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介護について③

はがされていくモノ


柴田 良子
須崎福音キリスト教会(老人ホーム担当牧師)
ベテルホームすさき、オリーブホームチャプレン

はがされていく経験

 私たちはいろいろな経験や学習をして、知識を得たり、成長してきました。
 ある末期のがん患者さんが、自分の今の状態をこう表現されているのを読みました。
この方は、高学歴で立派な会社に就職し、それなりの功績をつんできたようです。しかし

今の私にそれが何になるのか?
一枚一枚“はがされていく”

これまで、積み上げて来たもの、身につけて来たものが、病気によって、今はベッドに寝たきりになっている、…喪失感で苦しんでおられるのです。

 21歳で脳の手術をした私は、元気になって、前からあこがれていた“タイピスト”として、就職しました。(ずっと昔の話ですから) ところが、1年半ほどして、左手の小指が動きにくく、[A]の文字から順に打てなくなってきました。=タイプライターやパソコンは、早く打つために、打つ文字が決まっています。緊急に受診し入院という頃には、左足も動きにくくなっていました。正に出来ていた一つ一つの事が“はがされていく”思いでした。
幸いなことに、この時は救われて、教会の皆さんが祈って支えて下さいました。
 私たちは、状況の大きさの違いはあるとしても、何らかの喪失感を経験したことがあるのではないでしょうか?病気になって、ケガをして、加齢と共に、出来ていたことができなくなるのは寂しい事です。

スピリチャルケア

 世界保健機構(WHO)は、がんなどの末期患者にとって、死の臨床において、身体的疾患の治療と同時に患者のスピリチャルな面のケアの重要性を認めました。

 そもそも人は、霊的な存在で、たとえ信仰を持っていない人でも、人の力の及ばない、神聖な、霊的な存在に関心を示し、特に苦難の中で生きるために根拠を見つけようとします。

 現代社会では、人の価値がさまざまな能力、社会的地位、学歴、物質的な豊かさで評価される事が多く、それらが失われると(はがされると)、自己喪失感、自己嫌悪に落ち込みます。
 「なぜ自分はこんな病気になったのか?」
 「あんなことをしなければよかった」
 「死んだら人間はどうなるのか?」
こういう事は、実は私たちが救われる前、このような事を、自問自答してきたことではないでしょうか?これが“スピリチュアルペイン(魂の痛み)”であり、それをケアすることが、“スピリチャルケア”と呼ばれています。

病気を受容するプロセス

ある精神科医が、がん患者がその病気を受け入れていく心の動きについて教えています。

1. 否認と孤立
・ショックと否認(認めたくない)
・自分の苦しい気持ちを分かってもらえない」と思っている、孤独感

2. 怒り
・怒りの矛先は、家族に限らず、無差別に向けられる。
この時、周りの人家族などどう対処すればいいか、分からずとても苦しい時期。

3. 抑うつ
・怒りが深い喪失感に。身体的機能の低下だけでなく、社会的地位がなくなる、居場所がなくなる事により、怒りが深い喪失感に。

4.取り引き
・祈る事さえできなかったものが、もし、もう一度元気になったらこうしたい、など、神様との対話へ。

5.受容

 これらのプロセスは、どの場合にでも当てはまるわけではありません。その人その人で違います。何とかこの人の助けになりたいと、私たちが、いろいろな事について多くを語っても、その人が十分受容出来ていなければ、逆効果にさえなるようです。愛情をもって、その人が自分の状態を、どんな風に受け止めているのか、見守り、受容出来ているのか、祈りつつ、ただ黙って寄り添う時も必要なようです。

介護する側

 神学生の時、認知症であったC子さんとの関わりは、たった2か月ほどでしたが、へとへとに疲れる毎日でした。丁寧にしっかり説明したはずなのに、またすぐ忘れて同じことを説明する。こんなことがずっと繰り返される。この人に、怒っても仕方がないのに、と分かっていてもイライラしてしまう。

