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聖霊の炎を掲げて Season4
聖霊の炎を掲げて㉗
英国人のレオナード・W・クートは1913年10月に宣教目的ではなく速記者として仕事で来日するのですが、日本で信仰を持ち、聖霊体験をし、神様の召しに応じて1918年から1939年、そして戦後1950年から1967年までペンテコステ派の宣教師として日本で幅広く活動します。 -
聖霊の炎を掲げて Season4
聖霊の炎を掲げて㉖
日本に最初にペンテコステ運動をもたらしたのは1907年に来日したマーティン・ライアンたち(「聖霊の炎を掲げて」㉕参照)でしたが、彼らの働きはわずか3年で終焉します。しかしライアンたちの来日後も次々とペンテコステ信仰を掲げた宣教師たちが来日します。 -
聖霊の炎を掲げて Season4
聖霊の炎を掲げて ㉕
長らく日本における近代ペンテコステ運動と日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の始祖は、1913年8月11日に来日したカール・F・ジュルゲンセン(Carl F. Juergensen)一家だと言われきましたが、実際にはそうではなく日本のペンテコステ運動の嚆矢は1907年9月27日に横浜に上陸したマーティン・L・ライアン(Matin L. Ryan)に率いられた宣教師団でした。 -
聖霊の炎を掲げて Season3
聖霊の炎を掲げて ㉔
福音は霊のみならず人と文字で伝えられます。「聖霊の炎」も霊と人と文字で伝えられて来ました。私たちはこれまでに発行された世界のペンテコステ派の機関誌や出版物などを通して神様の御業と信仰の先達たちの働きを知ることができます。 -
聖霊の炎を掲げて Season3
聖霊の炎を掲げて ㉓
アーサー・チェスナットの一生は波瀾万丈でした。彼は30代で日本アッセンブリー教団と韓国アッセンブリー教団の二つの教団の設立に関わります。アーサーはワシントン州の平凡な農家に生まれますが、神様の不思議な御手の業で本人が予想もしない人生を送り大きく神様に用いられました。彼の前半生は落胆の連続でした。 -
聖霊の炎を掲げて Season3
聖霊の炎を掲げて ㉒
1949年3月15日に新しいペンテコステ派の教団の設立のために8人の外国人宣教師と12人の日本人教職たちが東京の神召キリスト教会に参集し、そこで日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が設立されます。米国アッセンブリー教団の新任宣教師であったマーガレット・カーローは当時最年少の32歳でただ一人の大卒者でなおかつ戦前の日本を知らない人でした。 -
聖霊の炎を掲げて Season3
聖霊の炎を掲げて ㉑
日本のペンテコステ運動は陸の孤島ではありませんでした。宣教地に赴く際や帰国の際に日本に立ち寄るペンテコステ派の宣教師や巡回視察に訪れるペンテコステ派のリーダーたちがいました。私たちは彼らの日本訪問記によって当時の日本のペンコステ運動の状況を垣間見ることができます。 -
聖霊の炎を掲げて Season3
聖霊の炎を掲げて ⑳
日本アッセンブリー教団の源流の一つである滝野川聖霊教会(現 神召キリスト教会)は戦前仙台で活発な宣教活動を行なっていました。その先鞭となったのは滝野川聖霊神学院卒業生の大巻三郎・辰枝夫妻でした。 -
聖霊の炎を掲げて Season3
聖霊の炎を掲げて ⑲
胎動期の日本のペンテコステ運動は幾つもの試練を乗り越えなくてはいけませんでした。それらは1916年ごろから数年間続いたニュー・イシュー論争、1923年9月1日の関東大震災、そして1941年から1945年までの太平洋戦争でした。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season2
聖霊の炎を掲げて ⑱
日本アッセンブリー教団の前身の中心の教会の一つが1920年にアレックス・モンロー夫妻によって設立された西巣鴨宮仲の大塚教会でした。