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介護について②

認知症の人たちと共に


柴田 良子
須崎福音キリスト教会(老人ホーム担当牧師)
ベテルホームすさき、オリーブホームチャプレン

 私の勤めているベテルホーム、オリーブホームには、たくさんの認知症の方がいらっしゃいます。重度の方、軽度の方、また現れる症状も、おひとり一人違います。でも言える事は、この方々は、病気なのです。その言動によって、差別的な扱いを受けてしまいますが、他の病気の人や障がい者と同じように病気と闘っている人なのです。

 私は看護師や介護職ではありませんので、専門的な事は書けませんが、日々教えられている事、時に失敗したなあと感じたことを、お話したいと思います。

《C子さんとの日々》

神学校3年目の前期、(古い話ですみません)実習生として、私は神奈川県にある教会に派遣されました。ある日曜日、牧師先生に連れられ、ある姉妹の訪問に行きました。昔からの信徒さんで、認知症を発症されていました。暗い部屋でポツンと一人、心細そうでした。62歳なのでまだ老人ホームに入れず、このままお独りで放っておけないので、ご家族と話し合い、教会でおあずかりする事になりました。

7月に入り、引き続きその教会での夏季実習(派遣)となり、約2か月の同居生活が始まりました。訪問した時には、心細そうにされていたC子さんもホッとされたのでしょう、すっかり明るくて良く笑う方に戻られていました。

現在、高齢者施設でお仕事をさせて頂くようになり、研修会や先輩方から学んだ事と照らし合わせると、当時の私の行動や言葉は・良くなかったなあと反省する事が多くあります。

「ああ!C子さんに悪い事しちゃった」

と思い出すことが良くあります。

《不思議な言動》

C子さんと私は、ふすまを隔てたお隣どうしで、私の部屋に二人が共同で使わせていただくタンスがありました。

事件は第1日目から起こりました。やっと眠りについた真夜中、何かごそごそと物音がして目を覚ますと、真っ暗な中、私の横にあるタンスを開けて、服を出したり入れたり。

「C子さん何してるんですか?」と私。

「あら、起こしちゃったわね⁉」

次の日も、真夜中のタンスをごそごそ…

「今、何時だと思ってるんですか?」

そんな日があと何日も続き、眠ることができず、ついに牧師先生にと事情を話しました。

「Cちゃん、ダメだよ、神学生が眠れないじゃないか」

認知症の方が不思議な行動をとっても、その人なりの理由がある、と言います。後で知りましたが、私が与えられた部屋は、数日前までC子さんの部屋だったのです。たとえ、真夜中であっても、自分の部屋の自分のタンスを開け閉めしても、何の不思議もなかったのです。

《プライドを傷つける事》

ある日曜の朝、礼拝に着るブラウスを探していると、どこにも見当たりません。必死に探していると、C子さんが私のフリルのついたブラウスを着て立っておられました。

私は思わず吹き出して、

「C子さん、それ私のブラウスですよ!」

と大笑いしてしまいました。

数日後のことです。C子さんが突然、

「私、あなたのブラウス着ちゃったりして悪い事しちゃったわ。」と謝られたのです。

施設でも、驚かされる事があるのですが、認知症が重く「分からないだろう」「忘れているだろう」と思っていても、よくわかっておられる時があるのです。ご本人は、すぐには、こちらが思う反応できないだけで、よく理解されていたんだ、傷ついておられたんだと、反省する時があります。

《怒る事、怒らせる事》

この教会では、幼児をあずかって保育されていて、私は昼間、そのお手伝いをしていました。子供が好きなC子さんは、毎日子供たちの相手をして下さいました。とても助かっていた半面、62歳のC子さんが疲れてしまわないか、腰を痛めないか、また子供たちに抱っこ癖がつかないか、など、心配もしていました。ある時、ついに

「ダメです!って言ったでしょ!」

と言ってしまいました。

C子さんは

「私は、この子たちのお世話をしている」

「みんな喜んでいるのにどうして!」

と思われたのでしょう、パニックになり、怒って、子供たちが遊んでいる真ん中に布団を引いて、寝てしまわれたのです。

その時は、違うスタッフさんが飛び込んできて、なだめて下さいました。

老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。

Ⅰテモテ5章1節    

 今でもこ注意しないといけないと思う事は「否定しない」事、「怒らせない」事です。

 

《認知症の人の不安、恐怖》

認知症の方がふと、

「自分が自分でなくなったみたい!」

「私いったい、どうしちゃったのかしら⁈」

と、おびえたように言われることがあります。こんな時、「いったいなんと答えたらいいのだろう? なんと慰めたらいい、のだろうか?」と、いつも思います。特別な答えは、いつも出てきません。ただ祈りつつ、黙ってそばに座っている事もありますし、他愛ない事を話す時もあります。「なんかおいしい物食べたいですね」と実際にお菓子を食べたり…、気分転換をはかります。

 お一人一人の人生をふりかえり、尊敬をもって、お話を聞くと、宝箱のように貴重なお話が出てきます。

イエス様の誕生を待ち続けていたシメオンの話を、当時の人々はどれほど真剣に受け止めていたでしょうか? 聖書のお話とくらべるわけにいきませんが、尊敬をもってお話を聞くだけで目の前にいる大切な人が元気になられるのではないでしょうか!?

力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳  箴言20章29節

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