました。そして最近、徐々に進行していた麻痺(筋萎縮症)に屈服せざるを得なくなり、その子をどうやって出産するかを とても心配していました。 彼女の祈りは、「神様、もしこの子を産むのを助けてくださるなら、私はこの子をあなたに捧げます 」というものでした。 神の恵みによって、5月の 初めに私の父であるエミル・ウィリアムスは、パイン・リッジ・インディアン保留地の病院で生まれました。 エミルの母親は彼が4歳の時に亡くなりました。
当時の生活は厳しく、牧場での生活はさらに困難でした。 姉たちはエミルを育てるためにできる限りのことをしましたが、牧場生活の過酷さゆえに、彼は人生の早い段階で責任 を負うことになりました。 昔の家族写真を見ると、エミルは歩けるようになるのとほぼ 同時に乗馬を学んでいたようです! 彼は4、5歳の頃から牧場のさまざまな雑用を任さ れ、やがて一家の牧場の仕事分担をこなすようになりました。
田舎で教育を受けるのは簡単なことではありませんでした。 エミルの一番上の姉はその 地域の小学校の先生をしていたので、彼らは馬に乗って数キロ離れた一室校舎の学校に通いました。 冬になると、他の子どもたちが来る前に、エミルがだるまストーブに火を焚き、凍った校舎を暖めました。 そこで8年間学校に通った後、彼と兄姉たちは、50キロ ほど離れた最寄りの高校に通うために家を出なければなりませんでした。 時間と経済的余裕があれば、夏休みや長い週末に帰省しました。
回心
エミルが一室だけの学校にまだ通っていた頃、すぐ上の姉のビバリーは高校生でした。 彼女は部屋代と食費のためにウェイトレスのアルバイトをしていました。 ある日、彼女が 働いていたカフェに何人かの伝道者が訪れ、彼らの奉仕していた教会に彼女を誘いまし た。 彼女は教会に行き、救われ、自分の人生が変わったことをとても喜びました。 その後、学校は夏休みになり、その間ビバリーは帰省しました。 ある日、ビバリーは牧草地 でエミルとチョークチェリーを摘んでいた時に尋ねました。「イエス・キリストはあなたの罪のために死んでくだっさったことを知ってる?」 それまでエミルと彼の家族は “名前だけのクリスチャン “で、彼自身に信仰はありませんでした。 ビバリーはイエスが自分の人生に何をしてくださったかを話し、やがてエミルは自分にも救い主が必要だと悟りました。 そこでエミルは、牧草地で自分の罪の赦しを求めて祈り、それが彼のクリスチャンとしての歩みの始まりとなったのです(今日に至るまで、エミルはチョークチェリージャムに特別な 思い入れがある。 ビバリーと彼女の夫は定年退職するまで牧師を務めながら、インディ アン聖書大学で教えた)。
クリスチャン生活
それ以来、エミルは主のために歩み、地元の教会に貢献し続けました。小さな田舎の教会 で日曜学校を教え、ドイツで米軍に従軍中は基地のチャペルの働きを支え、成人してからは日曜学校での奉仕と教会役員を務めました。 エミルはこう言います。「主があなたを どこに置かれようとも、主に仕え、主を第一にすることが最高の生き方なのです。」
この記事のためにインタビューした時、エミルは次の励ましの言葉を、特に読者の皆さ んと分かち合って欲しいと私に頼みました。「主のために歩み続けてください。 使徒パウ ロが言ったように、『キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走って』いきましょう。 そうすれば、あなたの報酬は計り知れません!」
エミルとビュラは1961年に結婚し、7人の子どもに恵まれました。 二人は宣教師になり たかったのですが、長男の重い合併症のために、どの宣教団体も二人を受け入れてはくれ ませんでした。 そこで二人は、地元の教会で主に仕えるために、また子どもたちが主を愛し、主に仕えるよう育てるために、できる限りのことをしようと心に誓いました。 エミルは小学校で3年生を教え、ビュラは専業主婦の妻であり(7人の子どもの!)母でし た。教職を引退した後、エミルは牧師の資格を更新し、地元の教会で高齢者のための牧師となりました。 77歳になった時、彼とビュラは教会開拓を依頼されました。教会を設立して成長させ、5年後に副牧師に引き継ぎました。 現在、二人は89歳になり、その地域教会の働きを忠実に支えています。
私は幼い頃から、父が聖書を読み、祈っている姿を見てきたので、はっきりとその姿が心 に焼きついています。 実際、日々のデボーションのバランスの取り方を教えてくれたのは父でした。 聖書は霊的な糧であり、私たちはそれを毎日摂取する必要があると教えてくれました。 父の方法は、「毎日、旧約聖書、詩篇、新約聖書から読み、それを続けること!」です。
結び
エミルとビュラの人生の浮き沈みを通して、神が何度も導き、介入し、与えてくださったことを、この記事ですべて伝え切ることはできません。 しかしながら、神の御手の働きを見分けるのは難しいことではなく、神が彼らの人生にどのような計画を持ち、それを実現されつつあるのかを私たちは見ることができます。 幾度となく、私は彼らの祈りが答えられたことを目撃し、大きな困難のときにも神が彼らを支えてくださったことを感謝し ました。 このすべてが私自身の人生を深くかたち造っており、神に感謝しています。
あなたはどうですか?
- 神はあなたをどのように導かれましたか?
- あなたの人生のいつ、 どこで、神は介入してくださいましたか?
- 神はあなたに与えるために誰をどのように用いましたか?
- あなたにイエスを紹介するために、神は誰を用いましたか?
- あなたを形成し、人生の方向性を示すために、他にどのような方法で誰を用いましたか?
- 主があなた にしてくださったすべてのことを、あなたはどのように用いますか?
今から次回までの間、これらの質問をじっくりと考えてみてください。 神への深い感謝を 新たに発見するようにと願っています。 あなたが新たに見いだした感謝の気持ちによっ て、私たちの王なる主にさらに仕えようとあなたが励まされることを祈ります。
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