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聖霊のバプテスマの恵み(10)藤井佳子

 

新中野キリスト教会
藤井佳子

どうしても受けたかった聖霊のバプテスマ

使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。

(使徒の働き 1章4-5節、8節)

どうしても受けたかった聖霊のバプテスマ

 私がイエス様を信じたのは19才の時だった。その1年前から、クリスチャンの友人が熱心に伝道してくれたのだが、彼女は私を家に招き、聖書を開いて御言葉を語ってくれた。そして同時に聖霊のバプテスマの話もしてくれた。伝道のためには、イエス様の十字架を語るのが常だと思うのだが、彼女は聖霊のすばらしい力をも語ったのだった。それを聞いて私は、「そんな超常現象が自分の身に起こるのだろうか?もしそれが本当なら、ぜひ受けてみたい。」と思った。この時点では、まだ人間的な興味本位の思いでしかなかった。

 しかし、後に救われて受洗した時には、一刻も早く聖霊のバプテスマを受けたいと願った。なぜなら、それが「神の約束」であると信じることができたからだ。自分自身でも、もちろん祈り求めたが、祈祷会や教会学校の教師の集まり、青年の集まりなど、折ある毎に祈ってもらった。だが、なかなか受けることができなかった。そのような日々が続いて、「もう私には無理なのかもしれない。」と意気消沈してしまうこともあった。が、その度に「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)の御言葉に励まされて祈り続けた。実はこの期間は受洗してから1ヶ月後のことなのだが、聖霊のバプテスマを切望していた私には、その1ヶ月がとても長く感じられた。

 こうしてついに、その時が来た。それは、教会学校のスタッフとして夏のキャンプに参加した時だった。キャンプの夜に聖霊待望会が行われた際、私はまだ受霊していなかったので、教会学校の生徒のためよりもまず自分自身のために祈る必要があった。スタッフの何人かが私のためにも祈ってくれた。どれくらい祈ったかわからないが、上から何か熱いものを感じ、言葉にならない言葉が出てきた。頭では、今どういう時で自分は何をしているのか、理性は働いているが、私の舌はなぜか異言を語っている。それは、腹の底から湧き上がる、というより突き上げるような声となっていた。聖霊が確かに私の中で満ち溢れてくださった瞬間だった。その後聖書を読むと、心の目が開かれて御言葉が魂に響いてくる。そして、聖霊の力を受けて友人を教会に誘うようになっていった。

この証は、書籍『聖霊のバプテスマの恵み』との連動企画です。
書籍はAG福音出版でお買い求めいただけます。

※教会名は、掲載時点のものです。

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