 ある時私は、「もう無理、もう嫌だ!」と『プチ家出』を企てました。
・・・とは言っても、あまり知らない土地、お金もない神学生、どこへ行けるわけでもなく、100円の缶コーヒーを飲んで町内1周をしただけでしたがすっきりしました。牧師夫人に話すと、ニコッと笑いながら、「しんどい思いをさせちゃってるね。」私はこの言葉で、疲れが吹き飛びました。認知症のご家族を何年もお世話されている方は、本当に大変なことだと思います。

 老人ホームの職員の中で、「認知症の方のケアは、チームでないと難しい」、とよく話しています。チームだから、分担してのケアを協力しながらできます。その一方、家族なら遠い昔の懐かしい話ができます。そんなお話をされる時は、生き生きと嬉しそうです。家族と老人ホームなどの機関の連携が上手く機能していくことがのぞましいと思います。

感謝

 身近な存在だからこそ、自分の悲しみや理解してもらえないもどかしさにいら立ち、怒りをぶつけて来られる時があります。
 ところが、この反対に「あなたには本当にお世話になるわね、ありがとう」と、言われます。うまく表現できないけれど、深い感謝の思いをもっておられるようです。

はがされて得たもの

 加齢とともに、病気などのために、出来なくなったこと、手放さなければならなかった事で、私たちは痛みを経験してきました。

天に帰られたある先生が、亡くなる前、
「私の人生、いったい何だったんだろう?」
と言われたそうです。それに対し
「あの働きをされてきたじゃないですか⁉」
「あそこでもご奉仕されたんですよね!」
と言ったそうです。すると
「そうだったねえ。感謝だね」
そんなお話をされて後、天に帰られました。

 確かに私たちは、“はがされていく”痛みを経験します。
けれども神さまの前に必要なものは残されるのではないでしょうか。

 ある入居者さんは、重い認知症ですが、とてもやさしい気配りのできる人です。面会に来てくれた人が、「もう食事の時間なので、」と帰られた後、しばらく、
「あの人たちの食事はどうするの?」
「近くにお店はあるかしら?」ずっと気にしておられるのです。

ある入居者さんは、
「この人は認知症が重いけど、どこか違うね」と言われています。

 あるクリスチャンの入居者さんと、こんな話をしました。神さまは、私たちがどんなにいろいろな事をできなくなっても、忘れていても、“御霊の実”は取られないね。私たちも御霊の実を結ぶように祈らんとね。

『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。』
(ガラテヤ5:22、23)

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コメント一覧 (2件)

  • はがされるのは、人として辛い経験です。
    しかし、私たちは、天国には、肩書きや、自分のスティタスと、思う物を、持っていくことは、出来ないです。
    いつも、神様に、全てを差し出したいと思いながらも、出来ない弱い人間です。
    御霊の、助けが日々必要です。

  •  私は、3回の文章を書かせていただき、改めて自分がどれだけ、多くの恵みをいただいてきたか、
    思い起こし、感謝な事でした。
    編集の先生は、日ごろ、思っている事、教えられた事を書いたらいいです。と言って下さったけれど、
    《そんなに書くことがあるのだろうか?》と、心配しました。
    ところが、書き始めると、小さなこと、大きなこと、神様が素晴らしい経験をさせてくださったこと、書きたい事が
    出てくるんです。残念ながら、文字数は限られているので、バッサリ、バッサリ、削らなければいけないほどでした。
    けれども結局、それはいらないところだったようです。
     確かに『はがされていく』経験はつらい事もありました。
    でもその結果、神様は私に《イエス様の救いを着せて》下さいました。イエス様を信じたことで
    『はがされて』も平気な事もありました。気が付いたら、乗り越えていた戦いもありました。
    同じ失敗を繰り返して、落ち込んでいることもあります。
    本当に
     “御霊の助けが必要”ですね。

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