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介護について①

いつか来た道、やがて行く道


柴田 良子
須崎福音キリスト教会(老人ホーム担当牧師)
ベテルホームすさき、オリーブホームチャプレン

始めに

 この原稿の依頼を受けて、大変な葛藤を覚えました。それは、私が介護の現場にいながら、そのための専門知識や介助技術を持っているわけではないからです。ただ、小さなサークルや、ホーム内で持っている礼拝(日曜学校のような)、何気ない雑談など、伝道者として入居者さんとのお交わりの中で、教えられている事を書かせていただこうと思います。

 高齢者が増えたこのご時世、介護と言ったら高齢者をイメージしてしまいますが、高齢者に限りません。辞書を引いてみると
『障害者の生活支援をすること。または、高齢者・病人などを介抱し世話をすること』
つまり介護を受ける人は、高齢者に限られるのではなく、何らかの障がいのある人、病気を持っている人など、私たちの周りには、介護されるべき人は、たくさんおられる、という事です。

介護する側、介護される側

 実際、私は20代前半で脳の病気を患い、軽度ですが、左半身の手足にマヒが残り、身体障がい者になりました。日常のほとんどの事は、自分でできますが、手伝ってもらわないとできない事もたくさんあります。つまり、介護施設に働きながら、お手伝いする側であり、介助を受ける側でもあります。

 ある社会問題に関する講習会に出席した時でした。
講師の先生が、「この中にはメガネをかけている人がいますね。その人も身体障がい者なんです。メガネという補助器具がないと不自由です。杖というものがないと歩けないというのと、どう違いますか?」
 またこうも言われました。
「この中には、“もう”障がい者である人と“まだ”障がい者でない人がいるのです。つまり誰もが障がい者になる可能性があるんです。」

 当時、病気と障がいに戦っていた私にとって、大きな励ましになりました。でも、介護(介助)を受ける側と介護(介助)する側に隔たりが、残念ながらあります。

 ある本の中に看護師さんの言葉が書かれていました。ある患者さんは、いつもニコニコして、
「本当にありがとうございます」
「良かった!助かったわ」と感謝を表して下さる。本当にそう思っていてくださる、のです。けれどもある時、
「私も感謝される側になりたいわ」としみじみ言われたそうです。自分は感謝され、役に立てた喜びでいっぱいになっていた。受ける側は、こんな風に感じておられたんだ、と。

 私は、ガーンと頭をたたかれたような気がしました。同じような経験をしていたからです。私の場合は、こんな良い患者さんではありませんでしたが…。

 21歳で発病したのですが、初めて入院した時、ある同じ歳の新人看護師さんが、
 「わあ同い歳ですね。仲良くしましょうね。」と、と嬉しそうに言われたのです。
(この人は何を言っているのだろう⁈)
とショックを受けました。

 今から看護師として働きだした者と、病気で入院をしてこれから手術をしようとしている私は、どれほど大きな違いがあるでしょうか?私は、素直に受け入れられませんでした。相手の人が今の自分の状況をどんな風に受け入れておられるのか、理解しようとする事はとても大切な事ではないかと思います。

 若い頃、父や母、高齢の人などに
 「あなたもこの歳にならんとわからん!
この年になったら、分かるよ」とよく言われました。

 また反対に、私の障がいの事について
 「分かる、分かる!」と言ってくれる人がいます。

でも(ホントに分かってくれてるの…⁉)と思ってしまう時があります。同じ様な経験をしても、理解できていると思っても、私は「分かるよ」と、言わないように気を付けています。

本当に理解できるのは、神様だけかも知れません。

隔たりを埋めるもの

 同じ経験をしなければ理解をできないのでは、大変なことになります。ただ、黙って寄り添ってくれるだけで深い愛情を感じ、とても慰められる事もあるのです。

 『喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。』ローマ12:15
 ある入居者さんがこんなお話をして下さいました。
 「昔、若い時に、『最近の若いもんはなっとらん‼』って、いやなこと言われて、「何を!この爺さん、何にも出来んくせに、ごちゃごちゃ言いよって、あんな爺さんになりとうない⁉って年寄りを見て思うてた。でも、今は自分がそうなってるんやもんなあ⁉
『いつか来た道、やがて行く道』やなあ!」としみじみ言われました。

 今、私が接している高齢者の皆さんには、自分の父母の世代の方が多くいらっしゃいます。お一人一人とお話をしていると、世界大戦のたいへんなところを通り、高度成長時代に、寝食を忘れるように働いてこられた事が良くわかります。この日本を支えてこられたと言っても大げさな事ではないと思います。

 信仰についても、同じです。ある方(当時95歳)が、《主われを愛す》を歌うと、涙を流し始められました。聞くと
「母が教えてくれた。お祈りをしてからでないと、ごはんを食べさせてもらえなかった。」 

 未信者の家庭に嫁ぎ、信仰から離れていったけれども、記憶がよみがえったようでした。他にも、
 「日曜学校に行ったことがある」、
 「学校の先生が賛美歌を教えてくれた」と教えて下さいました。信教の自由が守られている今とは違って、信仰を持つことが、はるかに厳しい時に、イエス様の事を伝えたクリスチャンがいたんだ❕と、感動を覚えます。そして信仰を守り続け、私たちに信仰のバトンをつないでくれたことに感謝しています

 私たちは今、この高齢者の皆さんの《いつか来た道》を歩いています。高齢者の皆さんは、私たちの《やがて行く道を》歩いておられるのです。

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