MENU

野球の窓から聖書の真理を眺める⑤

 今回は、ドジャースに入団が決まった山本由伸投手の窓から聖書の真理を眺めていきましょう。

忘れていない

 名前を忘れられると悲しいという体験をしたことがあるでしょうか?オリックスの山本由伸投手は、パリーグ3年連続MVPを獲得した、野球ファンなら誰もがその名を知っている絶対的エースです。しかし、ドラフト会議2016では、彼の名前は、忘れられていました。それは、他球団のスカウトマンが見に行くと悪天候やケガをしているとのことで、調査できなかったからです。当然、他球団はノーマーク。しかし、オリックスだけが彼のことを忘れていませんでした。球団は、4位指名で山本投手を獲得したのです。新年度、彼は、チームを離れますが、彼には常に、自分を覚えていてくれたオリックスへの感謝という原動力があるのです。

 人は、覚えられていると感じる時、孤独から解放され、喜びがあふれるのです。

 さて、聖書のクリスマスストーリーを見ると、イエス様の父となるヨセフは、忘れられた存在でした。というのは、ヨセフは、イスラエルの歴史上では有名な、ダビデ王の家系の中に生まれながらも、王国が力を失ったせいで都落ち、彼は、一般人として、都から数10キロ離れたガリラヤという町で、貧しく生活していたからです。人は、誰もヨセフのことをダビデの子とは呼びませんでした。しかし、神は、ヨセフを忘れていませんでした。神は、「ダビデの子ヨセフ」と名を呼んで、イエス様の父に指名したのです。これは、ヨセフから、ダビデ家の子孫に、世界の王(救い主)が生まれることを意味していました。つまり、ヨセフのクリスマスは、「私は、神に覚えられている」という、慰めと喜びの始まりだったのです。

 同じように、今日、クリスマスは、私たちにとっても、神が私たちを覚えているという印の日です。聖書にはこうあります。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカ 2:11キリストは、「私たちのために」お生まれになりました。私たちは神様に覚えられているのです。

 とはいえ、私たちは生活の中で、孤独を感じることがあるでしょうか。時には、学校や職場の生活の中で、存在を否定されるようなシーンがあるかもしれません。みんなでいるはずなのに、忘れられているような気がする…。また、ある人は、家庭の中でも否定されてしまうかもしれません。もし、あなたが、存在を否定され、傷つき、孤独を感じているならば、クリスマスのメッセージに心を向けてみてください。

 もし、クリスマスがあなたへのしるしであることを信じるなら、神が自分を覚えて、愛してくださっていることが、これからを生きる原動力となるのです。

奇跡は起こる

 常識が変わったと感じたことはあるでしょうか。山本由伸投手は、ピッチングの常識を変えたといわれています。彼の投げ方は「アーム投げ」と言われる方法です。今の流行は、ダルビッシュ投手や大谷君も取り入れている「ショートアーム」で、腕はほとんど伸ばさずに肘を曲げながら投げます。ところが、山本投手は、その真逆で、肘は曲げずに腕を大きく伸ばしたまま投げます。この投げ方は、昭和時代には、「手投げ」と呼ばれ、ケガのリスクが高いことから、誰もやりませんでした。ところが、山本投手は、やり投げの理論を適応させて習得、彼は、常識外れの中に、常識を生み出したのです。今や、佐々木朗希投手なども取り入れています。

人は、常識を超えた領域に希望を見出すことがあります。

 クリスマスは、常識外れの出来事から始まりました。それは、処女降誕と呼ばれる、イエスの誕生秘話です。聖書を見ると、ヨセフは、婚約中のマリヤが、二人が一緒になる前にみごもったことを知ったとあります。ヨセフの子でないことは明らかです。マリヤも浮気するような人ではありません。ヨセフが戸惑っていると、天使が現れて、「その子は、聖霊によって宿った神の子だ。」と告げました。“未婚の乙女が、子を宿す”という常識外れのストーリー、普通ではありえないこと。これがクリスマスに起ころうとしていた最初の奇跡です。

 ヨセフはどうしたのでしょうか。彼は、神の言葉を信じました。彼が信じたので、クリスマスにイエス様がお生まれになりました。この日からヨセフは、神が共におられるリアリティーを感じながら、祝福の人生を送ったのです。

同じように、私たちも、神の言葉を信じるなら、私たちの人生にイエス様がお生まれになります。

『「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。』マタイ1:23

 イエス様は、常識外れの奇跡を通してお生まれになった神の子です。この世には、奇跡と言われることがいくつかありますが、本当の奇跡は、神がおられる証です。だからこそ、クリスチャンは、常識外れのような奇跡を、神の常識として信じるのです。クリスチャンの日常にも、思い通りにならないことが起こります。病気や事故もあれば、失敗することもあります。それでも、クリスチャンは、イエス様の助けを信じて期待し、願いを込めてお祈りします。それは、神は、無から有を造りだし、死を命に変える方、奇跡を起こしてくださる方であると信じているからです。

 愛する皆さん、もしあなたが、なかなか変わらない現状の中に、失望しているとするなら、それは神を求める時です。もし、イエス様のクリスマスの奇跡を信じて、祈るなら、あなたの内におられる主が、守り導いてくださいます。時には、奇跡をもって、助けて下さいます。だから、今日、「イエス様助けてください」とお祈りすることで、信仰を原動力としながら、イエス様と共に歩む人生の力強さを体験していきましょう。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

お友だちへのシェアにご利用ください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

感想・コメントはこちらに♪

コメントする