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野球の窓から聖書の真理を眺める②

月のWBC(ワールドベースボールクラシック)の記憶は薄れてきましたが、大谷君は、WBCの好調のままをキープして活躍しています。

そこで、今回は、大谷君の好調の窓から聖書の真理を眺めていきましょう。

“かまえ” が 8割5分

 メジャーリーガーを見ると個性的な“かまえ”が多く、一見、どんな“かまえ”でもいいのではないかという印象を受けます。しかし、大谷君は「バッティングは、“かまえ”が8割5分」と言いきります。それは、“かまえ”が決まることによって、ボールの見え方が断然変わるからだというのです。

 というのも、敵チームのピッチャーは、大谷君を打ちとるために、日々研究しています。ストレートのような軌道で沈むツーシームや、縦に落ちるスライダー回転なのに横に曲がるスイーパーを投げてみたり、緩急や変化球を駆使して、戦いを挑んできます。敵は、打者をだまし打ちにするために、日々、進化しているのです。だからこそ、大谷君は、まるで、徐々にずれてくる時計の針をアジャストするように、バットを持つグリップの位置を変えることで、日々の調整を怠りません。大谷君のバッティング人生は、“かまえ”を定めることで好調を維持しているのです。

 聖書には、“かまえ”が決まることで、人生がぶれなくなった人物が登場します。その1人がペテロです。かつてのペテロは、問題が起きる度に怯え、恐れ、逃げ出しました。しかし、かまえが決まったペテロは別人です。彼が不当に捕らえられ、 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。」と大祭司に脅されてもひるみませんでした。ペテロは、即座に、「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)」と答えて敵の攻撃をはねのけました。ペテロは、神の視点でとらえるという“かまえ”が定まった時から、諸問題に対する見え方が、断然変わっていったのです。

 同じように、私たちの人生も“かまえ”が定まるなら、どんな問題にも対応することができるのです。ローマ12:2には、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」とあります。クリスチャン生活は、神の視点で“かまえ”る時、安定した歩みをすることができるのです。

 この世には、調子を合わせてはならない問題が山積みです。うわべだけの人間関係、乱れた男女関係、ギャンブル、ドラッグ、闇バイトなども、日に日に問題が複雑化しています。または、競争社会の中で、あなたを排除する力が働いたり、悪霊もまたあなたの人生を破滅させようと忍び寄ってくるでしょう。もし、私たちがすべての攻撃をまともに喰らっていては、豊かな生活は失われるばかりです。だからこそ、私たちも、迎え撃つ姿勢が必要なのです。祈り、御言葉、礼拝によって主につながることで、神の視点でとらえる“かまえ”を身に着ける者となりましょう。

 では、どうすればよいのでしょうか。大谷君は、練習と努力によって、見分ける力を養っています。クリスチャンも努力によって身に着ける自制といった領域があります。しかし、聖書は、見分けるためには、「むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。(ローマ12:2)」と勧めています。神様が変えて下さる。これは、恵みです。

 ペテロや弟子たちは、聖霊に満たされてから、霊を見分け、恐れず、冷静かつ、大胆な者へと変えられました。同じように、私たちも聖霊に満たされるなら、心を新しく造り変えられます。善悪を見分け、愛を実践し、義を行う力が与えられるのです。だから、私たちも御言葉に触れ、祈り、聖霊に満たされることで、見分ける者となりましょう。

 愛する皆さん、あなたは、人生のバッターボックスで、やみくもに、適当にバットを振っていないでしょうか。神様の視点という“かまえ”で、戦いに備え、じっくりとボールを見分けるなら、どんな局面でも冷静な判断をもって、対処することができます。私たちは、日々主とつながり、祈り、聖霊に満たされることで、勝利の人生へと踏み込んでいきましょう。

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